第29話 この義姉、最強につき。

 潤之介くんのオーディションを翌日に控えた日。

 明日、彼が思う存分実力を発揮できるようにごはんを作ろうと私は気合を入れた。


 そういうわけで半日休暇をとり、午後から家で今日の献立を考えることにした。

 とりあえず潤之介くんの好物は入れておかないといけないなと思ったのだけれども、何もヒントがない。こういうときは誰かに頼るのが一番だと思い、唯さんに電話をしてみることにした。


『――それなら、間違いなくアレですね』

「なるほどなるほど……今日の晩ごはんはアレにします」


 潤之介くんは育った環境もあってか嫌いな食べ物がほとんどない。だから何を作っても美味しく食べてくれるという点ではすごくありがたかった。

 しかし、逆に何が好物なのかということについてはあまりわからなかった。なんせなんでも美味しいと言うし、なんでも好きだと言ってしまうから。

 

 まあ、牡蠣でチゲ鍋を作ったときはかなりテンションが高かったから、好物なのかもしれないけど。

 さすがに人生かかった大一番の前日に牡蠣はリスクが高い気がする。万が一でもお腹の調子を崩してしまったらいけない。

 やっぱり唯さんと話ができてよかった。 

 彼女もよっぽど私からの電話が嬉しかったのか、その口調は気分が乗っているように聞こえる。

 

『にしても潤之介は本当に幸せ者ですねー。人生かかったオーディションの前日に恋人からごはん作って応援してもらえるとか』

「い、いや……潤之介くんとは全然まだそういうのじゃなくて……」

『ええっ……? まだ付き合ってないんですか!? あんなに仲良いのに?』


 電話越しに唯さんの驚く声が響く。

 どうやら彼女は私と潤之介くんが既にカップル成立していると思っていたようだ。


 私はもうすっかり潤之介くんのことが好きになってしまっている。多分、以前より距離感も近くなった。

 だから他の人から付き合っているとみなされても全くおかしくないと思う。

 

 でも、まだ恋人同士ではない。


『――んもー、潤之介ったらもうあとは一押しするだけなのにヘタレなんだから』

「ひと押しって……」

『さすがに果穂さんだって潤之介から好きって言われたらオッケーしますよね?』

「ま、まあ……たぶん……」

『どうやっても失敗することなんてないのに、なんであいつはずっと躊躇っているんだか。ヘタレよヘタレ』

「あはは……潤之介くん、ここのところ稽古漬けでそっちに一生懸命だから、仕方がないよ」

『果穂さんも果穂さんです! そんなこと言ってたら、ずっと果穂さんより仕事のことを優先して放ったらかしになっちゃいますよ? ちゃんと構ってもらえるようにアピールしないと』

「構ってもらうだなんてそんな……」

『遠慮したらダメです! あいつがもっとその気になるよう仕向けないと、いつまで経っても進みません!』

「仕向けるって言っても……ねえ?」

『ほら、例えばスタミナのつく料理を出すとか』

「牡蠣の入った海鮮チゲ鍋作ったなあ……」

『あとはお風呂貸してあげるとか』

「土砂降りの日にずぶ濡れでやってきたからお風呂に入れてあげたなあ……」

『極めつけはいっしょに寝るとか』

「嵐が止まないから一晩一緒に寝たなあ……布団は違うけど」


 電話越しの唯さんのボルテージがだんだんと上がってくるのがわかった。その刹那、すうっと息を吸い込む音が聞こえてくる。

 これはこの後、めちゃくちゃ大声で叫んでくるはず。

 そう感じた私は、反射的にスマートフォンを耳からちょっと離した。

 すると、やはり唯さんは予想通り大きな声で叫んでくる。

 

『なんでそれで関係進まないの!? あたなたちは性欲とかないわけ!?』

「せ、性欲って……」

『潤之介も潤之介だし! どんだけ奥手なの本当に! 兄弟揃ってヘタレか!』


 まるでうっぷんを晴らすかのように唯さんが吠える。

 なるほど、「兄弟揃って」ということは、慎之介さんも似たような感じなのか。

 そんな彼をよく唯さんは結婚まで持っていったなと、私はただ感心していた。


『しょうがない、こうなったら私が必殺技を教えてあげます』

「い、嫌な予感が……」

『いいですか? 潤之介にはこうやって――』


 唯さんの必殺技だという、彼氏に上手に甘えるためのテクニックなるものを聞かされる。

 ……正直、それができるなら苦労はしていない。という内容だ。


「それは……ちょっとハードルが高い気が……」

『それくらいやらないとわからないんです! 大丈夫! 潤之介が果穂さんのことを拒否するわけないですから!』

「そう……だといいけど」

『なんでそんなに自信ないんですか! こんな勝ち確定の勝負、そうそう無いですよ?』

「……だって私、結局はごはん作ることしかしてないし、それがたまたま潤之介くんにウケただけで、他には何も取り柄なんてなくて、むしろポンコツだなんて言われて……」

『誰がそんなこと言ったんですか』

「も、元彼が……」


 すると、再び唯さんはすうっと息を吸い込んだ。


『そんなクソ野郎の言葉なんて全部忘れろー!!』

「こ、声が大きすぎるよ唯さん……」

『んなことどうだっていいです! 果穂さんのことをそんな風に言うやつなんてロクな男じゃないです! モラハラ男です! そんなやつの近くにずっといたから、果穂さんはちょっと認知とか自己評価がおかしくなっちゃってるんです。傷つけられたままなんですよ!』


 怒られているのか諭されているのかわからないくらい、唯さんは大声と早口でまくし立ててきた。


 雅也は確かに言い過ぎることが多かったと思う。でも間違ったことは言っていない……と、私はそう思っていた。

 だって彼は優秀で、正しいのだと主張し続けていたから。


 唯さんの言葉でちょっと気づいたかもしれない。

 実は私は、雅也の言葉によって自分が『料理しかできない人間』だと刷り込まれていたことに。


『潤之介はその元彼みたいなことはしませんし、傷つけるようなことも言いません。ちゃんとお料理以外にも果穂さんの良いところとかすごいところを知ってます』

「そう……かな……?」

『もうちょっと果穂さんは潤之介に心を開いてみてくださいよ。あいつはちゃんと、果穂さんのことを受け止めてくれるので』


 一度自分のことを受け止めてもらえなかった経験をしている私には、心を開くことに怖さがある。

 でも、それを乗り越えないとずっとこのままだ。

 もし本当に潤之介くんが私のことを好いてくれているのであれば、このままの状態でいることは彼に失礼だと思う。


 勇気がなかなか出てこなかったけれども、いよいよ私も決心するときなのかもしれない。


「……わかった。私、頑張ってみる」

『その意気です! 果穂さんなら大丈夫』

「……うん」

『というわけで、さっき言ったアレ、実行してくださいね?』

「え、ええ……?」


 本当にやるの? さすがに引かれない? 私アラサーだよ?


 頑張ろうという気持ちが湧く一方で、唯さんの提案に困惑する私であった。

  

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