第13話
ショルカの胸で泣いていたアムアは、しばらくすると我に返ったように起き上がり、ベッドに腰かけた。
「もう、いいのか?」
ショルカは横になったまま、目だけ動かしてアムアを見る。彼はベッドに腰かけたまま振り返った。
「・・・まだ、居ます」
そう言うアムアが着ているガウンの胸元が、随分と開いていた。何だか気まずさを感じ、ショルカは目を逸らす。普段かっちりした正装ばかり見ているから、こういうくつろいだ服装だと違和感を覚える。男らしい恰好をしてくれないと、どこからどう見ても美しい女だ。
アムアは遠慮なく布団に潜り込み、ショルカに寄り添うように寝そべる。顔を向かい合わせると、二人はどちらからともなく笑い合った。
「明日、午前中には出発するんだろう。もう寝よう。休まないと」
そう言った王に、アムアは少しの躊躇いを見せた後、口を開く。
「・・・謝らなきゃいけないことがあって」
「何だ?」
何を言われようと、自分がアムアに怒ることなんてあるはずがない。ショルカは美しいヘーゼルの目を見つめ、言葉を待った。沈黙の中で、お互いの鼓動が聞こえる。
「ソファのことです」
「ソファ?」
思いがけない単語に、聞き返した声が上擦る。ショルカは横になったまま、自分のソファがある方向を指さした。
「あれか?」
「あれ、ですね」
十一歳の誕生日に、アムアが贈ってくれたソファ。ショルカは、幼い自分が言った我儘を思い出す。父との思い出のソファをどうしても持ってきてほしい、壊れていて座れない状態でも構わない。そう言って、随分と駄々をこねたものだ。
「もう、十年近く経つのか。あの時は困らせたなあ、懐かしいと言ってよいものか」
ソファを指していた指先で、苦笑いしながら頬をかくショルカ。視線を逸らしながら、アムアが言った。
「あれ・・・偽物です」
そして申し訳なさそうに、唇を結んだ。
ショルカは無言で、アムアの髪を撫でた。抱き寄せるか躊躇し、やめる。
「気にしてたのか?あの日から、ずっと」
「・・・ええ」
ショルカは息を吐き、目を閉じた。そして告げる。
「気づいてた」
「えっ?」
「大きさとか、高さとか、布の色とか・・・凄く似てるけど、微妙に違ってて」
そこまで言うと、王は目を開け、ゆっくりと体を起こした。ベッドから降り、ソファに歩み寄る。撫でるように優しい手つきで、布の破けた背もたれに触れた。
「覚えてるんだ、今でもしっかりと。あのソファの手触りも、匂いも、傷のついた場所も。あの頃の私は、もっと確かに覚えていた。気づかないはずがないさ」
「・・・すみません」
泣きそうに眉を寄せて、アムアが上半身を起こした。しきりに謝る側近に視線を向け、王は言う。
「お願いだから、謝らないでほしい。このソファは私の宝物だ」
「どうして。それは、あなたが欲しがった思い出の品なんかじゃない。ただの汚れたソファです。似た大きさの骨組みに、似た色の布をかぶせて、わざと破きました。それから石で叩いて、何箇所か傷をつけた」
アムアはシーツを掴み、顔を伏せた。
「あなたがソファに座って、愛おしそうに傷や破けた布を撫でるのを見るたびに、罪悪感に襲われていました。喜んでいるのだからこれでいいと思う反面、やっぱり申し訳なくて」
「・・・謝らないでほしいと、言っているじゃないか」
ショルカはそう言うと、アムアが作った偽物のソファに腰かけた。背もたれにもたれて、真っすぐ前を向くと、ベッドの上の側近と目が合う。
「それを本物の生家のソファだと思い込んで、大切にしているのだとばかり思っていました。最初から分かっていたんですね。その上で、思い出でも何でもない傷跡をなぞっていたんだ。手に入らない、本当の宝物を思い浮かべながら」
「違う。それは違うぞ」
アムアの言葉を遮るように、ショルカは言い放った。
暫くの沈黙の後、アムアが呟く。
「・・・想像していたより、ずっと哀れだ」
「話を聞いてくれ、アムア」
悲しげな表情の側近の顔を、ショルカはじっと見つめた。
「十一歳の誕生日、あのときの私の部屋にソファを運んでくれた時、お前は手を怪我していた。白い手袋に、ほんの少し、血が滲んでいた」
王は目を細め、思い出す。アムアが数人の従者と共に、ソファを運び入れてくれたあの日のことを。得意げに振る舞う彼の笑顔はぎこちなく、贈られたソファはよく似た偽物だった。
「私のために、それらしいものを作ってくれたんだろう?骨組みをわざと傷つけるときに怪我するくらい、必死に」
よく通る穏やかな声が、部屋に響く。王たる者の声だと、アムアは思う。名君と呼ばれた先王に、そしてあの人に、よく似ている。たとえどれだけ離れようとも、この声を必ず聞きつける自信がある。
「このソファは、私にとってかけがえのないものだ。生家のソファと同じくらい」
アムアはベッドから降り、吸い寄せられるようにショルカへ歩み寄った。王の目の前で立ち止まり、精悍な顔をじっと見つめる。
ショルカは手を伸ばし、濡れた目をした側近の右手を優しく握った。そしてそっと引き寄せ、確かめるように華奢な手の甲を見つめる。
「残るほどの怪我じゃなくて良かった。私の宝だ。あのソファと、この手が」
温かい、そう思いながら、アムアは王の手を握り返した。そして、思い返す。ショルカのために、彼の生家へソファを取りに行ったあの日のことを。
一年の間、何の手入れもされなかった家は、思ったよりも荒れていなかった。薄い窓が割れ、吹き込んだ雨や風に晒されたために目当てのソファは少し傷んではいたけれど、ほとんど姿を変えていない。同行してくれた数人の従者の力を借り、馬車に乗せて持ち帰った。確かに、城まで運んだのだ。
まさか馬車からおろした途端、先王に見つかるとは思わなかった。一目であの家から持ってきたものだと気づいた彼は激高し、目の前で焼いて処分するよう命じた。思い出のソファには火がつけられ、布は焦げて炭になり、親子の記憶が宿った傷は失われた。
アムアの目に、涙が滲む。焼け落ちたソファを、そして確かにそこへ欠片を残していた、あの人を思い出す。コーグ国の者にしては色が白く、長身で、優しい笑顔の持ち主だった。彼はショルカの容貌の中に、確かに面影を残している。
「・・・陛下はお父様によく似てらっしゃいますね」
「いきなり、どうしたんだ」
アムアの言葉に戸惑いながらも、ショルカは父の面差しを思い浮かべた。
「父はとても優しい顔立ちだった。皆、私は先王にそっくりだと言う」
「あなたは似ていますよ、お父様に」
そう言うと、精悍な王の顔をじっと見つめ、逞しい体を抱きしめた。まるで壊れ物に触れるかのように、そっと。
他の誰も、ショルカ自身さえ、気づかないくらいのかすかな面影かもしれない。しかしアムアはその表情や動作、顔立ちに、忘れることのない彼を感じる。私はあなたがどこへ行っても、どんな姿になっても、必ず見つけ出すと誓ったのだ。
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