魔王の娘と老魔術師

 一人の老翁が飛来する。

 彼が降り立ったそこは瓦礫が散乱し、草木も枯れ果て、生物の息吹きが到底感じられない死が横たわる場所だった。


 魔王城跡地、と。現在ではそう呼ばれている。

 戦いの爪痕が色濃く残る残骸の中を、老翁は落ち着いた足取りで歩いていく。

 目的地は決まっていた。

 いつもと同じルートを辿り、いつも通りの場所で立ち止まる。こんな最果ての地に他に人がいるわけもないが、周囲の視線を警戒しながら、床板を一枚浮かせて外した。


 現れたのは闇へと続く階段。老翁は躊躇うことなく暗闇へと足を踏み入れる。しばらく歩くとランプの灯りが視界に彩り、開けた空間が現れた。

 広い地下聖堂。椅子が立ち並ぶその先にこそ、彼が向かう場所はあった。


「シリウス! 息災か?」


 老翁の声はこだまして響く。シリウスと呼ばれた少女は、聖堂の最奥に位置する祭壇での祈りを止めて、その深紅の長髪を揺らして振り返った。


「そのような大声を出さんでも聞こえておるわ、ウェゼン」

「相変わらず元気そうで何よりだ。いやはや、たった一年会っていない間に随分と立派になったな」


 皺だらけの顔にさらに皺を作って笑うウェゼンは、その少女の成長に感慨深いものを感じていた。

 しかし立派になったと言っても、背は老翁であるウェゼンよりも小さく、人間の齢にして十二か十三程度のもの。顔立ちも口調の割にはそれほど大人びていない。寧ろ童顔だと言えた。

 ウェゼンが成長を実感した部分は、そういった外見的特徴ではなく、彼女から溢れる魔力にあった。目の前に立つ彼女からは威圧感と共に、目を離す隙も与えてくれないほどの存在感が放たれている。


「随分と、鍛えたんだな。凄まじい魔力量だ。当時の魔王と、並ぶほどには」

「その娘なのだから当然であろう。だが、魔力について鍛えたつもりはない。それに、魔力量が上がった実感もないぞ?」

「それはシリウスが鈍いだけだ。いいか? 魔力とは自身の生きる活力を元に精製される。誰にでも備わっているものではあるが、その生きる活力を扱う練度や精製速度、取り回しはどれだけ修行を積んでもマスターしたとは言い難い。それだけ難しいんだ。だから皆、使いやすい魔道具を使う。魔力の扱いについても同じだな。出来上がった魔力を、今みたいに垂れ流しているとすぐに魔力切れを起こすぞ」

「分かっておるわ。その言葉を聞くのも何度目だと思っておる。ほら、これで良いのだろう?」


 シリウスがそう言うと同時に、それまで空間を満たしていた圧迫感は消え去り、全身から錘が外れたような錯覚に陥る。これは最早、毒のようなもの。その場にいるだけで、体に不調をきたす。やはり彼女の魔力はそれだけ特別なのかもしれなかった。


「それで、ウェゼンが来たということは、年に一度の食料の供給だな? 今回は何を持ってきたのだ?」


 シリウスの声が、気持ちワントーン上がったような気がした。表情でのめぼしい変化はないが、そういった機微を感じ取れるほどには彼女との付き合いは長かった。

 余程、彼女のその期待に応えてあげたい思いはあったものの、しかしウェゼンは首を横に振る。いつものように、一年分の食料を与える余裕は、今はなかった。


「残念ながら、今回ここに来たのは忠告をするためだ」

「忠告だと?」

「ああ。つい先日、国家間連合にて魔獣討伐の条約が締結された。世界中で未だ密かに生きている魔獣の完全根絶を謳っている。……手始めにこの魔王城をターゲットに、魔獣の残党狩りを始めるらしい」

「そうか、ようやく来たのだな」


 低く、落ち着いた声。待ち侘びていたわけではないだろうに、彼女はそう言った。

 魔王が討たれて十年。彼女はこのために牙を研いできた。

 その復讐のために。


 心境を鑑みれば、もっと早くに行動したかったことだろう。何せ家族を、同族を奪われたのだから。だが、そうしなかったのはそれこそ彼女自身の意志でもあった。

 シリウスの周囲が再びざわつき、その蒼い瞳が鋭く光る。

 先ほどのような無意識の害意ではない。そこに満ちるのはただ一つの簡単な感情。

 殺意のみだった。


「時期は?」

「二日後にこの魔王城へと到着する日程だな」

「ならば明日ごろには魔王領域に辿り着くかもしれんな。ちょうどいい」


 言うが早いか、シリウスは踵を返し祭壇の隣にある小部屋へと向かう。そこは彼女のプライベートルームだ。ウェゼンも入ったことはない。


「おい、もう行くのか?」

「当然だろう。ここまで来られて、魔王城に被害が出ても困るからな。ここは余の家であり、最後の思い出の地。それをこれ以上、奪われるのは避けたいのだ」


 部屋に入るその直前、彼女が見せた蒼色の瞳には、僅かながら寂しさが滲んでいたように見えた。

 扉が閉まり、彼女の姿が見えなくなる。

 ついにこの時が来たかと、ウェゼンもウェゼンで溜め息を吐く。


 なんだかんだ長い付き合いだ。魔王討伐後に彼女を見つけた彼は、その後この魔王城に顔を出しては、修行をつけたり常識についての教育をしてきた。今では年に一度、食料を持ってくると共に、話し相手となっている。

 そんな彼女のことが心配じゃないかと言えば、噓になる。だが、彼にシリウスを止める権利などない。


 魔王を討伐した勇者連合軍。

 その一員である老魔術師が、どうして魔王の娘の復讐を止められるだろうか。彼は、彼女の意志を尊重したかった。

 それは罪滅ぼしだろうか。それとも老い先短い年寄りが何かを残したかったのだろうか。


 どちらでもいい。

 ウェゼンがシリウスと過ごしたという事実は変わらず、それは自らが望んでやったこと。

 だから今この瞬間、悔いはなかった。


「待たせたな、着替えに手間取ってしまった」

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