魔王の娘と魔獣討伐部隊 後編

「――救い難い人間もいたものだな」


 しかし、その剣は少女に届かない。

 飛び出した彼の体は空中でピタリと止まり、身動ぎも落下もしない。ただ、その場で静止している。


「何を……!」

「知らぬか? 魔王の凪捕える歓喜の溜息レ=クィリタス=ルスティカ。風を掴む魔術だ。そして――」


 指を弾いたかと思えば、騎士の体が吹き飛んだ。

 彼女が何をしたのか。何故彼の身が弾け飛ぶように吹き飛んだのか。目視での認識すら困難だった。次いで、後方で激しい衝撃音が炸裂する。


「ら、ラルクトス隊長!?」

「これが基礎風魔術による風弾だ。そら、今助けに行けばまだ死なずに済むぞ?」


 その言葉を聞いた数名が、砂煙が立ち昇る方角へと駆け出した。恐らくあの吹き飛ばされた騎士の部下か何かだろう。

 さらに先ほどの光景を目の当たりにしたことによる混乱と、士気低下。部隊は最早機能不全に陥っていた。


「さて――」


 冷ややかな視線がその場に降りる。警告、あるいは脅迫に近い。

 これ以上露骨に嫌な態度を取れば、容赦はしないという意思が感じ取れてしまう。

 選択の余地など、あるはずもなかった。


「レ=ゼラネジィ殿! ウチの部隊の人間が大変ご迷惑をお掛けしました。非礼をお詫びいたします。どうか信じていただきたいのですが、我々には決して戦闘の意思はありません! 何卒、怒りをお収めください!」


 バサルトが声を張り上げる。当然、魔獣討伐部隊の目的は戦闘を介さず成り立たない。しかし形だけでも無抵抗であることを示しておかなければ、この場は収束しないだろう。

 そう意図しての発言だったが、少女の顔つきは変わらない。どこまでも乏しく、どこまでも冷たい。


「謝罪は受け入れる。無礼も許そう。だが、噓は良くないな」

「……ウソだなんて吐いておりません。我々はただ調査のためにこの地へと赴いて――」

「魔獣を討伐することが、調査とは言うまいな」

「――っ!!」


 知っていたのか。失敗した、と。バサルトがそう反省するよりも早く、無感情の声音が空より届く。


「――失せろ。運が良い者は、命だけは助かるかもしれぬな」


 魔術の発動。彼女が手を翳したその瞬間、それは訪れた。


魔王の大地震わす裂傷の産声レ=フェルゼン=ガトルニス ×クラス 魔王の戦火燻る晩末の灯火レ=イグニウス=ベヌウ


 詠唱同士の掛け合わせ。高等魔術に分類される技だ。その事実にも耳を疑ったが、何よりもそんなことを気にしている場合ではなかった。

 大地が揺れ、波打つ。最早まともに立つことさえままならない。


魔王の激爆惑う衝乖の魂魄レ=ピロボロウ=パボレアルス


 そして、続く彼女の言葉は爆音に搔き消され、一帯を白の閃光に染め上げた。

 部隊を襲ったのは、超大規模な爆発。それらは地面を捲り、突風を巻き起こす。当たれば身も焦がす衝撃が止み、残されたのは爆風に飛ばされ、地に伏す鎧を着込んだ兵隊たちのみ。


「ぐっ……」


 吹き飛ばされたのはバサルトも同様。彼の全身を蝕んでいたのは地面に叩きつけられた際に負った痛みと。

 そして同時に、生きている、という実感も駆け巡っている。


「これは、警告だ」


 気がつけば、倒れ伏す彼のもとに深紅の髪をなびかせる少女が降り立っていた。

 これ以上、疑いようもない。これほどの魔力を持ち、それを操れるほどの技術も持つ。そんな存在は、彼の中では一人しか知らなかった。


「……本当に、魔王の娘なの、か」

「だからそうだと言っておるだろう。まったく、どうすれば一言で信頼してくれるのか……」


 困ったように僅かに柳眉を落とすその姿は、まるでただの女の子で。

 先ほどまでの威厳は消えていた。


「なぜ、殺さない……?」

「なんだ、殺してほしいのか?」


 表情を読み取れない彼女から、その言葉を冗談だと受け取るのは今の彼には難しかった。魔王の娘ならば、本当に殺しかねない。それほどの、実力差があった。

 どう応じればいいか、迷っていると先に彼女が口を開く。


「冗談だ。まだ何もしておらぬ者を殺すほど、堕ちたつもりはないからな」

「まだ……?」

「警告だと、そう言っただろう? 魔獣をこれ以上迫害するな。もちろん、それ以外の異種族たちもだ。加えて、この先の魔王領域に立ち入ることも、禁ずる」

「……もしも、破ったら?」

「もしも、もしもか。そうなった場合、そうだな――」


 途端に、周囲の空気が凍った。

 いや、そう錯覚してしまうほどに、彼女が放つ魔力は冷たく、重い。できることならば、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたかったが、生憎とバサルトの体はピクリとも動かなかった。


「――警告を守らぬ者に、慈悲はいらないだろう。そう、お主らの飼い主に伝えておけ」


 言い終えた彼女は踵を返し、立ち去る。

 その背中を、氷のように冷淡ながらも、どこか儚い彼女の姿を――

 意識が途切れるその時まで、ただ見つめ続けることしかバサルトにはできなかった。

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