第17話 潤之介くん視点 一人暮らしの女の人のお風呂ってどうしたらいいんだ……


 ひと仕事終えて果穂さんの部屋を訪れると、すぐさま風呂に入れられた。


 まあ、もともと果穂さんはこんな感じでめちゃくちゃホスピタリティの高い人だから、寒空の下で雨に打たれていた俺をケアしてくれるのはだいたい想像がつく。

 なんだか少し果穂さんがぎこちない気がしたけれど、多分それは想像以上に俺がずぶ濡れだったからということにしておこう。


 果穂さんがコンビニへ着替えを買いに行っている間、俺はお言葉に甘えてシャワーを浴びた。

 乱雑になっている自分の家とは違い、掃除が行き届いていて物も片付いている。こういうところに性格が出るのだなと俺は自嘲する。


 そういえば、シャンプーとか使ってしまっていいのだろうか。

 自分ならそういう消耗品を安物で揃えてしまうので、なんとなく大人の女性が使っている高そうなシャンプーやボディソープを使うことにためらいがあった。

 しかしそれ以外にこの浴室には選択肢がない。

 ご飯を作ってもらって、着ていた服は洗濯乾燥機に入れてもらって、着替えまで用意してもらって、本当に俺は何もできていないなと、ちょっとした後ろめたさを感じながら、ワンプッシュだけ果穂さんのシャンプーを手に取った。


 ……やばい、このシャンプー、果穂さんの匂いがする。


 いつも彼女に会ったとき、ふんわりと香ってくる優しい香り。その大元がこのシャンプーだった。

 この香りを嗅ぐとなぜか俺の頭の中は果穂さんでいっぱいになってしまって、よからぬことを想像してしまいそうになる。


 ……駄目だ駄目だ、果穂さんは大切な人。

 俺の勝手で傷つけるなんてことはしてはいけない。

 こんなふうに優しくしてもらっているのに、恩を仇で返すような真似、絶対に駄目だ。


 深呼吸して平常心を取り戻す。役者をやっていると緊張する場面なんて沢山あるので、取り乱したときの対処法ならお手の物だ。


 とにかく、果穂さんにきちんと恩返しができるようになるまでは紳士的に、そして真摯に向き合わなくては。


 シャワーを浴びて着替えに袖を通すと、キッチンからは食欲をそそるいい匂いがする。

 鍋料理。匂いから察するに、キムチ鍋みたいな類だと思う。

 寒さで冷え切った身体には、最高に美味いと感じるだろう。もちろん、果穂さんが作ったのだから絶対美味い。美味くないわけがない。


 いつも通りリビングにある座椅子に案内されると、果穂さんは目の前のカセットコンロに土鍋を置いた。

 既に煮立っていて食べ頃だ。俺が風呂から上がったタイミングに合わせて調理してくれたのだろう。こういう細やかな気遣いができる果穂さんは、本当にすごい。


 土鍋の蓋が開くと、俺は思わず声を出してしまった。


「おおー! 海鮮チゲ鍋っすね! 俺めちゃくちゃ好きなんすよ!」


 赤いスープで満たされた鍋の中央には、大粒の牡蠣が入っていた。

 実は牡蠣というのは、俺の大好物だったりする。


 幼少期に施設で暮らしていた頃、毎年のように牡蠣をお裾分けしてくれるボランティアの人がいた。

 ガキのころはその良さがわからなかったけれど、中学生くらいになったある時、その美味さに気づいた。

 それから施設を出るまで、毎年冬が近づくこの季節が楽しみになった。

 貧乏生活をしている今の自分にとってなかなか手を出せるものではないので食べる頻度こそ減っってしまった。しかし、劇団の打ち上げで居酒屋に行ったときなんかにカキフライが出てくると、こっそり一粒多く取ってしまうということはよくある。それくらい好きなのだ。


 果穂さんが呑水とんすいに取り分けてくれたので、俺は早速大粒の牡蠣を口の中に放り込んだ。

 

 ――まるで旨味の爆弾。牡蠣単体だけじゃなくて、チゲ鍋のスープとの合わせ技が炸裂した。

 今まで食べた牡蠣のなかで一番美味い。お世辞ではなく、そう断言できる。


「……めっちゃくちゃ美味しいっす! 果穂さん天才すぎっすよ!」


 意図せず笑顔になっていたと思う。果穂さんの作る料理には不思議と笑ってしまう力がある。

 すると、それを見た果穂さんの表情がちょっと緩んで少し笑顔になった。


 今日の彼女はなんだか少し元気がない様子だった。

 雨の日で気が重かったのかもしれないし、なにか悩みごとがあったのかもしれない。


 その原因はわからないけれど、とにかく果穂さんが笑顔でいてくれるなら嬉しいことだ。

 そしてもし抱えている悩みとか不安があるのならば、俺に打ち明けてくれるようになってくれればいいなとも思う。


 少しでも果穂さんのそばにいて支えてあげたい。そんな気持ちが日に日に大きくなっている自覚があった。

 だからもうちょっと彼女にふさわしい人になれるよう、努力しなければ。ただでさえ年の差という壁があるのだから。


 シメに中華麺を入れて海鮮チゲ鍋を堪能し終えると、腹ペコだったはずの俺の胃袋はすっかり満たされてしまった。


「ごちそうさまでした。もうめちゃくちゃ美味かったです、ありがとうございます」

「ううん、いいのいいの。いつも白槻くんが美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるんだよね」


 そう言って果穂さんは鍋を下げてキッチンへ持っていこうとする。

 さすがにこれだけ料理を振る舞ってもらっておいて、片付けをしないわけにはいかない。


「果穂さん、後片付けは俺にやらせてください。皿でも鍋でもなんでも洗うっすから」

「えっ……? いいよいいよ、疲れてるんだからゆっくりしてて。私にできることってこれくらいだし」


 果穂さんは俺の言動に少々驚いていたようだった。まるで自分が全部やるのが当たり前で、俺が殿様であるかのような扱い。


「そんなことないっすよ。果穂さんだって疲れてるでしょ? こんなに美味しいごはんを作ってくれたんすから、片付けくらいやらせてもらわないと割に合わないっす。ってか、片付けだけじゃまだ足りないくらいなんすけど」

「そ……そう?」

「はいっ!」


 俺は笑顔で果穂さんから土鍋を受け取りキッチンの流し台へ運ぶ。

 中華料理屋で皿洗いのアルバイトをしていたこともあるので、こういうのは慣れっこだ。


 一方で手持ち無沙汰になった果穂さんはリビングの座椅子に腰掛けた。

 慣れていないのか、ちょっと落ち着かないように見える。


 もしかすると、いままでいつも全部自分でやっていたのだろうか。

 あの元カレが手伝ってくれるとか、全く無かったのか。


 皿を洗いながら、ちょっとそんなことを想像する。

 果穂さんの嫌な思い出とか悩みとか、食器洗いの泡のように流れてしまえばいいのに。

 

 俺は、黙々と後片付けをした。

 

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