第15話 雨の日は悪いことだけじゃない

 さて、白槻くんはこの雨の中配達に行ってしまった。

 確かに雨の日はみんな外に出たくないから、デリバリーの配達員にとっては書き入れ時だ。


 でも秋も深まってきたこの時期、レインウエアを着ていたとしても雨に打たれながら自転車を漕ぐのはなかなか辛い。

 ただでさえ体力仕事なのに、寒さで余計に消耗する。


 そんな彼が仕事を終えてお腹をすかしてやってくる。となると食べたいものはやはり……


「温かいものだよねえ……それも、ちょっとスタミナ系のガツンとしたやつ」


 パッと思いついたのはカレーだった。

 熱々なのはもちろん、スパイスの効果で身体が温まる。

 肉とかにんにくとか、そういうガッツリした食材とも相性がいい。


「でもこの間もカレーだったんだよなあ……」


 先日、白槻くんの思い出のメニューだという御前崎カレーもどきを作った。

 別にまたカレーを作ることが悪いわけではないが、なんだかそれでは芸が無い気がする。完全に私の思い込みではあるのだけれども。


 とにかくカレーは封印だ。今回は別のメニューを考えねば。

 なにかヒントが無いかと、私はおもむろにテレビをつける。

 ちょうどいいところに、グルメ旅番組が放映されていた。


『今日はですね、今が旬の広島の牡蠣を堪能していきたいと思います! 何と言っても広島は牡蠣の名産地で――』

 

「牡蠣かあ、昔広島に行ったときに食べた焼き牡蠣、美味しかったなあ……」

 

『牡蠣には疲労回復に効果があるとされるビタミンB群やタウリン、加えて亜鉛などのミネラル分も豊富で、寒くなるこの時期に貴重な精がつく食材となっておりまして――』


 テレビに映るリポーターから放たれる魅力的な言葉たちによって、私の心はあっさりと決まってしまった。


「……よし、牡蠣を使ったメニューにしよう。となるとやっぱり鍋物かな?」


 牡蠣を使った上で身体が温まるようなメニュー、その条件で考えるともう鍋物一択だ。

 ただ、鍋物と一口に言っても色々ある。寄せ鍋のような和風のものから、トマト鍋のような洋風のものまで様々。


「……確か白槻くん、辛いものは平気だって言ってた。じゃあ、あれにしようかな」


 何を作るか決めた私はテレビを消して買い出しの準備をする。

 メイクをバッチリ決めるのは流石に面倒なので、目元だけ化粧してあとはマスクでごまかす。


 傘をさしてレインウエアを身に着けた私は、降りしきる雨の中スーパーへ向かった。

 店内に入ると人影がいつもより少なく、なんだか静か。雨の日にあまりスーパーへ来ることがないので、なんだか新鮮だ。

  

「……ん? なんかちょっといつもより安い気が……?」


 牡蠣を買うために鮮魚コーナーへと向かう途中、いつもより値引かれたセール品が多いことに気がついた。


「そっか、雨の日は人が来ないから値引き率が高いんだ」


 案外雨の日というのも悪くないなと、私はセール品になっている長ネギを買い物かごに入れた。やっぱり鍋物にはネギが欠かせない。


 寄り道を挟みつつ、お目当ての牡蠣がある鮮魚コーナーにやってきた。

 やはり広島産の牡蠣がいいなと思っていたら、買ってくれと言わんばかりに前面に推し出されていた。

 売れ行きも良さそうで、今日が雨の日じゃなければ早々に売り切れていたかもしれない。


 私はその中から加熱用の牡蠣パックを手に取りカゴに入れる。

 生食用と加熱用の牡蠣が存在するわけなのだけれども、今回は鍋物なので加熱用で問題ない。

 この二つ、何が違うかというと、養殖された海域が違うだけとのこと。生食用にできる牡蠣というのは、育てて良い場所というのが厳密に決まっているらしい。


 メインの牡蠣を手に入れたらあとは他の食材もカゴに放り込んでいく。

 見る人がこのカゴの中をみたら鍋をやる気満々だなというのがわかってしまうような内容だ。こういうのもたまにはいい。


 会計を済ませて、雨に濡れないよう家に帰る。

 セール品が結構あったおかげで、思っていたより安く済ませることができた。

 ちょっとしたおまけも購入したので、これは後でのお楽しみにしておこう。


 時刻はまだ夕方。

 雨の日はフードデリバリーの書き入れ時らしく、昼前から深夜まで仕事が続くこともあるんだとか。

 早く一緒に夕飯にありつきたい気持ちはあるけれど、白槻くんの飯の種ではあるので働き控えろとは言いにくい。

 

 食材の下処理だけを済ませた私は、映画でも観て時間を潰そうとリビングのテレビをつけサブスクのアプリを立ち上げる。

 なんとなくおすすめに出てきた映画を選んで、なんとなく再生ボタンを押す。

 適当に選んだそれは、年の差恋愛を題材にしたラブロマンス。

 主人公は四十歳になろうかという未亡人で、元旦那の忠実な部下だった若い男と恋に落ちていくというもの。


『――やっぱりダメ。私みたいなおばさんを好きになっても何も良いことなんてないよ。周りからはバカにされるだろうし、もう子どもも望めるような歳じゃない。それに君は私と結婚したら、会社の中でも立場が悪くなっちゃう』

『そんなこと関係ないてす。俺はあなた以外はもう考えられません。だから、今から一緒に――』


 物語の重要なシーン。

 本来ならヒーローの愛の告白に胸を打たれるところなのだろう。

 でも私にとってそれは、どこか他人事に思えなかった。

 

 白槻くんのことを意識していないというのは無理がある。

 彼は頑張り屋で、夢に向かって一生懸命で、みんなから好かれていて、ルックスだっていい。

 好きが嫌いかで言えば、間違いなく好きな方になる。

 

 しかし、この間の公演を観に行ったあとの出来事。私は彼との間に距離を感じてしまった。

 それは多分年齢差のこともあるし、頑張っている白槻くんとなんとかOLをやって毎日をしのいでいる自分との対比もある。それに、彼の周りにだって魅力的な人がたくさんいることも気になった。


 でもどこかで私は、彼に自分のことを選んで欲しいと思っている。

 気づきたくなかったけれど、気づいてしまったのだ。


 彼に私の気持ちを知ってほしい反面、知られてしまったらどうしようとも考えてしまう。

 もし白槻くんにとって私が『ただ年上でよくご飯を作ってくれる女の人』でしかなかったとき、その事実に自分の心が耐えられる気がしないから。


 だから今はただ、彼の胃袋を満たすだけの存在でいたほうが、ずっとそばにいられるのではないかとすら考えてしまうのだ。


 そんな情けない自分のことに嫌気が差してきて、私は映画の再生を止めた。

 気分ではないが、とにかく別のものを観たほうがいいと思って、バラエティ番組を適当にチョイスして再生する。


 考えることに疲れてしまっていた私は、そのまま寝落ちしてしまっていた。


 ……雨はまだ降り続いたままだった。

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