第9話 潤之介くん視点その2 連絡先……どうやって交換しよう

 「どうぞ召し上がれ」


 部屋に通されてしばらく待っていると、慣れた手つきで晩ごはんをこしらえた果穂さんが料理を運んできた。

 今夜のメニューはイワシの竜田揚げらしい。醤油としょうがのいい香りがする。


 果穂さんはビールを手に取り、プルタブを起こして口をつける。

 ちょっと茶目っ気のあるその仕草に、俺は見入ってしまっていた。

 

 ……というか果穂さん、男を部屋に招き入れて更にお酒も飲み始めちゃうなんて、どんだけ気が緩んでいるんだ?

 さっきピンチを救ったとはいえ、俺だって男なわけだし……。

 信頼を置いてくれているのだろうか? いやいやまさか。


 多分あれだ、俺が年下だから子どもみたいなものだろうと思われてるに違いない。

 学生のときとか女子のほうがちょっと大人びていたりするし、女子たちの話題に先輩男子のことはよくあがるけれども、後輩のことはあまり聞かない。そもそも眼中にないからだ。年下の男子なんて子供っぽいから。


 果穂さんも例に漏れず、僕のことを子ども……はさすが言い過ぎなので、高校生くらいの学生のように思っているのだろう。

 じゃなきゃこんなガードの緩い受け入れ方をするわけがない。


 なんて、ちょっとセンチな気分になってしまったが、果穂さんの作ってくれたごはんですぐに元気になった。

 ……やっぱり俺は結構単純なのかも。子供っぽく見られるのも仕方がないか。


 美味しいごはんに夢中になっていたところで、俺はあることを思い出した。


「あの、そういえば果穂さん」

「んー? どうしたの?」

「さっき玄関で口論してた人って……」

「あー、あれね。……いわゆる、元彼ってやつ」


 元彼。

 やっぱりそうだよなあ、と、俺は心のなかでため息をつく。

 いやいや、なんで落ち込んでいるんだ俺。そもそも俺自身が果穂さんのストライクゾーンから外れてるじゃないか。落ち込むまでもないだろうに。


 果穂さんはあんな感じの「デキるサラリーマン」な男が好きなのだ。

 身なりがきれいだし、稼ぎもいいし、顔だって良い。大人っぽかったので多分だけど年下でもない。

 別に果穂さんに限らず、ああいう感じの人を理想に掲げる女性は多いと思う。


 ……でも、元彼ということは別れてしまったということ。

 何か理由があったのかもしれない。


「なんかねー、期間限定で復縁したいからって私の家の場所を突き止めてやって来たみたいなんだよね。それで話があるからうちに入れてくれって」

「えっ……それってもう立派なストーカーじゃ……」


 俺は嫌な記憶が頭をよぎった。

 思い出そうとすると呼吸が苦しくなってしまいそうになるので、とにかく今は果穂さんの話に集中しろと邪念を振り切る。


「まあ、次来たら今度は警察呼ぶよ。だから大丈夫大丈夫」

「だ、大丈夫じゃないっすよ。そういうの、油断したら絶対にヤバいっすから」

「心配してくれてありがとう。まあ私のことは気にしなくてもいいからさ、どんどん食べて食べて」

「気にしますよ。だってそれ、めちゃくちゃ危険じゃないっすか。『復縁したい』っていうのは口実で、本当は家の中に入り込んで果穂さんに乱暴したいだけとか、あり得るんすから……」

「……じゃあさ、白槻くんがうちに毎晩ごはんを食べに来ればいいんじゃない?」

「……ん?」


 予想斜め上からの果穂さんの提案に、僕は素でびっくりしてしまった。


「それは……僕に元彼避けの用心棒みたいなことをしてくれってことですよね?」

「んー、まあ言葉は良くないかもしれないけど、そんな感じ。もちろん、ごはんは腕によりをかけて美味しいものを作るから安心して」


 俺は困惑してしまった。

 いや、頼ってくれるのは正直嬉しい。果穂さんのごはんが食べられるのもめちゃくちゃ嬉しい。


 でも、果穂さんはそんなにあっさり俺を毎日のように家に招いて大丈夫なのだろうか?

 それはやっぱり、俺自身が男として見られていないからじゃないだろうか?


「……やっぱり不満? そうだよね、白槻くんはめちゃくちゃ頑張ってるのに、そのお返しがごはんを作るだけって、微妙だよね」

「い、いえ、そういうわけではなくて……。果穂さんのごはんが毎日食べられるならそれはもうめちゃくちゃありがたいことですから」

「そう? ならよかったー。私料理するくらいしか取り柄がないからさ、こんなんでよければ毎日やるよ」


 お酒が回ってニカっと笑う果穂さん。

 その笑顔とは裏腹に、なにか自分を卑下しているようなそのセリフ。

 妙に胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 どうしてこの人は、こんなに寂しそうな笑顔をするのだろう。

 その裏にある彼女の気持ちが知りたくて知りたくて仕方がなくなった。

 

「……」

「……どうしたの? やっぱり無理?」

「い、いえ、全然そんなことないっす。やります、やらせてください」

「そっかー、めちゃくちゃ助かる」

「でも一つお願いがあるんすけど、いいすか?」

「んー? なあに?」

「そんな感じで『自分には取り柄がない』とか、あんまり言わないでほしいなって……」

「……わかったよ。言わないように気をつける。白槻くんも気を使っちゃうもんね、ごめんごめん」

「ま、まあ……それならいいんすけど……」

「じゃあ早速だけど、明日からよろしく頼むよ。今日みたいな時間に来てくれれば大体家にいるからさ」


 そう言って缶ビールを一口飲む果穂さん。

 恩返しをしたい気持ち、もっと彼女のことを知りたい気持ち、守ってあげたい気持ち。

 いろんな感情が俺の中に渦巻く。


 考えてばかりじゃダメだ。行動するしかない。

 俺は思い切って、果穂さんに一歩踏み込んでみることにした。


「じゃあ果穂さんの連絡先教えて下さい。電話でもLINEでもなんでもいいっすから」


 そう言ったときの俺は、ものすごくドキドキしていた。

 この心音を果穂さんに聞かれていたら超ダサい。あまりにガキすぎて彼女の好きな大人っぽさとは正反対だ。


 まあ、無事に何事もなく果穂さんと連絡先を交換できたのだけれども。


 ……思えば、学生の時から振り返っても自分から女の人に連絡先を聞いたことなんてなかった気がする。部活とかバイトとかで一緒になった人は別として。

 

 ずっと演劇とバイトに打ち込んできたから、女の子と遊ぶことだってなかった。告白されたこともあったにはあったけど、それどころじゃなくて振ってしまっていたし。


 でも今回は違う。初めて自分から、この人のことを知りたいと踏み込んだ。

 何が俺をそうさせたのかはよくわからない。

 果穂さんのためだったら、俺はなんでもやってやるという、そんな気持ちだった。


 感情がごちゃごちゃでわけがわからなくなってきた。

 とにかく今は、明日のカレーを楽しみに頑張ることにしよう。

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