第12話

結局送り出す言葉を思いつかないまま、アムアがレラ国へ出発する前日を迎えた。形式的な仕事の話以外で、ずっとまともに口すらきいていない。ショルカは深いため息をつく。

「・・・元気がないな」

夕食が並んだ食卓の向こうから、フィレーヒアが声をかける。ショルカの部屋で共に食事をすることは、すっかり習慣になっていた。

「いや、元気だよ」

「そうか?食事、全然進んでないし」

怪訝そうなフィレーヒアに、ショルカは微笑んだ。

「まさかお前に、食事をとらないことを心配される日が来るとはなあ」

からかうような口調の王を、美しい瞳が睨んだ。その端麗な面差しを眺めながら、顔色が良くなったな、と王は思う。

透けるように色が白いのは出会った日と変わらないが、青白さは消え、頬にはかすかな紅色が差した。骨が浮くほど痩せていた首筋も腕も、華奢ながらも痛々しくはない。折れそうに儚げな華は、艶めいた可憐な華へ印象を変えた。

そして何より表情が豊かになったと、ショルカは思う。傷ついて表情を失くしたあの姿を思い出すと、胸が痛む。笑みと呼んでよいのかわからない、かすかに緩んだ表情も愛おしかったが、今の方が何倍も好きだ。

いつまでも自分を見つめ続ける王に、フィレーヒアが不思議そうに尋ねる。

「私の顔が、どうかしたか」

「いや、二週間やそこらで、変わったものだと思ってな」

「太ったかな」

大してありはしない頬の肉をつまむフィレーヒアを見て、ショルカは声を上げて笑った。


アムアが王の部屋を訪れたのは、ショルカがベッドの中でまどろみ始めていた深夜だった。明日、彼が出発の時、何と声を掛けたらよいのだろう。遠のきかけた意識の中でアムアを思い浮かべていたショルカは、ベッドの傍らに立つ当の本人に気づき、ここは夢の中かと疑った。

覚め切らない頭のまま上半身を起こし、アムアの顔をじっと見る。女のような美貌が、疲れのためか少しやつれていた。

「すみません、勝手に入って」

俯き、そう謝罪するアムアに、驚きながらも王は首を横に振る。

「お前なら、構わないよ。ちょうど、話もしたかったんだ」

その言葉を聞いて、アムアはベッドに腰かけた。王の方を向き、口を開く。

「何ですか?お先にどうぞ」

「いや、その内容をずっと考えてて・・・」

うまく説明できないショルカが言葉に詰まるのを見て、アムアは小さく笑った。

「・・・おかしな人ですね」

力ない笑みだが、それでも表情が和らいでくれると少しは安心する。気を取り直し、ショルカは尋ねた。

「アムアの用事は何だ?明日の朝じゃ駄目だったんだろ、こんな時間に来るなんて」

「そうですね、朝じゃ駄目だ。本当は、もう少し早い時間に来たかったんですが」

そこまで言って、アムアは黙り込んだ。ショルカの方を向いたまま、目を伏せる。

沈黙に耐えきれず、王は尋ねた。

「・・・どうしたんだ?」

言葉を促され、有能な側近は視線を上げた。意を決したように、口を開く。

「大仕事を控えて、緊張で気が触れたと思ってもらって構いません。お願いがあって来たんです」

「私にできることなら何でも聞こう。アムアの願いなら、何でも」

いつになく深刻そうな表情の側近を安心させるべく、王は優しい声で言った。じっと目を見つめ、言葉を待つ。

「一緒に寝たいです。あなたとここで、朝まで」

ヘーゼルの瞳で見つめ返し、アムアは願いを告げた。

言葉を理解するのに時間がかかり、ショルカはしばらく何も言えなかった。やはりここは夢の中なのだろうかと、疑い始める。

視線を泳がせる王の大きな手に、アムアがおそるおそる指先をのばした。少しだけ触れてすぐに離したその一瞬に、確かな体温を感じた。

夢じゃない。現実だ。ショルカはやっと確信する。不意に、アムアが王の愛人だったという噂が思い出された。下種な勘繰りだと思っていたが、いや、まさか・・・。

「別に抱いてくれなんて言ってません。ただ、そばにいたいだけです」

俯いてそう言ったアムアの目から、光るものが落ちるのが見えた。

こんな状態のアムアを、拒むことなどできるはずがない。ショルカは彼を迎えるように、長い両腕をそっとのばした。

「・・・おいで」

アムアは飛び込むように、王の胸に抱き着いた。思わず、衝撃で仰向けに倒れたショルカは、小さな体を守るように抱きしめる。アムアの涙が寝巻のガウンに染みた。

「・・・もしかして、泣ける相手が欲しかったのか?」

あやすようにアムアの背中を優しく叩きながら、ショルカが言った。

「好きなだけ、こうしていて構わない。これからだって、いつでも来るといい。お飾りの馬鹿な王のもとでは、泣きたいときくらいあるだろう」

アムアが鼻をすすり、かすれた声で言葉を返した。

「本当に、馬鹿ですねえ・・・」







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