魔王の娘と竜と人間の子 前編

 建物から火の手が上がる。それがその村で、最後の形を保っている家屋だった。既にあちこちで夜の闇に抗うように家々が燃えており、焦げた臭いが鼻につく。


 炎に対して、怖いという思いは抱かなかったが、しかしモノを失うという喪失感は拭えない。どれだけ強がったところで、その現実からは逃げられない。

 火は侵略の手を緩めることなく、村一帯を焼き尽くそうとしていた。


「どうして、こんな……」


 ただ普通に村で暮らしていただけだ。いつも通りに父と仕事をし、母と眠る。その日常を繰り返していただけ。

 事故ならば、まだ諦めもつくだろう。災害ならば、憤りはするものの受け入れていたことだろう。

 だが――


「おい! この男が最後か?」


 大柄な男が数人、周りを取り囲んでいた。誰も彼もが豪奢な防具に身を包み、その顔も兜で覆われて表情は読み取れない。

 しかし、興奮し薄汚く笑っていることは、その防具越しにも伝わってくる。


「ドラゴンの村だって言われてたから期待してたんだがなあ。蓋開けてみりゃほとんど人間だったな。村唯一っぽいドラゴンも、最初の一撃で致命傷だったしよ。ドラゴンも案外弱いんだな」


 つまらなさそうに肩を落とす男を睨む。そうしたところで立場が逆転するわけもない。だが、その行動は理屈によるものじゃなかった。

 怒りに任せて力が入り、到底許せない悪への憎しみを視線に乗せる。


「母さんは強い方です! 発言を、撤回してください!」

「じゃあそれに守られてたテメェは随分弱っちいな。恨むなら、テメェの弱さを恨みな。テメェが強けりゃ、あのドラゴンが庇って死ぬこともなかっただろうからな」


「――ッ!!」


 気が付けば、その男に殴りかかっていた。この男に勝てるとか、相手が武器を携えているとか。そういう理屈ではない。感情に突き動かされた一直線な行動は、あっさりと兵士に咽喉を掴まれて止められる。


「ぐっ――」

「テメェも親同様バカだよなあ。親の言うとおり逃げとけばここで死ぬこともなく、村人全員が無駄死にすることもなかったかもしれねえのによお」

「これ以上、馬鹿にしないでください……!」

「まあ、泣きたくなる気持ちもわかる。悔しいんだろ、憎いんだろ。俺たちを殺したくて仕方ねえって顔してる。だが、テメェは死ぬ。弱いからだ。守れねえからだ。嘆きたきゃ嘆け。村人含む、異種族は全滅。この村の件はそれで終わりだ」


 彼が剣を構えて、青年の首元にあてがわれる。

 涙が、溢れて止められない。食いしばる歯からは血が滲み、錆びた苦みが口に広がる。


 ――ああ、どうして。


 人間ではないというだけで、迫害されなければならないのだろう。己の弱さを嘆かなければならないのだろう。平和を享受していてはいけないのだろう。

 何故、神は不平等なのだろう。


 ――いやだ、死にたくない。


 死んだ父と母、村の人たちのためにも、この世界を生きたい。生きなければならない。生かしてくれたその想いに応えたい。

 誰でもいい。


 ――どうか。どうか、この命を生かしてください。


「あばよ――」


 全てを拒絶したくて、迫りくる未来から逃げたくて、目を瞑る。

 世界が暗転。そこで彼の命は終わりを迎える。

 そう、なるはずだった。


「……?」


 いつまで経っても痛みはなく、刃が喉を切り裂かない。青年は恐る恐る、目を開く。

 そこに、先ほどまであった兜を被った男の頭部はなかった。元々頭があった場所には血の花が咲き、やがてその体は力を失ったように音を立てて地に倒れる。


「な、何が……」


 目の前にあった絶望は、また別の絶望に切り替わっていた。事態に困惑していると、周囲にいる男たちから悲鳴が上がる。


「何が起きている!?」

「武器を構えろ! 何かいる――」


 そう叫んだ男の首が綺麗に飛んだ。闇夜に血飛沫が舞い散る。それは、村を燃やす業火に照らされ、まるで絵画の一部でも観ているかのような光景だった。


「捕まえたぞ!」


 既に立っている兵士は僅かに三人。その内の一人が怒りに満ちたような、熱狂するような声を轟かせる。

 見れば確かに、黒い外套に身を包んだ小柄な何かの右腕を掴んでいるようだ。

 頭を覆うフードで全貌は見えないが。その横顔が、視界に入る。

 火の明かりに映えるあどけない顔立ちのその少女に、青年は思わず見惚れしまっていた。


「さあ、大人しくしやが――」


 彼女の左手が発光したかと認識した直後、その光は腕を掴んでいた兵士の顔面へと直撃し、爆発。男は膝から崩れ落ちる。


 そこからは一瞬だった。呆然と立ち尽くす他二人を、彼女は手にした短剣で効率よく無力化していき、その場に残ったのは黒衣の少女と座り込む青年のみとなっていた。

 もしかしてこのまま殺されてしまうのではないか。


 その可能性が脳裏を過り、遅まきながら警戒心を高める。と言っても、ただ彼女の行動を注視することしかできないわけだが。


「安心しろ。お主には手を出さぬ」

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