第11話
数日が経ち、アムアがレラ国へ向かうのは一週間後と決まった。ショルカは、何と言ってアムアを見送ってよいかわからず、溜息をつく。自分の浅はかな考えのために、有能な側近は危険を冒して隣国へ向かうのだ。
朝の光が差し込む王の部屋で、ショルカは朝食も喉を通らずに悩ましい表情をしていた。傍らに控える侍女が、優しく声をかける。
「何か、温かい飲み物でもお持ちしましょうか」
「・・・いや、大丈夫だ。ありがとう」
力なく笑う王を見て、何か明るい話題をと思ったのか、侍女が言う。
「美しい魔法使いの方、最近ベッドで眠られるようになりましたよ。お食事も少しずつですが、摂られていますし」
それを聞き、ショルカは彼の美しい面差しを思い浮かべた。アムアに紹介してなぜか不機嫌にさせてしまったあの日から、彼とは顔を合わせていない。
「・・・元気なら、良いことだ」
「お忙しくなければ、是非お会いしてあげてください。寂しそうですよ」
微笑む侍女に、ショルカは不安げな表情を見せる。
「彼は・・・私には、会いたくないんじゃないか」
切ない声音で呟く王に、侍女は明るく答えた。
「いいえ、会いたいはずですよ。嫌われていないから大丈夫って、申し上げたじゃないですか」
「そうだろうか・・・」
所詮お飾りの王に、差し迫った用事などなかった。この後彼の部屋に行ってみるか。そういえばあの時、名前を教えてくれるはずだったのに。朝食のパンを齧りながら、ふと思った。
彼の部屋の前でしばらく迷った後、ショルカは意を決してノックする。いつも通り反応は無いだろうな、そう思った途端にドアが開き、数日ぶりに会う美しい華が姿を見せた。
「まさか、出迎えてくれるとは」
予想外の展開に、ショルカは驚きながらも微笑む。しかし、部屋の中へ足を踏み入れようとした王を阻むように、美しい魔法使いはドアを閉めようとする。
「ちょっと、やめてくれ。どうしたっていうんだ、一体」
暫くドアを押し合い、やっとのことでショルカは部屋の中へ入った。力比べに負けた華の表情は、幾分不満そうに見える。体格的にお前が勝てるわけないだろう。ショルカは思ったが、口には出さなかった。
何かを言おうとして、彼が可憐な唇を開く。ショルカは彼の言葉を待った。数日前には痛々しい程にこけていた頬が、わずかに丸みを帯びている。元気そうだ、そう思った。
「・・・嫌われたのかと、思った。全然来ないから」
悲しみを孕んだ声が、ショルカの耳に届く。どういうことだ。私が、お前を嫌うだって?混乱した頭を抱え、王はしゃがみこんだ。
「お前が、私を嫌いになったんじゃないのか?」
ドアにもたれて立っている美しい人に、ショルカが問いかける。かすかに眉根を寄せ、彼はそれに言葉を返した。
「・・・なぜ?」
「だって夕食の時、急に席を立ったろう。結局、名前も教えてくれなかった」
しゃがみこんだままそう言い、ショルカは彼の顔を見上げる。自分を見下ろす美しい瞳と、視線が合った。
見つめ合ったまま、しばらく時間が流れる。先に目を逸らしたのは、華の方だった。
「・・・嫌ってない」
華は小さな声で、でも確かにそう言った。その言葉を聞いた王は息を吐き、立ち上がった。
「なら、良かった」
そう答え、ショルカが微笑む。少しの沈黙を経て、言葉を続けた。
「お前は、気持ちを口に出すのが苦手なようだな」
王は息を吐き、ベッドに歩み寄ると腰かけた。
「私は、察するのが苦手なんだ」
だからお前がちゃんと言葉にしろ、とは言わない。苦手なもの同士、おあいこだ。
天井を仰ぎ目を細めたショルカのそばへ、彼が歩み寄る。ほんの少しの躊躇の色を見せた後、すぐ隣に腰かけた。
光の色をした美しい髪が、撫でるように王の肩に落ちかかる。体は触れていないけれど、体温を感じる近さだ。長い金髪は、今日は結わかれていなかった。
「・・・フィレーヒアだ」
か細い声が、そう告げた。ショルカは、彼の美しい横顔を見る。大きな瞳が、目の前の王の顔をしっかりと見つめる。そして、もう一度言った。
「私の名前。フィレーヒアだ」
ショルカは頷き、その名を呼んだ。
「フィレーヒア」
綺麗な音の名前だ。彼によく似合う、ショルカは思った。
「吹き抜けていく風のような響きだな」
そう言われて照れたのか、フィレーヒアが目を伏せる。暫しの沈黙の後、小さな声で問いかけた。
「お前は・・・ショルカは、どんな願いを叶えてほしいんだ」
「願い?」
ああそういえば、そんな話があったな。ショルカは思い出す。主と認めた人間の願いを、叶えるとかいう。
自分の一番の望みは何だろう、王は考えを巡らせた。レラ国との戦争を回避すること。アムアが無事に帰ってくること。いや、ルタ国王が我が国への敵意を失くすことだろうか。
「・・・皆が幸せな世界でありますように」
色々と考えた挙句、ショルカはそう言った。子供のような願いだと笑うだろうか、そう思ってフィレーヒアを見る。彼は、その面差しに意外そうな色を浮かべ、王を見返した。
「長く生きてきて、王にもたくさん出会ってきたが・・・そんなことを言う奴は初めてだ」
「生憎、私はお飾りの王でな」
自虐的に笑うショルカ。フィレーヒアは、首を横に小さく振る。
「・・・立派な王だぞ」
そう告げると、彼は細い体を王の逞しい肩にもれさせた。
「いつかその時が来たら、必ず叶えてやる」
「なあ、主と認める条件って何なんだ?」
ショルカは尋ねながら、肩にもたれる美しい人に触れてよいものか悩む。大きな手が、フィレーヒアに近づいたり離れたりを繰り返した。
「・・・秘密だよ」
短く答えると、煮え切らない逞しい手を、華奢な両手が包むように捕まえる。そして大切そうに、優しく握った。
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