第20話 メスブタは迷える羊に叡智な本を与えたる その4
ハワイアンな店内はうら若き女学生でごった返していた。数人見える男の影はそのほとんどがカップルの片割れか女友達の付き添いばかり。場慣れもしているらしく俺のようにキョロキョロびくびくしていない。キラキラハンサムフェイスが微笑みをたたえて、得意げに凱旋する勇者一向のように闊歩していた。
なんと騒々しい場所だろう。
耳を引きちぎってしまいたくなる。
片瀬に誘拐されて来なければ近寄ることさえなかったであろう類の店だった。
この世の全ての青春を謳歌したであろう美人女性店員が「何にいたしますかー?」と小鳥のようにハミングする。しゃらくせぇ。水でいいよ、水で。ぼそぼそと主張する闇の声を元気はつらつギャルボイスが浄化の魔法のように掻き消した。
「オリジナルアサイースムージーふたつください!」
流されるまま店内でお召し上がりすることになった俺は、スマホのタッチ決済で会計を済ませてくれたメスブタの背中に隠れながら、恐ろしき店内を警戒しながら歩く。陽キャ
心を無にして意識を集中。
俺以外はすべてジャガイモ。俺以外はすべてジャガイモ。怖くない怖くない。
目の前のでか乳ジャガイモがアサイースムージを手渡しながら尋ねてきた。
「ハチ、ここ来たことある?」
「来る意味ある?」
「いや、あるから! ほら、これ飲んでみ。むちゃくちゃ美味いから!」
ずぞぞぞーとスプーンストローを吸い上げる。アサイーだけでなく、ベリーなどのフルーツ類がたんまり盛られた一品は、蜂蜜やヨーグルト、チーズソースが絡まって甘みと酸味がミックスされた爽やかな味わいだった。グラノーラが中層に敷き詰めてあるのでスムージーというよりどちらかというとパフェみたいな感じである。スプーンストローでざくざく削りながら、ソースやらフルーツやらと絡めて食べるとそれなりに美味い。女性人気が高いのも頷ける味だ。
俺と同じようにグラノーラをざくざくやってスプーンを口に運んでいた片瀬と目が合うと、彼女はにっこり笑ってみせた。
「はい、食べたね。奢ってもらったんだから、ハチはあたしに好きな男子を教えること! 逃げたら死刑!」
横暴なメスブタ裁判官による有罪判決に目がまわる。
陪審員なしですか?
この一杯に、秘密を語るに値する価値はとうてい見出せないのだが。俺は怒りと切なさとやるせ無さを食欲にぶつけてガツガツとアサイースムージを食した。その間に、片瀬比奈にどこまで語るべきかを考える。
すでに俺が男を好きだということは割れているのでここは隠しようがない。だが、誰を好きかを明かすとなると、俺が彼女の恋敵であることを暴露することになってしまう。どういう反応をされるのかは未知数だが、本来であれば恋敵の存在などそこにあるだけで不快な目の上のたんこぶであるはず。そも、男の俺が敵として判定されるかは不明であるが、危険な橋は渡らないのが賢明だろう。俺はメスブタに人物像までを語るにとどめ、具体的な固有名詞は出さないようにしようと決めた。アサイースムージ一杯にそこまでの恩義は感じない。適当にかわしてやってもバチは当たらないだろう。
「誰かは言わないが、どんな人かは教えてもいい」
「えー! なんだよー、恥ずかしがんなよー!」
「うるせー、何も言わないぞ」
「ぶーぶー!」
ブーブー言うな。本当にブタかよ。
しばらくブーイングを飛ばしていた片瀬は俺が折れないと分かると唇を尖らせた。
「ふーんだ、分かったよ。じゃあ、どんな男の子を好きになったか教えて?」
不満たらたらな表情から一変。
うずうず、わくわく。
クリスマスツリーの下に置かれていたプレゼントボックスを開封する直前の子供のような目で片瀬は急かす。俺は空になったアサイースムジーのストローを最後にずぞぞと吸い上げてから話した。
「俺が好きになった人は、ぶっきらぼうだけど心優しい尊敬できる人だ」
「たとえば?」
「……困っている人がいたら必ず手を貸してあげるんだけど、口が回る方じゃないから怖がられたりするんだよ。それで、ろくな感謝とか受けれなくて損してる部分もあるんだけど、それでも人助けをやめないような、そんな人」
「へー、なんか良い人っぽいかも! 見た目はどんなかんじ?」
「背は俺より高くて、顔つきは……ワイルド? かな」
「野生味溢れるイケメンってこと?」
無人島でひとり、ナイフ一本で苦難を乗り切る手塚の姿が脳裏に浮かぶ。とても様になっていた。
「……まあ間違いではないな」
「心根は優しいぶっきらぼうなワイルドイケメン……いい、すごいいいじゃん! 王道的攻めだよね! 受けのハチにぴったりじゃん!」
テーブルの下で足をぱたぱたさせて喜ぶメスブタ。
勝手に俺や手塚を攻めとか受けとかカテゴライズするのはやめてほしい。
まだプラトニックな関係しか思い浮かべていないのだ。
そういう生々しい話をされるとどう反応すればいいのか分からなくなる。
むつかしい表情を浮かべる自分の顔が店内の鏡に反射して見えた。
対照的に、片瀬は、それはもう能天気な花丸笑顔である。誕生日ケーキを前にした幼稚園児みたいだ。
しばらく彼女は脳内で俺とまだ見ぬワイルドイケメンを交わらせる遊びに興じていたようで、赤く頬を染め、目をとろんとさせて、だらしなくしまらない口からゲヘヘと品性のない笑い声を響かせていた。
突如、現実世界に帰還した腐りブタは、桜色の瞳を見開いて「いいこと思いついた!」と宣言する。
ああ、どうか何も思いつかないでおくれ。
そう思いながらも、俺は質問待ちする片瀬に尋ねた。
「いいことって、なにを思いついたんだ?」
「ハチの恋路、あたしがサポートしてあげる!」
「はぁ?」
「だからぁ、愛しの彼と結ばれるように、あたしが協力してあげるって言ってるの!」
うわー、すごい提案してきたなー。
「なんで? お前にメリットねぇじゃん」
「メリットならあるよ、ナマモノが近くで見られるしー。あとあと、もちろん交換条件もある」
「交換条件?」
片瀬がちょいちょいと手招きして近づくよう示す。
俺は前傾姿勢をとる。
身を寄せてきた片瀬の、ぷるんと弾む唇が俺の耳元に接近した。
爽やかな柑橘の匂いが彼女から香る。
熱のある吐息に混じってこしょこしょと紡がれた言葉が耳朶を揺らした。
「ハチって悠馬と仲良さげだったじゃん? いまは接近禁止とかで一緒にいないけどさ、そうなる前までずっと仲良くしてたみたいだし。悠馬とそんなに仲良くしてる人、あたし初めて見たんだ。それで、思ったの。ハチならあたしと悠馬が付き合えるようにサポートできるんじゃないかなって。だから、あたしと悠馬が恋人になれるように協力してほしいの!」
顔を離した片瀬の顔はりんごのように真っ赤に染まっている。
「はずっ! あたしの好きな人、他の人に言ったら死刑だからね!」
片瀬が誰を好きかなんて普段の行動から察するに火を見るより明らかなんだが、自分の口からはっきり明言するともなると心持ちが異なるのだろう。両頬を手で押さえて、赤らんだ顔を隠そうとしている姿はまさしく恋する乙女だ。その魅力的な表情が、潤んだ瞳が、手塚に向けられる感情からなるものだと理解していても尚、思わず見惚れてしまうくらいには可憐で儚げで美しかった。
胸が苦しくなる。
俺は目の前のこれに勝たなければならないのだ。
手塚のとなりに立つことの難しさをまざまざと見せつけられたような気分だった。
「あれ、ハチ? おーい、どうしたのー?」
「ああ、悪い。ちょっと考え事してた」
「あー、そうだよね。いきなりこんな提案されても悩んじゃうか! いいよ、返事は今度で。前向きに考えといてよ」
アサイースムージーを飲み終えた俺たちは最寄り駅にて解散した。
片瀬の家は二駅先にあるという。
俺は富が丘高校の最寄り駅まで戻るので方向が逆だった。
「待つのじゃ、ハチ。これを授けよう」
彼女は別れ際、怪しげなブツの運び屋のごとく、通学鞄から茶色い紙袋に隠された数冊の本を取り出して俺の体に押し付けてきた。「参考になると思う。しかもおすすめ。じぃーっくりと家で見て。楽しんでね」バチバチとウインクするメスブタはそう言い残して雑踏の中へ消えていった。
家に着いた俺はさっそく紙袋の中身をあらためる。
そこには、真っ裸の美男子が絡み合うえっちなBL漫画たちが隠されていた。
ちょっとレベル高いんじゃないの?
片瀬よ、この子たちはほんとうに参考になるのかね。
白目をむいて、俺は固まった。
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