第31話 思い出のメニューと、それにつけ合わせるのは……ハグ!?
「果穂さん……これってもしかして……」
チキンカツ丼が目の前に登場すると、潤之介くんは少し驚いていた。
「そう、ちょっと話を色々聞いたんだけど、明日のゲン担ぎにはこれかなって思ってね」
「チキンカツ丼なんて久しぶりっす。たまに普通のカツ丼は差し入れでもらったりすることはあるんすけどね。……めちゃくちゃ美味しそうっす!」
「さあさあ、遠慮しないで食べて食べて。食後にはちょっとしたデザートもあるから」
「デザートっすか?」
「うん。潤之介くん、甘いものは控えてるって言ってたからちょっとヘルシー目なものを作ってみたよ。今冷蔵庫で冷やしてるから、カツ丼を食べ終わってから出すね」
潤之介くんは両手を合わせて「いただきます!」と唱えてからチキンカツ丼をかき込み始める。
いつにもまして食べっぷりが良い。男子が丼ものに食らいついている画というのは、何故か満足感に似たような感覚を覚える。美味しいと言ってくれるならなおさら。
「……果穂さん、これ、昔食べたのと同じ味がするっす」
「ほんと? さすがにレシピまではわからなかったから、味付けは私のオリジナルだよ?」
「それでもなんかこれを食べてると懐かしくて仕方がないんすよ。夢に向かって頑張ってたあの日の俺を思い出すというか……」
「いやいや、夢に向かって頑張ってるのは今も一緒でしょ」
そういえばそうっすねと、潤之介くんはすっとぼけながら笑う。私もそれにつられて笑ってしまった。
どれどれ、私も自分の分のチキンカツ丼を用意したので食べてみようか。
ちなみに私の丼は潤之介くんが食べているサイズの半分程度しかない。私の胃袋の大きさでは、潤之介くんが食べているサイズなんて食べ切れないので。
箸でダシの染みたチキンカツをひと切れ掴み、口の中へ放り込む。
卵とじにしたのにもかかわらず、衣のサクサク感が残っていて、美味しい状態を独り占めしているような気分だった。チキンカツの卵とじも半熟状態でかなり美味しく仕上がっている。
油っこさは全くなく、鶏むね肉のさっぱり感のおかげでスルリと掻きこめてしまえそうだ。ご飯に染みたダシの旨味も、これまたたまらない。
「……これ、美味すぎっす。懐かしいはずなのに、なんか新しい感じがして、不思議と箸が止まらないというか」
「ふふふ、でしょ? 醤油とかみりんとかダシとか、そういう調味料以外のことも、美味しさには関わってくると思うんだ」
「ああ、なんか聞いたことあります。『空腹は最高の調味料』だって」
「そうだね。今回はそれに『懐かしさ』っていう調味料も加えてみたからさらに美味しいかもね」
「懐かしさ……」
「思い出補正って呼んだりするのかな? いわゆる『おふくろの味』とか、昔食べていた駄菓子の味とか、そういうのって自分を形作ってきた味だから、美味しく感じないわけがないんだよ」
「なるほど……!」
潤之介くんはさらに箸を進める。
大きめの丼をスーパーに併設されている百円ショップで急遽調達してきたわけなのだけれども、それが本当に大正解だった。
今日の潤之介くんは一段と食べっぷりが良い。作った私としても、こんなふうに食べてくれるなら嬉しい。
「――ごちそうさま! めちゃくちゃ美味しかったっす! これで明日のオーディションも頑張れます!」
「うんうん、その意気その意気。じゃあ、デザートも用意するね」
私は冷蔵庫の扉を開け、とあるものを取り出す。
それは、市販のフルーツミックス缶と、キンキンに冷えたゼロカロリーのサイダー。
この二つで作るのは、お手軽フルーツポンチだ。
作り方は簡単。
汁気を切ったフルーツミックス缶の中身にサイダーを入れ、ちょっとレモンを絞る。
普通のフルーツポンチなら白玉を足したり、寒天が入っていたり、缶詰じゃなくて生のフルーツを使ったりするのだけれども、今回こんな感じに仕上げたのには理由がある。
「……これって、もしかして」
「そう、潤之介くんの思い出メニュー、『みお姉のフルーツポンチ』だよ」
「懐かしい……。果穂さん、そんなのまで調べたんですか?」
「うん、唯さんと慎之介さんにちょっとインタビューしてね。これが一番気合が入るんじゃないかって」
「……ありがとうございますっ!」
このフルーツポンチのレシピを慎之介さんから聞いたとき、同時にこれにまつわるエピソードも教えてもらった。
潤之介くんが施設にいた頃に慕っていた『みお姉』こと美織さんは、ことあるごとにこのフルーツポンチを作ってくれたのだという。
「怒られて落ち込んだときとか、逆にちょっと褒められたときとか、そういう時になるとみお姉はこれを作ってくれたんすよね」
「慎之介さんもそう言ってた。みお姉と俺たち兄弟がこっそり食べてた秘密のメニューだって」
「そうなんすよ。毎年お中元か何かで施設に送られてくる缶詰の中からみお姉がちょっとくすねていて、なんかあるとサイダーを入れてフルーツポンチにしてくれたんすよね。まあまあの量になるんで、俺と兄貴とみお姉の三人で毎回食べてたっす。超懐かしい」
「今回はちょっとだけ気を使ってゼロカロリーにしてみたよ。……まあ、焼け石に水かもしれないけど」
「その気遣いも、果穂さんの優しさってことで」
潤之介くんはフルーツポンチに手を付ける。
私もその『みお姉』の味が気になって、彼と同じようなタイミングで食べ始めた。
シュワッとしたサイダーと、シロップ漬けになっていたみかんやパイナップルとの相性は抜群だ。
缶詰そのままだと甘さ一辺倒になってしまうが、サイダーのおかげで酸味がついて爽やかさが出る。
少年時代、特別な時になる度にこれを食べていたという潤之介くんにとっては、まさに『思い出補正』がかかるはず。
オーディション前に気持ちの面でもエネルギーを補充してくれるのであれば、それは作り手として嬉しいことだ。
「うん。ゼロカロリーサイダーでも全然変わらないっすね、あの日のまんまっすよ」
「そう? よかったよかった」
「これで明日のオーディション、絶対にイケると思います。期待しててください!」
「うん。頑張ってね。『救急戦隊アンビュランス』で潤之介くんが活躍する姿、待ってるから」
「……はい! 頑張ります!」
今日一番の彼の笑顔に、私はコロッと心を持っていかれそうになる。いや、もう既に持っていかれているかもしれない。
この笑顔を見たいがために、私はいつも彼にごはんを作っているのだから。
この関係のままでいい。……とは思いたくない。
彼が許してくれるのであれば、もっと親密な関係になりたいとも思う。
でも今は彼にとって大切な時期。あまり心を乱すようなことをしてしまうのはダメだ。
かと言ってこのまま何もしないでいると、この関係のままをズルズルと引っ張ってしまいそうだ。
料理以外才能がなくて、割と人間関係に臆病な私。だからこそ、今日はちょっとだけ特別なことをして関係を前に進めたい。そう思って臨んだはずだ。
唯さんとの電話で色々話し合った上で、これならどうだろうという作戦を今から実行する。
「……あ、あのね潤之介くん」
「はい、どうしたんすか?」
後片付けが終わって、私と彼はリビングでくつろいでいた。あと三十分もしないうちに、潤之介くんは夜の稽古へ出かけてしまう。だからやるなら今しかない。
「あ、明日のオーディションで頑張れるように、お、応援してあげたいなって思ってね」
「えっ? もうチキンカツ丼とフルーツポンチでかなり応援された気がするんすけど……」
「そ、それだけじゃなくて、もうちょっとだけあるんだ……」
「もうちょっと……?」
「う、うん……あのね……」
私は彼に向かって両手を広げる。
多分顔は真っ赤だ、心臓だって高鳴っている。
でも私の潤之介くんに対する気持ちを嘘にはしたくないし、伝えられる分は伝えておきたい。
そう考えたときには、もう言葉が出てしまっていた。
「は、……ハグ、しよ……?」
「――!?」
彼の声にならない声と、爆発しそうな赤面が、余計に私をドキドキさせた。
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