第19話 メスブタは迷える羊に叡智な本を与えたる その3
「ハチっ、お、お、おとこ、おおっ、おっとこが好きなん!?」
片瀬比奈はひゃぁーと小さな悲鳴を上げて頬を抑える。
体を左右に振って喜色を表すもんだからボインボインとでけぇ乳が暴力的に揺れる。
ずいぶん興奮していらっしゃるようで、エンジンを噴かされ唸るマフラーのように言葉がジャムっていた。
突如、天啓を与えられた信徒のようにハッとした表情を浮かべる片瀬。おもむろにスマホを取り出した彼女は、BL本片手に固まる俺の写真を一枚パシャリ。そして、イソスタを立ち上げてその写真をアップロードしようとする。
慌てて止めた。
何しようとしてくれてんだ。
「ハチ、止めないで! 共有しなきゃ! みんなに教えてあげなきゃ!」
「馬鹿っ、やめろっ! 何を書き込むつもりだっ!」
「ホモサピエンス発見!」
「なんだそのダジャレ! 小学生かよっ!」
文明の利器を右手で奪い取り、背伸びをして天に掲げる。160センチにも満たない彼女はこれでスマホを取り返せない。「かえせー」「ばかー」「どろぼー」と好き放題に罵詈雑言を並べながら飛び跳ねるブタをいなし、彼女が平静を取り戻すのを待った。
いてぇ、やめろ、脛を蹴るな。あの弁慶も泣いちゃう苦痛なんだぞ。
ちょっ、痛い痛い、分かったからちょっと落ち着いてくれ!
しばらく防戦を続け、ようやく狂乱状態が解けた片瀬にスマホを返す。
「プライバシーにまつわる情報を無許可でネットに放流しようとするな」
「けち、いいじゃん、減るもんじゃないし」
むっつりと頬を膨らませてモソモソ文句を垂れる彼女にチョップを喰らわせる。
「いたっ!」
「片瀬だって勝手に写真撮られて胸のサイズをイソスタで公表されたら嫌な気分になるだろ? そういうこった」
「はぁ!? 胸のサイズっ!? なになにっ、ハチって女もいけるの!? 変態! えっち! どこ見てるのっ!」
おっぱいを両腕で包んでサッと身を引くメスブタ。あまりにでかい二つの膨らみは、抑えつける腕にむっちりと食い込んで目に毒な状況になっている。勘弁してくれ。破廉恥すぎるので逮捕されてほしい。
ふと思う。手塚はおっぱい大きい女子の方が好きだったりするのかな。
残念ながら、俺は男なので、もし彼が大きな胸を求めても答えてやれない。そう考えると、目の前のメロンふたつが憎たらしく思えて仕方がなくなってきた。その無駄な脂肪引きちぎるぞ、くそが。はやく重力に負けて垂れ下がれ。
「はぁ……」
「え、何そのため息。あ、もしかしてただの例え話だった? あはは、ごめんごめん。男子からよくおっぱい見られるからてっきりハチもそうなのかなーって勘違いしちゃった」
手をおっぱいの底面に当ててユサユサと上下させながらそんなことを言うメスブタ。あの、すみません、痴女ですか? 第三者に現状を見られたくないので早急にその動作をやめさせる。片瀬は「あー、ごめんごめん。思わずやっちゃった」と照れ笑いした。思わずおっぱいユサユサするってどういう思考回路なんだ?
ともかく。
「さっきの写真は消してくれ。そして、勝手に俺の個人情報をSNSで拡散しようとするな」
「へいへい、分かりましたよー。マキっちとか血涙流して喜んだだろうになー。かわいそーになー」
名残惜しそうに、何度も何度もこちらにチラチラ視線をよこして、ようやっと彼女は俺の写真を削除する。
よかった、無事デリートされたようだ。
「あれ?」
「なんだよ」
小鳥のように首を傾げて斜め上を見るメスブタ。
そういえば、と言葉をはじめて彼女は続ける。
「ハチってヒルーマに告白して振られたんじゃなかったっけ?」
ヒルーマって昼間瞳子のことだよな。凄まじいあだ名だな。呪術のまこーらみたい。ヒルーマいつもありがとう。
「ああ、そうだよ。昼間に告白して振られて、それが原因でお前らに接近禁止令を出されてるよ」
「ということは、つまり、だよ……やっぱり女の子も守備範囲じゃん!? へんたい! すけべ! どこ見てんのよ!」
「お前……ほんと忙しい奴だな」
またもや自分の乳を自分の腕でディフェンスし始めた彼女に、俺は呆れながら説明する。
「昼間に一目惚れして好きになったのは事実だし、女子も恋愛対象ってのは間違いじゃねぇよ。けど今はあいつに振られたことがきっかけになって……とある男子を好きになってるから女子に興味は湧かないよ。今は好きな男に一直線だ」
今、話していて気づいたが、俺は女子に興味が湧かなくなっているらしい。男なら誰しもが目を奪われる片瀬のデカ乳もただの脂肪の塊としか思えない。むしろ、手塚が彼女の胸部に夢中になってしまう可能性を考えると忌々しくて仕方がなくなってしまう。かと言って、男子に興味津々というわけじゃない。「あの男の首筋、舐めしゃぶりたい♡」とはならない。普通に舐めたくないまである。手塚にだけ俺の関心は向いているのだ。これこそ、本当の恋。これこそ、真実の愛。手塚悠馬しか勝たんのである。
俺の熱烈ホモ宣言に対し、訝しげに目を細めて片瀬が顔を覗き込んでくる。
「まじんがぁー?」
「マジマジ。嘘じゃない」
腕くみをして体をぐねーっと倒しながら怪しむ彼女は続ける。
「よし分かった。じゃあ、あたしのおっぱい揉んで。手つきで判定する」
「アホかっ、捕まるわっ!」
腕を後ろ手に組んで胸を突き出す彼女の頭にチョップを落とす。
いたーい、と目尻に涙を浮かべながらも、片瀬は納得げに頷いてみせた。
「今の反応でハチが本当におっぱいに興味がないって分かったから信じたげる!」
「そりゃどうも」
「いやー、けど、そっかー、女子に振られて男子に目覚めちゃうことってあるんだねー。うわー、すごー」
ジュエリーショップで宝石を眺めるマダムのように瞳を輝かせ、修道女が祈るように手を組む片瀬は、にっこりニコニコ満面の笑みで鼻息をふがふがと鳴らし俺の周囲をぐるりと一周する。なんだ、なんだ。気色の悪い。
そして、正面まで戻ってくると、人差し指をびしっと立ててこう言った。
「ハチは見た感じ『受け』だよね。ナヨナヨっとしてるし、線も細いし、肌も白い、活力もない。今にも死に絶えそうな病弱系男子って感じ。最後には攻めと結ばれるけど、体が耐えきれなくてお空の星になっちゃうんだ。ぐすん、かわいそう」
「勝手に殺すな。俺は普通に健康的だ」
「えー、そうかなー。なんか肉が足りないよ、肉が」
そう言って腹の肉を摘もうとしてくるブタの手を払いながら店内を逃げ回る。
そんな哀れなる子羊たる俺を無配慮なギャル狼は楽しそうに追いかけ回して狩りのオモチャにするのだった。
そして、本屋の中で高校生二人が走り回っているもんだから書店員さんに普通に怒られて店の外に追い出された。
最悪だ。参考書物の一つでも見つけて借りたかったのに。
「ハチー、行くよー」
肩を落として俯く俺の首襟を持って、片瀬はどこかへ連れて行こうとする。
転びそうになりながら必死に足を回転させて彼女の歩みになんとか食らいついた。
自立して方向転換した俺は、すたこらと前を歩く乳メスブタのでけぇケツを追いかける。
「どこ行くんだよ」
「アサイーの店! そこで詳しい話聞かせてよ!」
それ、手塚と行こうとしてたとこだよな?
ここに店があったのかよ。
なぜ憎きブタに俺の恋の話をしてやらなきゃならんのだ。そう思い逃げ去ろうとするが、その度に首襟掴まれるのだからどうしようもない。俺はせめてもの抵抗に「奢ってくれよ」と苦々しく言葉を吐き捨てて片瀬比奈に従うのだった。
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