第35話 嫌なやつ!嫌なやつ!

 仕事を終えて近くのスーパーで買い物を終えた私は、自宅へと向かっていた。

 マンションの前の道路には、なにか見覚えのある車がハザードランプをつけて止まっている。


 ……雅也の車だ。

 車には詳しくないけれど、黒のSUVって言うんだっけ……?

 やたらと内装にこだわっていて、ディーラーさんと随分話し込んでいた記憶が蘇る。


 もしかすると、また私に復縁を迫りに着たのだろうか。

 そうであるならば、このまま部屋に戻るのは危険だ。待ち伏せている可能性がある。


 私は近くのコンビニにでも一旦身を潜めようと思い、踵を返そうとした。

 ……が、とき既に遅し。


「なんだ、今帰ってきたのか」


 マンションの階段を降りて車に戻ってきた雅也と鉢合わせてしまった。

 まずい、早く逃げないと。


「……そんなにビビるな。もうお前をどうこうするつもりはない。今日はただこの間騒いでしまったことの詫びを入れに来ただけだ」

「……嘘でしょ。あんたがそんな殊勝なことするわけないもの」

「心外だな。自分が悪いと思ったときには、すぐに詫びを入れるタイプだぜ俺は」


 その言葉に私は苛立ちを覚える。

 雅也が私に「ごめんなさい」と謝ってきたことなど、ものの一度も無いのだ。

 彼の言葉が本当であるならば、私に対してやってきたこと全て悪いことだと思っていない。そういうことになるから。


「ちょうどお前の男が玄関先に突っ立ってたからな、菓子折りはそいつに渡しておいた。用が済んだから俺は帰る。もう二度とここには来ない」


 そう言って雅也は車を走らせていなくなった。

 詫びを入れるとは言いつつ、ただ菓子折りを持ってきただけで「申し訳ない」の一言もない。とんでもなく自分勝手な男だ。


 でももう二度とやってこないと宣言した以上、この先関わることなんて無いのだろう。

 変に律儀というか、商売人気質なのか、自分が口にした言葉を裏切るということは、私が見る限りでは一度もない。もちろん、いい意味だけではなく悪い意味でも。


 湧いてくる怒りを抑えて私は自室へと向かう。

 潤之介くんが待っていると言っていたので、早く部屋に入れてあげないと。

 雅也にどんな悪口を言われたのか聞いておかないといけないし、オーディションがどうだったのかも気になる。とにかく、今すぐ会いたい。


 急いで階段を駆け上がる。

 自室の前まで来ると、そこには誰も立っていなかった。

 雅也の言っていた菓子折りが私の部屋のドアノブにかけられているだけで、潤之介くんの姿はおろか気配すらない。


「潤之介くん……? どこ行っちゃったんだろう?」


 私はとりあえず部屋に入り荷物を置くと、スマホを取り出して潤之介くんに電話をかけた。

 

 しかし、十数回コールしても出ない。

 しばらく経ってからまたかけてみよう。そう思っていると、折り返しの電話がかかってきた。


「えっ? 唯さん……?」


 画面には潤之介くんではなく、唯さんの名前が表示されている。

 よくわからないけれど、とりあえず私は電話に出る。


「もしもし?」

『あー果穂さん? 唯ですけど、あの……電話でいきなりこんなことを聞いて申し訳ないんですけど……』

「どうしたの?」

『潤之介となにかありました?』

「……えっ?」


 唯さんがちょっと困っている。おまけに、なぜか少し声が小さくてコソコソしている感じがある。


『実はさっき潤之介がダーリン……慎之介の持っている消防士の採用試験問題集がほしいって、うちにやってきたんですよ』

「消防士の……?」

『ええ。だから潤之介、役者を辞めて就職しようと思っているんじゃないかなって』


 私は唯さんのその言葉にドキッとした。

 もしかすると今日のオーディションで、潤之介くんはなにか大失敗をしてしまったんじゃなかろうか。

 それで落ち込んだり、焦りを感じたりしてそんな行動に走っている……と考えれば、なんとなく辻褄はあう。


 とにかく、一刻も早く潤之介くんに会わないと。


「唯さん、それで潤之介くんはどこに?」

『まだうちにいます。このまま引き止めておくので、果穂さん来てくれませんか?』

「もちろん、そのつもり」

『住所はメッセージで送ります。見ておいてください』

「わかった、ありがとう唯さん」


 私は電話を切り、すぐに青柳夫妻の家へ向かった。

 

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