第37話 たった一つの泥臭いやり方 その3

「見ての通りだ。俺は本当に悠馬のことが好きだった。大好きだった。けど、振られた。世界の終わりの最後の晩餐に鼻からパスタ食わされるくらい最悪な気分だ。わかるだろ。これでも嘘だって思うかよ。見てくれ、俺の顔、めちゃくちゃ泣いてる」

「……そ、そうだな」

「……鼻水すごいっすよ」

「いいんだよ、鼻水は心の涙だ。止まるまで流すのが俺の流儀なんだよ」


 よほどひどい顔をしているのか、昼間と左近寺の顔が引き攣っていた。

 日暮と金井なんて開いた口にピンポン玉を放り込めそうなくらいだ。

 腰を下げて、頭だけを上げた状態のまま滲む目だけで円卓を見渡した。彼女たちの様子がまるで違うことがわかる。先ほどまでは大ホラ吹きの恥知らず、クソクズゴミムシ、変態パンツ泥棒、それらを見るような目で俺を見ていたが、いまは、同性愛者だと声高々にぶちまけサプライズテレフォンで盛大に振られた哀れな男を見る目ばかりが揃っていた。

 そこには同情があった。憐憫があった。慈悲の色が宿っていた。


「は、ハチ、さすがに汚すぎるよ。ほら、ティッシュ」


 見てられないとばかりにピニャが席を立ち俺の元へ駆け寄ってくる。ポケットからティッシュを取り出してわざわざ俺の目やら鼻やらを拭いてくれるが、そんなものは焼石に水だ。むしろ絶縁状態まっしぐらだった彼女がこうして俺のことを気遣ってくれているという事実が、その優しさが、俺の胸のコップに涙の原材料を注ぎ続ける。ゆえに、顔汁かおじるが溢れて止まらない。


「うわっ、もっと噴き出してきた」

「いいよ、ピニャ。ありがとう。今は放っておいてくれ。まだ話があるんだ」

「……わかった」


 一歩下がってそばに寄り添う片瀬のためにも、今こそ勝負を決める時。

 腹の奥に力を込めて声を発する。


「俺がお前たちにお願いしたいのは、ピニャの、片瀬比奈のペナルティについてだ」

「あたしのペナルティ……」

「見ての通り、聞いてもらった通り、俺は悠馬が好きだ。振られた今も涙と鼻水が止まらないくらい大好きだ。そのことは見て、聞いて、分かってもらえたと思う。俺は世紀の大俳優じゃない。ガチ泣きだ。まじの本気だ。どうか俺の気持ちを信じてくれ」


 鼻から息ができない。

 涙に呼吸を乱されながらも、喘ぐように空気を吸う。

 そして言葉を続けた。


「それで、俺が悠馬を好きってことは、好きだとするのなら、片瀬が宣言した『もし昼間のことを俺がまだ好きだったら、悠馬のことを諦める』っていうの、適用されねぇよな。まだピニャは、悠馬のこと、諦めなくてもいいよなぁ」


 意思とは関係なく引き攣りを起こす肺に発言を掻き乱されながらも、なんとかすべてを伝え切ろうと、もがき足掻く。


「パンツ泥棒は俺じゃない。けど、それを証明することはできない。だから、昼間にはもう二度と近づかない。悠馬にも、本当は嫌だけど、寄って行かない、話しかけない。接近禁止令を受ける。お前らが望むのなら、お前ら全員に近づかないって誓うよ。けど、罰を受けるのは俺だけにしてくれ。ピニャは関係なしにしてくれ。こいつは、良い奴なんだよ。俺が男を好きだって知った時も、普通に接してくれたんだ。それどころか優しくしてくれたんだ。大して仲良くもなかったのに友達だって言ってくれたんだ。ここへ引っ張ってきて、また悠馬と話せるようにもしてくれた。俺の恩人だ。俺の友達だ。まじで良いやつだ。だから、ピニャの足を引っ張りたくない。恋敵のメスブタだけど、ピニャにだったら負けても仕方ないって思えるから、こいつには最後まで悠馬の隣を争っていて欲しいんだ」


 もはやなりふり構わなくなった俺は、部室の木板床にダンゴムシのように丸まってへばりついた。

 いわゆる土下座ってやつだ。

 ピニャが寄ってきて俺を起こそうとするが構うものか。筋力は俺のほうが強い。

 べったり床に額をつけて俺は叫ぶ。

 格好悪かろうと、みすぼらしかろうと、ダサいと馬鹿にされようと。

 これが俺にできるたった一つの泥臭いやり方だった。


「頼む。この通りだ。ピニャを乙女協会に居させてやってくれ。悠馬を諦めさせないでくれ。全部の責任は俺が取る。この情けない男に免じて、ペナルティはなしにしてやってくれ!」


 息を呑む気配があった。メスブタどもはどんな顔をしているだろう。伝わっているだろうか。届いているのだろうか。不安になる。心配になる。それでも頭を上げなかった。俺の訴えが認められるまで、頭を上げる気はさらさらなかった。俺を起こそうとしていたピニャの手が緩む。諦めたように、彼女はその手で俺の肩を優しく撫でた。

 沈思を破る左近寺の声が、膝を叩く音と共に円卓に響く。


「天晴れ! あんたを情けないなんてそんなこと言う奴がいたらあっしがボコボコにしてやるっすよ。ハチ、てめぇの漢気しかと受け取ったっす。片瀬へのペナルティはなし。ハチへの罰則もなし。あっしはハチを信じるっす。みんなはどうっすか?」


 震える声、鼻を啜りながらピニャが続く。


「あたし、ハチのこと、信じてなかった。裏切られたって思ってた。けど、あたしバカだ、あたしの勘違いだった。ハチは一度もあたしに嘘なんてついてなかった。……お願い、みんな。ハチへの罰、なしにしてください。自分勝手だって分かってる。けど、お願い。私の友達を、信じてあげてください」


 胸が熱くなった。ピニャがまた俺を認めてくれたのだ。伝わったのだ。一番信じて欲しかった人に信じてもらえた。それだけで俺は十分だった。だから、どうか、彼女の恋路が断たれないようにしてほしい。

 そんな俺の願いに呼応するように、昼間が口を挟んだ。


「……ぼくは犬神を信じる。いま見せた悠馬への想いがぜんぶ嘘だなんてありえない。同じ人を好きな人間だからこそ、犬神の気持ちはよくわかる。下着泥棒はお前じゃない。悠馬を大好きな犬神が、ぼくの下着を盗むわけがない。なぁ、そうだろ、日暮」

「……」

「下着を盗まれた怒りで冷静さを欠いていた。犬神に下着を盗む利益がないのだとするなら、この件で得をするのはぼくたち乙女協会だ。犯行動機はそこにある。もし犬神に責があれば、道連れで片瀬を脱落させることができるだろ。頭が切れるお前のことだ。ふたりをここから排除するために、悠馬の周りから取り除くために、一芝居打ったんじゃないのか?」

「……」

「ぼくを巻き込んで、陰気なはかりごとしてんじゃねぇよ、日暮」


 喉を鳴らし唸る獣のような声で昼間が凄んだ。

 答える日暮の声はつとめて真面目なものだった。


「犬神くん、顔をあげて、立ってください。謝らなければならないことがあります」


 椅子が引きずられる音。

 肩に手を添え続けてくれていたピニャに支えられながら、俺はゆっくりと立ち上がる。

 いつも優美で優雅な姿を見せる日暮の顔が、大きなミスをしたと言わんばかりに後悔で歪んでいた。

 彼女は見惚れるような流麗な動きで腰を折り、はっきりと響くソプラノで言葉を連ねた。


「今回の件はすべて私が仕組んだものです」

「──っ! ゆるせないっ! ぶん殴ってやるっ!」


 にわかに色めき立ち、眉を吊り上げ吠えた片瀬の手を取って止めた。まだすべてを聞けていない。少し待ってくれと頼み込むように彼女を見つめると、唇をへの字に曲げて渋々彼女はその場にとどまった。


「ありがとう、犬神くん。続けさせてもらうわ。私は、女子更衣室で昼間さんの下着を盗んで、さも彼のカバンから見つかったように見せ、犬神くんを下着泥棒に仕立て上げました」

「最低だな、あんた」


 金井が不快そうな表情で口を挟む。「ええ、そうね」とだけ答えて、日暮は続けた。


「昼間さんの言った通り、狙いは犬神くんと片瀬さんを手塚くんから引き離すこと。目障りな男を排除でき、ライバルを蹴落とせる絶好の機会だったから工作させてもらいました。ただ、言い訳になるかもしれないけど、私なりの道理に従った行動でした」

「ほー、道理ねぇ。ぜひ聞かせてもらいたいっすねぇ、こんな恐ろしいことをするあんたの考えを」


 眼鏡の奥に光る左近寺の鋭い眼光が日暮を刺す。

 彼女は言葉を継ぐ。


「……そもそも、私は犬神くんのことを信用していませんでした。みなが納得して彼をアドバイザーとして受け入れた時も、私はまったくそんな気にはならなかった。ずっと嘘をついていると思っていたからです。この五人の中で、一番のお人好しである片瀬さんに近づいて、手塚くんへの友情を騙り、新しい恋を騙り、騙くらかして丸め込んだ。そう言う風に考えていたからです。だから、まんまと騙されて乙女協会を引っ掻きまわす片瀬さんに腹が立った。その首謀者である犬神くんを必ず排除しなければならないと義憤に駆られた。放っておけば私が手塚くんのために立ち上げた乙女協会がぐちゃぐちゃにされると危機感を覚えた。すべて私の勘違いでしたけど、そういう理由で、私はふたりを葬り去ろうとしていました」


 日暮奈留が頭を下げたまま膝を折る。そして、俺がしたのと同じように、床に手をつき土下座をした。


「本当に申し訳ありませんでした。……謝って済む問題じゃないことは理解しています。犬神くん、片瀬さん、昼間さん。私への罰はあなた達の言う通りに従います。とくに犬神くんには取り返しのつかないことをさせてしまいました。どんな措置を命じられても従います。許してもらえなくて当然だと思います。……申し訳ございませんでした」


 陶器のように白い額を地面に擦り付ける。

 美しい金色の髪に床のほこりがまとわりついた。

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