第34話 潤之介くん視点 元カレの反撃

 

「なんであんたがここにいるんだよ! また果穂さんに復縁を迫る気か!?」


 俺は赤崎がここにいることが許せなくて、思わずそう叫んでしまう。

 果穂さんのことを『料理しか能がない女』なんて言うやつは、たとえ仕事ができようが金を持っていようが許せない。


「もうそんなつもりはない。代わりが見つかったからな。……まあ、今日は先日騒いだ詫びに菓子折りを持ってきただけだ。これもケジメってことでな」


 冷静に、淡々と赤崎はそう言う。

 俺は彼の言葉選びに苛立ちを覚える。

 

「代わりって……そんな言い方ないだろ」

「『代わり』以外に表現のしようがないだろ。女なんて、黙って家のことをやっていればそれでいい」

「そんな人を道具みたいに言うな!」

「仕方がないだろ、実際のところ道具なんだから。俺だって必要に駆られなければ女と添い遂げようなんて思わない」

「必要に駆られなければ……? どういうことだよ?」


 俺は赤崎の言葉に違和を覚える。

 それはつまり、好きという気持ち以外に何らかの理由があって果穂さんと付き合っていたということになる。

 

 もし家事をやってもらったり食事を作ってもらうことが目的であるのならば、わざわざ恋人という立場に果穂さんを置いておく必要がない。言い方は悪いけれど、この男くらいの稼ぎがあれば、そのへんのことは金で解決できる。


「これだから社会でまともに働いたことのないやつは……」

「俺は別に無職じゃない、食い扶持くらいはちゃんと稼いでる」

「そういう意味じゃない。自分の食い扶持さえ稼げばそれで十分だという、社会的には何の責任も負っていないようなやつには遠い話だということだ」

「くっ……なんだよその言い方」

「事実だから仕方がないだろう。貴様と俺じゃ、人間としての価値が全然違う」


 完全に俺を下に見ている目だった。

 こいつはおそらく、自分は高尚な人間だと思っていて、取るに足らない人はすべて人間扱いをしない。そういう上から目線で生きている。


「教えてやるよ。俺は大手広告代理店の営業マン。取引先相手から売り上げを勝ち取るためには、『信頼』ってやつが必要だ」

「……あんたが信頼なんて言葉を使うとはな」

「言ってろ。ビジネスではお前より遥かに俺のほうが信頼を置かれる。それはなぜか」

「自分のやり方が良いからだとか言いたいのか」

「もちろんそれもある。だがな、世の中は『何を言うか』ではなく『誰が言うか』だ。お前みたいなフリーター風情の奴より、大手勤めで役職もついている俺のほうが例え同じことを言ったとしても信頼される」


 悔しいが、そうなってしまうのはなんとなくわかる。

 役者の世界だって、やはり売れている人やキャリアが長い人の方が発言に注目される。それは彼らの言葉に影響を受ける人が多いから。


「要するに『立場』というものが大切なわけだ。俺はその『立場』をもっと上げたい。だからあの女にやむを得ず一時的な復縁を迫った」

「なんで立場を上げるために果穂さんが必要なんだよ」

「まあ、世間は世帯を持っているやつの方が信頼してくれるからな。例え敏腕でも独身のまま歳をとっていくと、どこかおかしい奴なのではないかと思われてしまうのがオチ。そんな奴は出世しない。俺はもっと上に行きたいからな、使えるものは使おうとした、それだけだ」 

「……とんだクソ野郎だな、あんた」

「なんとでも言えばいい。どんな言葉も俺には届かない。それくらいの差が俺とお前にはある」


 こんなやつに果穂さんはずっと苦しめられていたのかと思うと、俺は腹が立って仕方がなかった。

 果穂さんはこいつの出世のため、たくさんのものを犠牲にして苦しんだのだ。

 このまま殴りかかってやろうかと一瞬頭をよぎったが、果穂さんのことを考えてなんとか思いとどまる。


「……その様子、あの女と交際中という感じだな。愚かなもんだ」

「何が愚かなんだよ」

「お前、あいつの稼ぎがいくらか知ってるのか? お世辞にも多いとは言えない」

「それがどうしたっていうんだよ」

「加えてお前はフリーター、おそらく年収でいったら頑張って二百五十といったところか。それでもし結婚して子供までできたらどうなると思う?」

「どうなるって……」

「まあ、想像すらできないのだろうな。普通に考えて生活が破綻する。子供を設けなかったとしても、二人で都心から離れたこの辺に住み、結婚式と新婚旅行にも行けず、ちょっと外食するのも躊躇うような生活になる」

「そんなの……わからないだろ」

「わかるだろ。夢を追いかけているか何か知らないが、そんなので飯を食えるのはほんの一握りだ。凡人は凡人なりに、凡人のためにある人生のレールに乗るのが一番いい。このままいたずらに歳をとれば、そのレールに戻ることも難しくなる」


 役者を目指すと決めたとき、周囲からも同じようなことを言われた。

 兄貴や唯、みお姉は背中を押してくれたけれども、大半の人は役者なんて辞めて就職しろと言ってきた。

 

 高校を出て三年が経つ。

 さっきのオーディションが橋にも棒にもかからないようであれば、もう俺は役者から足を洗って就職するべきなのかもしれない。

 なんせまだ役者としての結果が出ていないのだ。そしてこのまま、一生結果なんて出ないかもしれない。


 それに比べてこの男はどうだろうか。

 性格や言動、果穂さんに対してやってきたことは絶対に許せない。しかし、優秀なビジネスマンとして結果を出している。

 こいつの言う言葉を借りれば、人間としての価値が全然違うとも言える。


 俺は論理的な言葉を使って言い返すことができなくなってしまった。


「なんだ、だんまりか。もう少し突っかかってくる奴かと思ったが、大したことないな。こんな駄目な男と付き合っているあいつも、底が知れている」

「……果穂さんをバカにするな」

「お熱いねえ。どうせこの後あいつに会うんだろ? 菓子折りはお前に預けていくことにする、もうここには来ないから安心しろ」


 老舗和菓子屋の紙袋を俺に渡した赤崎は、そのまま立ち去っていってしまった。

 俺はその場に立ち尽くしてしまった。


 果穂さんを好き放題傷つけた奴に何もやり返せなかったこと。

 奴の言うとおり自分がどうしようもないくらい駄目な男だということ。

 その二つがずっしりと俺自身にのしかかってきて、潰れてしまいそうだった。

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