第12話 ステージ上の君はとっても輝いている

 週末、私は都内のとある小さな劇場に足を運んだ。

 普段こんなところには行かないので、その建物の外観にビビってしまっていたけれども、入ってみると案外予想通りの内装で安心した。


「いらっしゃいませ、チケットは――」

「あ、あの、取り置きしてもらってるんですけど……」


 受付には二十歳くらいの女の子が立っていた。劇団の人なのかそれともこの劇場のスタッフかわからないけれども、髪色は明るくてエキゾチックな柄のワンピースを着ていた。ウェリントンタイプの眼鏡とその背の低さが相まったせいか、なんとなく小動物チックな印象の子だった。

 

 学生時代に入っていたサークルにも似たような雰囲気の子がいたけれど、その子は結構モテていた記憶がある。

 時代は違うとはいえ、この子もかなり人気がありそう。


「えーっと、どなたから取り置きしてもらってます?」

「し、白槻くんから」

「あーはいはい、伺ってますよ。どうぞどうぞ」

「えっ……お金は……?」


 チケット取り置きということで、てっきり受付でお金を払うものだと思っていた私。すでに財布を準備していたのにも関わらず、そのまま通されそうになってしまう。


「ええっと、潤之介からタダで通していいって言われてるので……」


 そう言われ、私は肩透かしを食らったような気分になった。

 確かに白槻くんにはお礼と称されてここに招待されたわけだけれども、お金を払わずに観るのはなんだか違う気がする。

 彼だって毎日必死で稽古をしているのだ。それをタダで貰ってしまうのは、彼の努力を無に返すようなもの。

 

「それは流石に良くないです。チケット代、きちんと支払わせてください」


 受付の子は驚きを見せた。しかしすぐに気を取り直す。


「では、前売り価格で――」


 私は彼女から言われた金額を財布から取り出し、チケットの半券を受け取った。


 彼女が白槻くんのことを「潤之介」と呼んでいたことに対してなにかモヤッとするような感覚を覚えた。けれども、よくよく考えれば自然なこと。

 私よりこの子のほうが彼と距離が近いのは明白なのだ。気にするまでもない。


 普通に考えて、距離感を間違えているのは多分私の方なのだ。このモヤモヤは無視したほうがいい。

 

 ひんやりとした空気が漂うホールの中に入る。

 壁に設置されている吸音材のせいか、音があまり響かない。

 大きな劇場だと席指定があるらしいのだけれども、ここは自由席とのこと。

 私はなんとなく一番前まで行くものの、真ん中に位置取りをするのは気が引けてしまって、端っこの方の椅子に腰を掛けた。


 まばらではあるもののだんだんお客さんが集まってくる。

 用意された席の七割くらいが埋まってきたところで、開演の時刻となった。


 演劇の内容はいわゆる刑事モノ。

 現場を奔走する叩き上げの所轄刑事と、キャリア組で皆を取りまとめる管理官のコンビが事件を解決していくという作品。


 白槻くんのあのキャラクターなので、私はてっきり熱血漢な所轄刑事の役を担当しているのかと思っていた。しかしいざ開幕すると、彼はキャリア警察官の役。

 普段の配達している姿とは全く違う。

 きちんと役作りをしたのだろう、小道具のメガネをかけ、小綺麗なスーツを身にまとうと、それだけでいかにもエリートな感じが漂ってくる。


 ステージ上にいる彼の意外な一面に私は驚いた。

 まるで普段の白槻くんを感じさせないのだ。

 完全に役に入り込んでいて、キャリア警察官になりきっている。

 

 演技については素人なので詳しいことはわからないけれども、いつも観ている映画やドラマに出演している俳優さんとなんら遜色なく感じるので、相当レベルが高いということは理解できた。

 逆に言えば、このレベルでも食べていくことが難しい。役者の世界はそういうものなのだということもわかった。

 

 みんな必死で、演劇に人生をかけている。

 これにお金を払わないというのは、たとえ白槻くんの善意であっても受け取れない。

 それと同時に、自分はやっぱり雅也の言う通り「料理を作ることしか能のない人間」なのだなと、ぼんやり考えてしまった。


 気がつくと舞台はカーテンコールを迎えていて、私は無意識のうちに大きな拍手をしていた。




 終演後、私は白槻くんに渡したい物があったので劇場の中で待っていた。

 そろそろ演者たちの打ち上げが始まりそうになった頃、私の姿を見つけた彼は嬉しそうな顔で寄ってきた。


「――果穂さん! 来てくれてありがとうございます!」

「いえいえ、すっごく格好良かったよ。役に入り込んでて別人みたいだった」

「あはは……稽古を頑張った甲斐があります」

「それでこれ、差し入れなんだけどよかったら演者のみんなで食べて」


 私はずっと手に持っていた保冷バッグを白槻くんに差し出した。


「わざわざ差し入れまで頂けるなんて」

「なんだか手ぶらで来るのもなって思っちゃって」

「そんな、別に気にしなくてもいいですよ」

「まあまあ、これは私の趣味みたいなものだから。よかったら食べて」


 中に入っているのは旬のさつまいもを使ったスイートポテト。

 惜しみなくバターと生クリームを投入した、私の数少ないお菓子レパートリーの中でウケが良い必殺技級のレシピだ。


「うわぁ……最近甘いものに全くありつけなかったから、めっちゃ美味しそうっす!」

「喜んでくれたみたいでよかった。それじゃ、私はそろそろ帰るね」

「あ、あの、よかったら打ち上げにも参加していきませんか? 今日実は千秋楽――公演最終日で、いつも来てくれる常連さんも交えて大々的にやろうかなって感じなので」


 遠くの方を見ると、演者さんや常連のお客さんなどが集まってワイワイしている。

 その中の一人、先程受付にいた女の子がこっちを向いて手を振っていた。

 どうやら、白槻くんを呼んでいるらしい。


「おーい潤之介! 打ち上げやるよー! 早く早くー!」

「わかったって! 今行くから!」


 賑わっている集団からも、白槻くんを呼ぶ声が段々と大きくなる。

 そりゃそうだ、今日の彼は主役みたいなもの。打ち上げだって彼がいないと始まらない。


 そこに私がいてもいいのだろうか?

 やっぱりなんか違う気がする。


「……じゃあ、私は帰るね。よかったらまた誘って、それじゃまた」

「えっ、あっ……果穂さん……?」


 ちょっと不自然だったかもしれない。

 私はこの場所にいるのにふさわしくない気がして、足早に劇場から立ち去った。

 

 ……ああ、やってしまった。変なふうに思われてないといいなあ。

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