第3話 彼が小学校に入ったとき、私は中二……!?

「――い、いただきます!」


 彼は両手を合わせたあとすぐに箸を取り、そうめんをかっ込み始めた。

 よっぽどお腹が空いていたのか、その食べっぷりは見ていて気持ちがいい。


「これ、めちゃくちゃ美味いっす! そうめんにコシがあるし、トマトと相性良いっすね」

「でしょ。夏はよく作るんだよね。食欲なくても啜れちゃうし、栄養バランスも良いし」

「そうめんってめんつゆで食べる以外にこんな食べ方があるんすね……」


 彼は関心した様子。そして箸の勢いは止まらない。

 こんな風に美味しそうに食べてくれると、作った身として嬉しくないわけがない。

 

 そういえば元彼には「美味しい」なんて言われたことなかった気がする。

 ごはんを作る以外は無能みたいな言われ方をしていたので、逆に考えれば不味いとは感じていなかったのかなと思う。それにしたっていつも仕事の愚痴ばかりで作ったごはんに対する感想すら言わないのはやっぱり寂しい。

 だから彼が今「めちゃくちゃ美味いっす」と言いながら食べてくれることに、私は心の中にぽっかりと開いた穴が満たされていくような幸福感を覚えていた。


 しかも彼が食べている姿はすごくいい画になる。美形で俳優さんみたいな彼が私の作ったごはんを「美味い美味い」と言って食べてくれるその姿を観るのは、なんだか癖になってしまいそうだ。

 ずっと観ていてもいいのであれば、永遠に眺められる。幸せな光景。


 もしかすると私は、根本的に誰かにごはんを作ってあげたい「餌付け体質」なのかも。

 ……そんな体質がこの世に存在するのかは知らないけれど。


 そうこうしているうちに彼はツナトマトそうめんをあっという間に平らげてしまった。

 多めに麺を茹でておいてよかった。彼の食べっぷりなら、うちにあるそうめんの在庫を一掃しそうだ。


「ごちそうさまでした。本当に美味かったです、ありがとうございます」

「いえいえ、『美味しい』なんてめったに言われないから、こちらこそ嬉しいです」

「それで……なんとお礼をしたら良いか……」

「そんなの気にしなくていいよ、元気になってくれればそれでよしって感じ」

「でも、そういうわけにも……」


 彼は困惑していた。どうやら見かけによらず、受けた恩は返したいという義理堅い性格らしい。


「じゃ、じゃあ、せめてお名前と連絡先を教えて下さい。自分……その、役者をやってて。こんな感じで配達しながら食いつないでいる身で金が無いので、すぐにはお礼できないんですけど……」

「役者……やっぱり俳優さんだったんだ」

「え、ええ。全然売れてないのでフリーターみたいなもんですけど」


 彼は恥ずかしそうにそう言う。

 上背があって、顔が整っていて、声もきれいで良く通る。私が芸能プロダクションのスカウトだったら、ちょっと声を書けてしまうかもしれない素材だ。

 なにかきっかけがあればすぐに売れそうな気がしないでもないが、どうやらまだまだ駆け出しらしい。


「なのでその、出世払いみたいで申し訳ないんですけど、きっとお礼をしますので……」

「じゃあ、そのお気持ちだけ貰っておこうかな」

「いやあの……お名前くらいは……」


 私ははぐらかそうとしたけれど、なかなかに彼は食い下がってくる。

 仕方がないのでとりあえず名前くらいは教えておくことにする。


「私は大黒おおぐろ果穂かほっていいます。普通の会社員です」

「果穂さん……ですね」


 ナチュラルに下の名前で呼んでくるのでドキッとしてしまった。

 会社では「大黒さん」だし、元彼なんて最後の方は名前ですら呼ばなくなっていたので、久しぶりに「果穂」と呼ばれた気がする。


 この嫌らしくない距離の詰め方……多分だけど彼、めちゃくちゃモテる。


「ええっと、俺は白槻しらつき潤之介じゅんのすけっていいます。役者やってるときも、同じ名前で」

「白槻くんね。……ちなみに、歳はいくつなの?」

「二十歳っす。誕生日がまだ来てないんで、もうちょいで二十一っすね」

「二十一……」


 私は先月誕生日を迎えた二十八歳なので、白槻くんとは学年で言うと七つ差。

 ……ということは、小学校すら被っていない年齢差だ。

 彼が真新しいランドセルで小学校に通い出した頃、私は被りたくもないヘルメットを被って渋々自転車通学をしていた中学二年生ということになる。

 ちょっとしたジェネレーションギャップがあってもなんら不思議ではない。


 年齢を聞いてしまい、ちょっとだけ白槻くんのことを遠く感じてしまう。

 いや、これはただ私が歳をとっただけなのが悪い。


「……あの、今日のこと絶対忘れないので! 必ずお礼をしに来るので」

「う、うん、わかったわかった。身体に気を付けて頑張ってね」

「はい! ありがとうございます!」


 配達用の大きなリュックを背負い直した白槻くんは、部屋を出て再び仕事へ向かった。


 ……まあ、もう彼と会うことはないだろう。おまけにこんな口で交わした約束なんてすぐに忘れてしまうに違いない。

 でも、颯爽とした彼の姿とその礼儀正しさはとても良いなと思った。

 もし彼が売れっ子俳優になったら、ひっそりと応援しよう。


 そんなことを考えながら、私は食べ終わった食器を洗っていた。


 思いもよらない形でまた彼に会うことになるなんて、このときは思っていなかったわけなのだけれども。



※朝8時を目処に更新していきますのでよろしくお願いします!

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