第32話 ハグのつもりが……それだけに収まらず?
「は、ハグ……っすか!?」
「う、うん、ハグ……」
「な、なんでまた……?」
「ハグをするとね、お、オキシトシンって幸せホルモンが脳から出るらしくてね、そ、そのおかげでリラックスできたり、頑張れたりするって言うから……その……」
なんでこの期に及んでハグの科学的な解説をしているのだと私は自分自身にツッコミを入れる。
というのも、これは唯さんによる入れ知恵みたいなもので、潤之介くんと早くくっつけという彼女の焦れったさみたいなものをぶつけられた結果なのだ。
唯さんはノリノリなので、セクシー下着で誘惑しろとかむしろ押し倒せとか過激なことを言ってくる。私がそんなことできるわけもないので妥協点を探った結果、たどりついたのがこの『ハグ』というわけだ。
……これでも唯さんはなぜかかなり不満そうだったけど。
「あ、あの……しないの……? ハグ?」
「え、ええっと……あの……」
潤之介くんはわかりやすく困惑している。
無理もない。この文脈でいきなりハグとかどう考えても不自然だ。そんなに欧米チックなスキンシップ習慣が私にいきなり芽生えるのもちゃんちゃらおかしい話。
でも、ちょっと勇気を出してハグしようと誘ったのにもかかわらず、遠慮されてしまうのはやっぱり悲しい。
この広げた両手が無為にならないよう、いっそきつく抱きしめてほしいものだ。
「もしかして、唯に何か言われたんすか?」
「し、知らない……」
「ますます怪しい……」
「潤之介くんはハグするの……嫌?」
私はわざとらしく、ちょっと上目遣いを意識してそんな事を言ってみる。
もちろんこれも唯さんからの入れ知恵だ。慎之介さんはこれでやられてしまう(何に?)らしいので、潤之介くんにも効果抜群だろうという。
すると、やはり血は争えないのか潤之介くんの顔が更に赤くなってきた。
「ハグするの……嫌じゃないっす。てかむしろすごく嬉しいというか……」
「じゃあ、どうしてそんなに躊躇ってるの?」
「……ええっと、……そうだな、もう全部打ち明けたほうがいいっすよね」
潤之介くんはすうっと息を吸って、吸った時間と同じだけ息を吐いた。
「俺、果穂さんのことが好きです。最初に助けてもらったときから」
「……ほ、ほんとに?」
「本当です。嘘をつくのは苦手なんで、これはもう純度百パーセントの本当の気持ち……です」
まさかのタイミングで告白されて頭が真っ白になった。私は唯さんと一緒に考えていたここまでの作戦は、跡形もなく吹き飛んでいる。
何も考えられない。喜びで爆発しそうだ。
彼の好意に感づいていなかったといえば嘘になるが、面と向かって好きと言われるのはやっぱり嬉しい。
「俺、全然恋愛経験なくて、どう踏み込んだらいいかもわかんなくて、しかも果穂さん年上だから俺みたいなのってガキみたいに思われているんじゃないかって、めっちゃ臆病になってて……」
「あっ……私も、そうかも……」
「果穂さんも?」
「私もね、潤之介くんより七歳も年上だから、全然眼中になんてないんだろうなって思ってた。根がとっても優しいから、ご飯を食べさせたいっていう私の戯れに、律儀についてきてくれているんだなって」
「そんなことないっすよ。俺はもうすっかり果穂さんの作るご飯なしじゃ生きられない身体になっちゃったんすから」
「あはは……それはよかった……のかな?」
「良かったに決まってるじゃないすか。……なあんだ、俺はずっとビビってただけだったのか」
苦笑する潤之介くんを見て、私もなんだか肩の荷が降りたような気分になった。
お互い好き同士あのに、年の差を理由に遠慮したり、変な線引きみたいなものがあっただけ。
そう思うと、今までの慌てぶりがなんだか可愛らしい。ちょっと恥ずかしくもある。
「言い忘れないように言うね。私も潤之介くんのこと、ちゃんと好きだよ」
今度はちゃんと潤之介くんの目を見て、私ははっきりと告げる。
勇気を出してくれた彼に対して、ちゃんと向き合いながら。
「私、そんなに美人でもないし、仕事ができるわけでもないし、年の差とかあるし、好きになってもらえるわけないよなってずっと思ってた。それで潤之介くんと同じように臆病になってて……なあなあな感じでここまで来ちゃって、ごめん」
「あ、謝ることじゃないっすよ! そもそも俺がもっとしっかりしていれば……」
「まあでも、今のタイミングで良かったのかもって思ってる。これで多分、明日潤之介くんは頑張れるかなって」
「あはは、そうっすね。果穂さんのために全力尽くして来ますよ」
二人の笑い声が部屋に響いた。
私の存在が彼にとってのエネルギーになってくれるのであれば、それはとても嬉しい。
落ち着いたところで、私は再び潤之介くんに向かって両手を開く。
「それじゃ、改めてハグ……しよ?」
「あ、あの……果穂さん?」
「今度はなに? まだなにかあるの?」
「い、いえ、その……俺、果穂さんのこと好きすぎて、我慢できなくなったらどうしようと思って……」
再び赤面する潤之介くん。
彼が恥ずかしがるの姿はなぜか画になる。何度見ても乙女心をくすぐられる。
しかし、どう返事をしようか。
ここで、「我慢って、なんの我慢?」と聞き返すほど私は何も知らないような年齢ではない。
彼だって積もりに積もった想いを抱えている。それが今まさに爆発してしまいそうなのだ。
さすがの私でも、それくらいのことはわかっている。
じゃあ、どうしようか。
……いや、考えるまでもないかな。
「……いいよ? 我慢しなくても」
その一言を皮切りに、潤之介くんは優しく、そして強く抱きしめてきた。
幸せが詰まった風船が割れて、あたり一面にそれが広がる感じ。
甘くて痺れる、その癖になりそうな感覚に私も潤之介くんも溺れていった。
「そういえば」
「はい」
「稽古はいいの?」
「明日が明日なんで、今日は稽古入れてないっす」
「あっ、そうだったんだ。じゃあ私、あんなに慌ててハグをせがまなくてもよかったんだ」
「あはは、でもおかげでこんな感じにまったりできたので、結果オーライっすね」
「そうだね。じゃあ、明日は頑張ってね」
「はい!」
と、私達二人は同じベッドで眠ることにした。
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