第36話 たった一つの泥臭いやり方 その2

「俺は昼間に振られてゲイに目覚めた。ある男を好きになったんだ。だから今は昼間のことをなんとも思わない。女子に対して興味がない。下着なんてただの汚い布だ。盗もうなんて考えひとつもない」


 隠しておくべきと忠告された秘密を告白した俺は円卓を見渡した。

 昼間は重そうな一重瞼を大きく開け、左近寺はクリアフレームの奥にある目を点にして、金井はぽかんと大口を開けている。三者三様、それぞれが度肝を抜かれている、耳を疑っている。猫を踏んだような顔を浮かべていた。

 しかし、すべてを知っていたピニャは、強く訴える俺を見て、悲しげに表情を歪めるだけだった。彼女には稀代の大嘘つきが大立ち回りをしているように見えているのだろう。二人の間にすでに信頼はない。裏切ったと勘違いされている。騙されたと思い込んでいる。ゆえに片瀬は、俺の口から吐き出される言葉が本物とは思えないのだ。


 分かっていたことだが、やっぱり辛い。

 桜色の目に浮かぶのは失望だ。

 それでも……。

 折れそうになる心を無理やり奮わせる。

 ここで終わりじゃない、終わっちゃだめだ。

 大胆に秘密を暴露しただけで議会を掌握することはできない。

 いつだって彼女は機械のように判断を下す。

 彼女を説き伏せられなければ勝利はない。

 言葉だけじゃ、


「──馬鹿馬鹿しいわね」


 日暮奈留は誤魔化せない。

 煌めく黄金の髪を後ろに払って、足を組んだ彼女はつんと上を向いて言葉を続けた。

 すべてを見通すような鳶色の瞳が俺を正面から睥睨へいげいしていた。


「耳を疑うような秘密の告白と、唾を飛ばすような強い語り口調で、ぜんぶ誤魔化そうという腹づもりなのでしょう? 私は騙されないわよ。女に興味がないから昼間さんのことは好きじゃない。それどころか男が好きで、自分はゲイだって? つい先日、昼間さんに告白しておきながら同性愛者を語るの? 短い間に恋愛思考や性的嗜好が変革したとでも言いたのかしら? ちゃんちゃらおかしいわね。どうしてそんな言葉を信じなければならないのかしら。袋小路に追い込まれた鼠が、無我夢中で足掻いているようにしか見えないわよ。見苦しい、聞き苦しい。これ以上同じようなことを訴えるつもりなら黙りなさい。もはやあなたの言葉を聞く気にならないわ」


 円卓に冷や水を浴びせるような日暮の言葉が、動揺していた三人を平静な状態に戻した。騙されたと思ったのだろう、渋い顔でこちらを睨んだ。誰も俺の言葉を信じていない。これ以上、同じ言葉を重ねても無駄なことは明白だった。

 それほどまでに、日暮の発言は力強い。正しく聞こえる。

 だからこそ俺には、そんな彼女の理路整然とした言葉を破壊するような行動が必要だった。

 言葉じゃ足りない。口だけじゃ彼女を上回れない。日暮奈留を越えられない、片瀬比奈に認められない。捨て身でもやけくそでも無謀でも破滅的でも、俺は必死に「俺」を表現しなきゃならない。

 スマホを取り出し電話帳を開く。

 あいつ、ロインやってねぇからな。

 俺は電話のコールボタンを押した。


「そう言われると思ってたよ」

「あら、そう。それじゃあ演説ご苦労様。つまらない嘘だったわ」

「だから、今からすべてを証明する」

「……まだ諦めないのね。それで、どうやって証明するの?」

「こうやってだよ」


 スマホの呼び出し画面を円卓に向けた。

 画面に表示されるのは『手塚悠馬』の四つ文字だ。


「──は?」


 なぜ、今、悠馬に電話をかけているのか。なにひとつ理解できないと、日暮は眉をひそめてみせた。俺はそんな彼女をほったらかしにして、愕然とこちらを見つめる片瀬に語りかける。たぶん彼女は俺が何をするつもりか勘づいていた。それでも、ちゃんと、言葉にして伝えたかった。俺の本当を、すべてを伝えておきたかった。


「なぁ、ピニャ。ずっと黙ってて悪かったな。あんな状況じゃ、信じられなくて当然だよな。俺、本当に悠馬が好きなんだよ。だから悠馬に近づいたんだ。昼間の恋路を邪魔したいとかそんなの関係ねぇんだ。ただあいつの近くにいたかったんだ。あいつとたくさん話したかったんだ。俺さ、最初、悠馬のこと嫌いだったんだよ。悪い噂を馬鹿みたいに信じてさ、昼間に振られたのもあいつの悪行のせいだって思い込んでた。それで昼間のことを助け出さなきゃって、あいつのことを調べているうちに、本当の悠馬を知ったんだよ。愛想はないし、口数は少ないし、見た目だってめちゃくちゃ怖い。けどさ、あいつは当たり前に人助けができるような、すげぇ良い奴なんだ。とんでもないほど辛い思いしてるのに必死に前向いて頑張って生きてるカッコいい奴なんだ」


 電話のコール音が鳴る。

 悠馬はまだ出ない。

 俺は続ける。


「俺は悠馬の声が好きだ。地獄の底から響いているのかってくらい恐ろしかったあの声が、いまはずっと聞いていたいくらい心地良く響く低音に聞こえる。俺は悠馬の目が好きだ。鋭くて、見つめられるだけで背筋が凍ってたあの瞳が、いまは俺以外を見ていると無性に寂しいとすら感じる。悠馬のいない人生なんて考えられない。あいつは俺の恋愛嗜好をぶち壊すほど良い男だったんだ。お前ら、見る目あるよ。悠馬のことを好きになるなんてセンスいいよ。けど、気に入らない。だってお前らはライバルだから。悠馬を取り合う恋敵だから。俺にとってお前らは悠馬に群がる卑しいメスブタだ。お前らの誰一人にも、あいつの心を奪われたくない。だから、先に行かせてもらう」


 コール音が止む。

 スピーカーモード。

 悠馬の声が第二文芸部室に響いた。


『もしもし。どうした、湾太郎?』


 抑揚の薄い、いつもの低い声。

 口を開く。

 喉が締まる。

 怖い。

 怖気付きそうだ。

 唾を飲む。

 舌を噛んだ。

 痛みに感覚が集中する。

 恐怖が薄れた。

 その隙間を縫うように、俺は電話口に話し始める。


「悠馬、伝えたいことがあるんだ」

『……そうか。なんだ?』

「いきなりこんなこと言われても困ると思うし、気持ち悪いかもしれないけど聞いてくれ」

『……ああ、わかった』


 俺は彼に本音をぶちまける。

 どうなるか、薄々分かっている。

 それでも、止まることはしなかった。


「悠馬、俺はお前のことを恋愛的に見て好きだ。男として、悠馬のことが好きなんだ。よかったら、俺と付き合ってくれ」

『……冗談、……じゃ、ないんだよな』

「ああ。本気だ」

『そうか……』


 長い、長い、沈黙が落ちる。円卓のみなが息を殺して俺を見ている。その表情を窺い知ることはできない。そんな余裕が今の俺にはまるでない。口から心臓が飛び出しそうだ。静かなはずなのに、騒ぎ立てる鼓動のせいでうるさいとすら思う。思考は霧に包まれたように働かない。考えることもできず、周囲を観察することもできない。ただ心臓の弾みに体を揺さぶられて、鼓膜を叩かれるだけ。俺は途方もない時間ただ立ち尽くす役立たずの棒人間だった。

 スピーカーが震える。


『すまん、湾太郎。俺はお前をそういう風に思うことはできない。付き合うというのは、無理だ』

「……そう、だよな。わかった、ありがとう。もう切るよ。悪かったな、いきなり。じゃあ」


 通話終了のボタンを押す。

 それは、悠馬との関係すべてに、終わりを告げるボタンでもあった。

 止まりそうになる脳みそに鞭を打つ。

 挫けそうになる心に喝を入れる。


 分かっていた結果だ。予想していた通りの展開だ。それでも、やっぱり、大切なひとを失うのは全身がバラバラになるくらいしんどい。このまま地面に転がって、そのまま地中の奥底まで潜り込んでいってしまいたいくらいだ。すべてを放棄したい。意識も体も手放して、どこか遠くへ行ってしまいたい。けれど、それは許されない。

 俺には、やるべきことがある。

 にじむ視界の先に俺を見つめる桜色の瞳があった。

 そうだ、俺は彼女のために、友達のために、死力を尽くすと決めたからここに立っているんだ。

 かすに火をくべる、無理やり心の炎を灯した。


「……お願いがあるっ!」


 悲しみに震える声、涙によれた喉、発せられた音はぐずついていて酷く聞き取りづらい。

 それでも懸命に言葉を作って、俺は円卓に頭を下げた。  

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