第4話 恋の逃避行 その3

 相も変わらず手塚悠馬を観察する日々が続いた。


 学内での様子において特別語るところはなく、昼間さんを含む五人の女子たちに話しかけられては、機械的に言葉を返してスンとした表情を浮かべるばかりだった。男子たちはそんな手塚にやっかみの目を向けて、コソコソと例の噂を話題に上げては陰口を叩く。女性関連の悪い噂以外にも、他校の生徒をカツアゲしている。野良猫を蹴り殺した。刃物を隠し持っている。敵対する組織に不意を突かれないように腹に週刊少年誌を挟んでいる。盗んだバイクで走り出す。

 例を挙げればキリがないほど、様々な悪行が彼の背について回る。


 女子たちも男子たちの噂話を耳にして、手塚悠馬の非道っぷりに恐れ慄き、警戒心全開の野ウサギのように、まったく奴に近づこうとしなかった。憎悪と恐怖が入り混じった黒い視線ばかりが奴に集まる針の筵のような状況。しかし、手塚悠馬はいつも飄々とした表情で窓から見える景色を眺め、川辺で甲羅を乾かす亀のようにじっとしているばかりだった。


 そんな観察しがいのない学園生活と打って変わり、学外での様子は語るところばかりである。

 富が丘商店街をよく利用するのか、八百屋や精肉店、花屋の店主たちはとくに親しげに手塚に接している。奴は愛想こそ欠けるものの、そんな彼らに丁寧な言葉遣いで礼儀正しく振る舞っていた。噂通りなら「こんにちは」と挨拶をすれば拳を顔面に叩き込んで「黙れ殺すぞ」と返すのがテンプレなのだが、そのような常識知らずな世紀末的行動はまるで見受けられなかった。


 商店街を抜けた先、住宅街の中にぽつんとある小さな駄菓子屋。

 そこでも信じられない光景を見た。

 小学生の少年が道を歩く手塚を見た瞬間駆け寄って、ふくらはぎに蹴りを入れたのだ。

 俺はひとつの儚き命が、それも若芽が無惨にも踏み潰される未来予想図を見た。しかしながら、奴は呆れたように薄く笑うと──この時俺は初めて奴の笑顔を見た。まるでナマハゲのお面が笑顔だったら、というテーマのもと作られた前衛的作品のような笑顔だった──少年の頭を優しく撫でて二、三話してその場を去っていった。

 距離が離れていたため、会話の内容を把握することはできなかったが、もしかすると「ぶち殺すぞ」とでも言っていたのだろうか。いや、多分違うだろう。去る手塚の背中に「またな、にいちゃん」と元気に声をかける少年の表情はひだまりのように明るかった。後に知ることになるが、少年は以前八百屋のおっちゃんが話していた迷子の子供だった。


 魔王手塚。

 行く先々を鮮血で染めて、あらゆるものを無差別に虐げる暴力の化身。

 そのはずなんだが……。

 俺の中にある手塚のイメージと、現実の手塚が少しずつ乖離かいりしていく。 

 木から降りられなくなった猫を助けたり。重そうな荷物を運ぶ老婆を見つけると、率先して荷を持ち目的地まで付き添ったり。若い女性を狙ったひったくりをバイクごと横転させて捕縛したり。迷子の幼女を交番まで届け、母親が迎えにくるまで遊んでやったり。財布が落ちていてもネコババせずに警察に届ける。体調を崩した人が路傍で動けなくなっていれば介抱し、救急車を呼んだ。


 手塚悠馬は、困っている人がいればできるだけの手助けを当たり前のようにした。

 ニワトリが自在に空を飛ぶくらい信じられない光景だった。


 最初は邪悪な本性を隠すための演技だと思っていた。けれど、毎日毎日、その見た目に怯えられたとしても、ろくな感謝をされなくなくとも、人情を忘れず立ち振る舞う手塚を見ていると何が真実だか分からなくなっていく。

 魔王の虚像を支える基盤がぐらぐらと傾き始めるのを感じていた。


 ある日、俺は思い切って休日の手塚を尾行することにした。

 ここのところ、数日に渡って放課後の調査を続けていたわけだが、学外で奴が昼間さんを含む女子たちと会うことは一度もなかった。帰り際、一緒に帰ろうと誘われても、なぜか必ず断る始末。特に予定があったわけでもない。手塚はいつも自宅であろう木造二階建てのアパートの一室に直帰していた。それからしばらく張り込んでも、決まった時間にバイトに行くくらいだ。誰かと仲良く過ごす姿を見かけることは一切なかった。


 同じく彼女なし、友達なしな俺が言うのもなんだが、高校二年生が送るにしては寂しい生活すぎないか?

 噂通りなら、暴力と恫喝で支配した女子たちを取っ替え引っ替えしているはずなのだが、去勢された老犬のような覇気のない日々を過ごしている。

 もしかすると、今まではノーマークだった休日に魔王たる所以を遺憾なく発揮しているのではと考え、今回の尾行に踏み切った次第だ。


 朝早くにアンパンと牛乳を準備して手塚の住むアパート『メゾン一徳』の102号室を見張る。

 玄関先には原チャリが一台。

 盗んだバイクかもしれないので一応写真は撮ってある。

 ……たぶん、あいつの物だろうけど。


 もしゃもしゃとパンを食う。電柱の影に隠れてしばらく扉を眺めていると、ふいに背中をトントンと叩かれた。あまりの驚きに肩が跳ね上がり、口に含んでいた牛乳を吹き出しそうになる。うげ、変なとこ入った。涙目になって咽せながら振り返ると、腰の曲がった白髪のおばあちゃんがそこにいた。胡乱げな目をこちらに向けて彼女は言う。


「なにを見とるんだい?」

「メゾン一徳の102号室を監視してるんですよ」

「ほー。もしかして、ゆうちゃんの友達かい?」

「いえ、友達は一人もいません。手塚とはただのクラスメイトです」

「あらまぁ。あたしゃメゾン一徳の大家だよ。101号室に住んどる」

「はぁ、そうですか」

「大家ってのはね、住民の快適な生活を考えてやることも仕事なんだよ」

「はぁ、大変そうっすね」

「それじゃ、警察を呼ばせてもらうね」

「あ、ちょっと待ってください。怪しい者じゃないんで」

「十分怪しいんだけどねぇ」


 やれやれと首を振る老婆を何とか宥め、懐から取り出したらくらくスマホを元の場所に戻していただく。

 片眉をぐいっと上げ、枯れ草が擦れ合うような声でお婆は言う。


「で、あんたはなんでゆうちゃんを監視しとるんだい?」

「……手塚に言わないでくれます?」

「くだらない」

「じゃあ言えません」


 ツーンとそっぽを向く俺。

 とほほ、と肩を落とし大家さんは頷いた。


「はぁ、分かったよ。墓場まで持ってくからさっさと話しておくれ」


 目と目で語り合う。

 まじ? ほんと話さない? 信じていいの? 嘘だったら泣いちゃうからね?

 チワワのようなウルウルお目々に対して、はよ話せという冷たい視線が大家さんの返答だった。

 分かったよ、ばあちゃんのこと信じるよ。

 一息ついてから、俺は掘り当てられた油田のように怒涛の勢いで話し始めた。

 昼間さんに告白したこと。振られたこと。手塚への憎悪の目覚め。昼間さんを救いたいと思い立ったこと。悪逆非道という言葉がぴったりの彼の噂。その噂とかけ離れた学外での手塚の様子。ふたつの人物像に板挟みにあって苦悩していること。

 友達がいない俺は、この背の曲がった人生経験豊富そうなお姉様に胸のモヤモヤをぶつけることにしたのだ。


「──というわけでして、手塚を監視しているんです」

「なるほどねぇ。そんでこんな朝から張り込みかい?」

「うす」

「バカだねぇ、答えが出ている問題の答え合わせをしようだなんて。あんたも分かっているんだろう?」

「……」

「とりあえず、うちに来な。立ち話は老体には堪えるんだよ。座って話そうじゃないか」


 曲がった背中が前を行く。

 俺はとぼとぼと、ばあちゃんの影を追いかけた。

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