第18話 嵐の夜、年下の男の子を家に泊める

 白槻くんが流し場で皿を洗っている。

 キッチンに自分以外の人が立つのは、なんとなく不思議な気分だ。


 ごはんの準備も片付けも、掃除とか洗濯だって、いつも全部自分の仕事だった。

 こんなふうに誰かが代わりにやってくれることなんてないし、やらせちゃいけないとまで思っていた。


 ちょっと手持ち無沙汰で寂しいけれど、「俺、片付けやりますよ」と言ってくれた白槻くんの気持ちがとっても嬉しかった。


「――果穂さん、皿洗い終わったっすよ。こんな感じでいいっすか?」

「う、うん。ありがとう、とっても助かったよ」

「いえいえ、困ったことがあったら何でも言ってください」


 頼もしいなあ、とそんなことをぼんやり考えていたら、窓の外がピカッと光った。

 遅れてゴロゴロという低音が建物を揺らすように響いてくる。

 

 雷が鳴っているらしい。

 それを増長するかのように、強い風も吹いている。


「うわあ、雨風がすごいね……」

「そうっすねえ……帰れるかな……」

「白槻くんは、これから稽古?」

「……の予定だったんすけど、今さっき中止の連絡が入ったんすよね。なんか電車も止まっちゃってるみたいだし」


 私はスマートフォンを取り出して気象情報のアプリを開く。

 どうやらこの嵐は今晩ずっと続くらしい。


 雨だけならレインウェアでなんとかなるかもしれないけれども、風まで加わってくると話が変わる。

 自転車が移動手段である白槻くんにとって、強風が吹くことというのは危険極まりない。


「まあ、なんとかして帰りますよ。このくらいならなんとかなりますって」

「な、なんとかなるわけないでしょ! すごい雨と風だよ? ずぶ濡れになるならまだしも、怪我なんてしちゃったらどうするの。白槻くん、役者さんなんだよ?」

「そ、そう言われても……明日は朝から別のバイトがあって……」

「とにかくいま外に出るのは危ないよ。明け方には止むみたいだから、今晩はうちに泊まっていきなよ」


 私は善意百パーセントで彼にそう言ってから、自分が何を言っているか気がついた。

「あっ」と思わず声が出てしまって、ふと白槻くんの顔を見るとやっぱりびっくりしているようだった。


「さ、さすがにそれは迷惑をかけちゃう気が……」

「そ、そうだよね、私何言ってるんだろ、ははは……」


 気まずい空気が漂う。

 しかしそんなのお構いなしという感じで、雷が激しく鳴る。

 その瞬間、白槻くんの身体が強張った。


「もしかして白槻くん、雷苦手?」

「そ、そんなことないっすよ? これくらい全然――」


 彼の強がりを打ち消すかのように、また雷が鳴った。


「ひぃっ……」

「ふふっ、めちゃくちゃびっくりしてる」

「……すみません、実は雷が苦手っす」

「と、とりあえず雷がおさまるまででもいいからさ、ウチにいなよ。一応客用のお布団もあるし」


 そう、これはお泊りではない。あくまで雷がおさまるまでの『雷やどり』なのだ。

 何かしらのイベントを期待しているわけではない。断じて。

 ……と、私は誰かに言い訳するように心のなかで呟く。


 そもそも、私がそういう対象として見られているかどうかすら怪しいのだから、考えるだけ無駄だ。

 

 私は客用の布団を敷いて、彼をそこに休ませることにした。


 時刻は二十三時を回る頃。そろそろ私も寝る準備をしなければと思い、おもむろにお風呂へ向かう。

 一応脱衣所には鍵をかけ、手短にシャワーだけ浴びることにした。


 一つ屋根の下に男女二人、夜が深まってくる時間帯、しかも荒天で外には出られない。

 なにかが起こってほしいような、ほしくないような、起こってしまったらどうしようとか、起こるわけないよとバッサリ言われたらどうしようかとか、考えても仕方のないことばかりが頭の中を渦巻いていた。

 おかげでシャワーを浴びるだけのはずが随分時間がかかってしまった気がする。

 浴室から出て部屋着に着替え、髪を乾かしたり肌の手入れなんかをしていたらあっという間に日付が変わってしまっていた。


 リビングに戻ると、客用の布団に横たわっていた白槻くんはすっかり寝息を立てていた。


「……雨の中すっごく頑張って配達して疲れてるもんね、そりゃそうか」


 そう独り言を呟いた私は、さっきまでいろいろ考えていたことがバカバカしくなって思わず笑っていた。


 乱れてしまっている彼の布団をきちんとかけ直す。

 ちらっと寝顔をみると、少し子供っぽさののこるあどけない表情。

 いつもの元気な姿とはギャップがあって、ちょっといいものを見たような得した気分になった。


「おやすみ」


 白槻くんの頭をそっと撫でたあと、私も床についた。


 


 翌朝、昨晩の嵐が嘘だったかのように晴れていた。

 私が目覚めたときには白槻くんの姿はなく、客用の布団と寝間着のスウェットがきれいに畳まれていた。

 

「朝早く出てバイトに行っちゃったのかあ。ちゃんと畳んでいくなんて真面目だなあ」


 律儀に布団を片付けている姿を想像すると、びっくりするほどしっくり来る。

 彼は育ちがいいのだろうなと、改めてそう思う。


 ふと畳まれた布団の横に書き置きがあった。

 アルバイトに行く前に白槻くんが書き残したものだろう。


『果穂さんへ、昨晩はありがとうございました。温かいごはんと風呂と寝床までいただいてしまったので、今度お礼をさせてください』


「別にお礼なんていいのに。ご飯食べてくれて美味しいって言ってくれるだけで十分なんだから。でも、そういうところも白槻くんっぽいというか……」


 書き置きを読み進めていくと、最後はこんな文章で締めくくられていた。


『余計なお世話かもしれませんが、果穂さんはもうちょっと男に対して警戒心を持ってください。今回は俺だったから良かったですけど、絶対に他の人に同じことしたらダメです!』


 えーっと……これは、どう解釈すればいいんだろう?

「他の人に同じことをしないで」というのはちょっと彼の嫉妬心みたいなのが感じられて嬉しい気がする。

 けれども、「今回は俺だったから良かった」というのは、やっぱり私は眼中にないということなのだろうか……?

 うーん、考えても考えてもわからない……。


 その日は一日中、この書き置きのことで頭がいっぱいだった。

 

 

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