第35話 たった一つの泥臭いやり方 その1
扉を開く。
第二文芸部の円卓に五人のメスブタが座していた。
現れた俺を見て、日暮奈留が意外そうな表情を見せる。
「遅いから逃げたと思っていたわ。罪を認めるだけの殊勝な気持ちはあるようね」
舐めるな。
何も答えず、後ろ手に扉を閉めた。
秒針の音がカチカチ響く。室内は身じろぎすることすら憚られるような緊迫した空気に包まれていた。俺を見る彼女たちの目線はもれなく厳しい。断罪を訴え求める裁きの眼光だ。すでに先ほどの事件の全容が共有されているのだろう。左近寺や金井の冷え切った様子からそのことが伺えた。彼女たちからしてみれば、俺は最低な嘘つきで、低俗な下着泥棒だ。
四人が咎めるような眼差しを俺に送る。例外は、枯れた植物のようにうな垂れ円卓を見つめる片瀬だけだ。膝の上に置かれた白い手がスカートの裾をしわくちゃになるほど握っている。いつものような溌剌としたエネルギーを微塵も感じない。路地裏に放棄された持ち主不在の自転車みたく、錆びれて、腐って、ペダルへ足を踏み込めば崩れてしまいかねないほど頼りがなかった。
そんな彼女の姿を見て、俺の覚悟は完全に決まった。
毅然とした態度で、円卓に両手を置いた日暮が、議会の舵をとる。
「それでは、円卓会議をはじめます」
もはや逃げることはできない。
賽は投げられた。
大きく息を吐き、大きく息を吸う。
奥歯を噛み締めて、全身を奮い立たせた。
今回の円卓会議がなぜ行われるに至ったか、滔々と語る日暮を静かに見つめた。
「こうしてみんなに集まってもらったのは、ハチくんが起こした下劣な事件の後始末をつけるためよ。すでに周知した通り、彼は今日、昼間さんの下着を窃盗したわ。体育の時間に怪我をした彼は保健室へ行ったっきり授業へ復帰しなかった。その間に、女子更衣室に忍び込んで彼女の下着を盗んだのよ。証拠品である昼間さんのショーツは、彼のカバンから発見されたわ。私と、昼間さん、片瀬さんがその証人よ。ハチくんが犯人であることは弁明の余地もないほど明らかだわ。よって、彼の罪を裁くとともに──」
目線だけが動く、鳶色の瞳が俯くピニャへ向けられる。
「──接近禁止令の撤廃を提案した際、『ハチくんが昼間さんに好意を持っていると分かったなら手塚くんのことを諦める』と宣言した片瀬さんのペナルティについても話し合わなければならないわね。今回の件で、ハチくんが昼間さんに執着していることを、嫌というほど理解させられたのだから」
金色の髪を後ろに払い、責め立てるように彼女は続けた。
「迂闊だったわね、片瀬さん。よく知らない男のくだらない口車に踊らされて乙女協会を引っ掻き回したのが悪かったわ。あなたはそもそも、こんな男のためにリスクなんて負うべきじゃなかったのよ。とはいえ、後悔してもすでに遅いのだけど」
さて、と手を打って、日暮が円卓を見回した。
「聞くまでもないと思うけど、これから議決を取ろうと思うわ。ハチくんには下着泥棒の咎をしっかりと償ってもらうため、再度、接近禁止令を遵守してもらう。手塚くんにも昼間さんにも、それと、不愉快で不快だから私たちにも近づかないで。次いで、片瀬さんには約束通り、手塚くんを諦めてもらうわ。この恋する乙女協会からも脱退してもらう。重い処分だと思うかも知れないけど、自分から言い出したことなのだからきちんと責任はとってちょうだい。以上二つ、異論がある人はいるかしら」
俺に向けられる目は相変わらず厳しいものばかりだ。
けれど、片瀬に向けられる目には憐憫の色が含まれていた。
日暮の言うことがすべて正しいのだとすると、片瀬だって俺に騙された被害者であるのだ。だとするならば、彼女に言い渡されたペナルティはあまりにも重かった。けれど、吐いた唾は飲み込めない。円卓会議における約束はそれほどまでに重いようだ。
誰しもが口をつぐみ、ひとりの恋敵の不本意な敗北を静かに認める。
締めの言葉を形取ろうと、日暮の唇がにわかに動く。
「──異議あり」
一斉に皆の視線が俺に集まる。
手をあげて、反対を唱えた俺は、険しく色づく少女たちの眼光を受け止めながらもう一度はっきり口にした。
「日暮の決定に異議を唱える」
長いまつ毛を伏せて、深いため息を吐いた日暮が呆れたとばかりに俺を諭す。
「異議を唱えられるのは乙女協会の会員だけよ。ハチくん、あなたは部外者でしょう。あなたには円卓会議に参加する資格はないわ。ただそこで、話し合いの行く末を眺めていてくれればいいの」
「うるせぇよ」
「……なんですって?」
「ぺちゃくちゃうるせぇって言ったんだ、このメスブタ」
「なっ!?」
驚きと怒りに表情をこわばらせる日暮に俺は告げる。
「黙って俺の話を聞きやがれ」
唐突に乱暴な言葉を吐いて議会に乱入した俺を驚愕の目で見つめる少女たち。
当惑するメスブタどもに畳み掛けるように、一気呵成に語り出す。
「そもそも、俺は犯人じゃない。たしかに俺にはアリバイがない。盗もうと思えば昼間の下着を盗めたのかもしれない。けどな、俺は昼間の汚ねぇパンツなんてこれっぽっちも欲しくないんだよ」
「き、汚くないっ!!」
顔を真っ赤にして反論してくる昼間に叫ぶ。
「うるせぇ、メスブタ! 黙って聞け!」
「──っ!」
「日暮は俺のカバンから下着が出てきたから犯人だって言ったな。けどよ、それを見つけたのって日暮だよな。元々お前が自分の手の中に下着を持っておいて、さも今見つけましたっていう風に見せることだってできるよな?」
「……聞き苦しい言い訳ね。なぜ私がわざわざそんなことをしなきゃならないの?」
「俺をここから追い出したいのと、片瀬を悠馬争奪戦から脱落させたかった。違うか?」
「ふん、馬鹿馬鹿しいわね」
「まあいいよ。別に真犯人を追及したいわけじゃない。お前らが俺を犯人だって思いたいなら思えばいい。けどな、心外なことがひとつある。俺が好きな人は昼間じゃねぇ。一回告白しただけで、いつまでも好きだと思うな」
左近寺が鋭い目をして俺に問う。
俺の言葉はまるで信用されていないみたいだ。
「他に好きな人がいるとかいう言い訳をまだ続けるつもりっすか」
往生際が悪いとばかりに彼女は言う。
ウルセェと思った。
「黙れ、メスブタ」
「!?」
「その通りなんだからそういう他ないだろうが。俺はな、とっくの昔に昼間のことなんて眼中にないんだよ。それどころか、今の俺は女自体に興味がないね」
「はぁ、意味わかんねぇこと言うなよ」
唐突に主語を大きく取り、昼間だけでなく女性全般に大して興味がないと宣言した俺の言葉。
訳がわからないと金井が眉を顰める。
「意味わからないならちょっとは頭使って理解しようとしろ、メスブタ」
流れるような暴言に彼女はぽかんと口を開けた。
止まない言葉の洪水が流れるのに身を任せ、生まれた空白に差し込むように、俺はすべてを語り尽くす。吐き出す。曝け出す。それは魂の叫び。心のうちに秘匿しておくべき燃え盛る熱情。それを今、俺は、何の躊躇いもなく開示した。
「──俺は、ゲイだ。俺は男が好きなんだよ!!」
第二文芸部の大窓が叫ぶ声にぐわんと震える。
一種の爽快感みたいなもんが俺の体を吹き抜けた。
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