第11話 デートのお誘い……? いや、違うのかな?

「こ、こんばんは果穂さんっ……!」

「いらっしゃい。タイミングいいね。ちょうど完成したところだよ」


 ちょっと緊張した面持ちで白槻くんが玄関先に立っていた。

 いつも通りの自転車スタイルで、四角くて大きなリュックも背負っている。


「お……お邪魔します」

「そんなに緊張しなくていいのに。もう何回も来てるでしょ?」

「そうかもっすけど……今までは果穂さんに招き入れられていたというか……」

「あー、そうかもね。白槻くんがうちのインターホン押すのって、熱中症で倒れた日に間違えて押してきたとき以来かも」


 思えばそんなこともあったなと数カ月前を振り返る。

 結構最近会ったばかりかと思っていたけれど、気づけばあっという間に時間が過ぎてしまっていた。

 これも歳をとったせいだろうか。


「まあ、それはさておき……。例のやつ、作ってみたよ」

「……もしかして、御前崎で食べたカレーを……?」

「うん。元の味を知らないから完全再現とは言わないけれど、なかなか美味しく出来たと思うよ。用意するから待ってて」


 白槻くんをリビングに招き入れ、私はカレーを彼の目の間に出す。

 普通のカレーの香りに加えて、ちょっと香ばしい燻製醤油の香りと、かつお節の香りがする。スパイスとはまた違った食欲をそそる香りだ。


「すごいっすよ、あのとき御前崎で食べたやつと同じ香りがするっす」

「あはは、全く同じではないと思うけどね。でも、カレーと燻製の香りの合わせ技は結構いいかも」

「これ……食べちゃっていいんすか?」

「いいに決まってるじゃん。たーんと召し上がれ」

「いただきますっ……!」


 スプーンを手に取った白槻くんは、まず一口パクリ。その後、機械のようにカレーをスプーンで掬っては口に放り込むのを繰り返す。 

 よく「カレーは飲み物」なんて言う食いしん坊な人がいるけれども、今の白槻くんを見ていると本当にカレーが飲み物なのではないかなと思うくらい流れるように食べている。


 私も冷めないうちに食べることにしよう。

 

 ……うん。カツオのなまり節はなかったけれども、燻製醤油の漬けにしたのは正解だったかもしれない。

 漬ける時間が短かった割には下味もちゃんとついているし、燻製の香りもする。

 トマトの酸味、カレーのスパイス感、燻製の香り、この三点セットがめちゃくちゃ良いバランスで成り立っている。我ながらとても美味しい。


「……止まんないっすこれ。おかわりありますか?」

「うん、あるよ。余すのもアレだし食べて食べて」

「ありがとうございます!」


 白槻くんは空になったお皿にごはんを盛り、カレーを注ぐ。

 彼は私と同じでお皿の半分にごはん、もう半分にカレールーを盛り付けるみたいだ。変なところで気が合う。


「白槻くん、二杯目だし何か"味変"する?」

「味変ですか……?」

「うん。大したものはないけど、チーズとか卵くらいならあるよ。冷蔵庫の中に入ってる」


 カレーはどんな食材も受け入れるという懐の深さがある。それゆえに、トッピングも無数に存在する。

 そのまま食べるのも美味しいけれども、自分なりにアレンジを加えるのもカレーの楽しみである。と、私は思う。


「……じゃあすみません、これ貰っていいですか?」

「納豆? それでいいの?」

「はい。毎日食べてるんで、これがいいかなって」


 白槻くんが手にとったのは、納豆のパックだった。

 三個入りで売っているもので、私はよく朝食に食べるので買っている。

 安いし栄養価もあるし、なにより健康にいいので言うことないのだけれども、雅也が大の納豆嫌いだったせいで同棲中はあまり口にすることがなかった。


 逆に白槻くんは納豆を食生活の支えにしているようで、お金がない彼にとっては貴重なタンパク源なのだとか。

 身の回りで納豆が好きな人にあまり出会うことがなかったので、彼が冷蔵庫から納豆を取り出したときに少し嬉しくなったのは内緒だ。


「納豆とカレー……たまにトッピングするのは見かけるけど、美味しいの?」

「結構イケるっすよ。俺、お金がないからメシは基本的に納豆ごはんなんすけど、たまにスーパーでバイトしてる先輩からレトルトカレーがもらえることがあって、そういう日はカレーに納豆をトッピングして豪華にするのが楽しみっす」


 あまりにも清貧で健気な白槻くんに思わず涙が出てしまいそうだった。

 私の作るごはんで良ければ遠慮なくお腹いっぱい食べてほしい。


「あんなに配達頑張ってるのに、結構厳しいんだね」

「まあ、生活以外にもお金かかってますからね。役者の仕事って言っても、まだお金をもらえるようなことはしてないんで」

「そうなの? てっきり劇団とかでお金がもらえるものだと思ってた」

「人気の劇団とか、有名な俳優さんが座長をやってるところならそういうこともあるんすけど、ウチみたいな弱小はカツカツっすよ。公演をやるだけで必要経費は皆の持ち出しっすから」

「昔友達がバンドやってたんだけど、ライブのたびにライブハウスにノルマ支払ってるって言ってた。それと似たような感じだね」

「そうっすね。劇場を借りるのもタダじゃないんで。お客さんが来れば黒字になったりすることもあるんすけどね。まだまだっす」


 そう言って白槻くんは納豆トッピングのカレーをかっ込む。

 役者として食べていきたいのに、演劇をやるためにお金がかかるという状況。

 かなりのハングリー精神がないと、なかなか続けていけるものではない。


「……そういえば、果穂さんは演劇とか観ます?」

「うーん、映画はよく見るけど、劇場で観たことは……ないかも」

「あの……こんなのでお礼になるとは思ってないんですけど、よかったら今週末にウチの劇団の公演があるので観に来ませんか?」

「ほ、ほんと? 行ってもいいの?」

「もちろんっすよ。むしろ、観に来てくれるなら嬉しいっす」


 私が演劇に興味を示したことで、ちょっと前のめり気味の白槻くん。

 テンションの上がった大型犬みたいだった。もしも彼にしっぽがついていたら、今この瞬間はブンブンと振り回しているに違いない。


「じゃ、じゃあ、日時と場所はLINEで送るんでそこに来てください」

「あれ? チケットは?」

「取り置きしておくっすよ。受付で俺の名前を出してくれれば大丈夫っす」

「わかった。受付まで行けばいいんだね」


 いつも映画を見て料理をするだけの週末に、久しぶりの予定が入ったそんな日だった。

 演劇なんてほとんど観たことないけれど、なんだかワクワクしてしまっている自分がいた。


 ……そうだ、差し入れでも作っていこうか。

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