第3話 恋の逃避行 その2

 休み時間になると、手塚のもとへ五人の女子が入れ替わり立ち替わりやってくる。


 昼間瞳子。

 日暮奈留。

 片瀬比奈。

 眼鏡をかけたポニーテールの少女。

 背が高く、凛々しい顔のショートカット美女。

 

 富が丘めちゃかわ四天王の三大天(昼間、日暮、片瀬)が奴と話すためわざわざ足を運ぶものだから、男子生徒諸君の目は余すことなく嫉妬の色に染まり、それだけでなく、さらに二人も手塚のところへあしげく通う女子がいるものだから、燃え盛る嫉みの炎が鎮火することはなかった。むしろその勢いは増すばかりだ。

 クラスメイトだけでなく、同学年の男子ほとんどから恨みの目を向けられる手塚悠馬。しかしながら、強い嫌悪を抱かれてもなお、それを表に出して危害を加えてくるような乱暴者は一人としていない。

 なぜならば、簡単な話、手塚悠馬は恐ろしいのだ。悪魔のように凶悪な容姿が、地鳴りのように低い声が、奴に逆らってはならないと脳内に警鐘を鳴らす。そして、それは人類すべてが共通して察知する第六感的な何かのようで、先ほど述べた五人以外の女子たちは、手塚に好き好んで近づこうとはしなかった。むしろ露骨に避けている様子すらある。気が弱い女子生徒ともなると、すれ違うだけで肩を振るわせ縮こまるほどだ。


 じゃあ、なぜ、彼女たち五人はそんな嫌われ者の手塚に近づくのだろうか。

 単純に好意を持っているから?

 いや、あの凶悪な面に惹かれる理由が分からない。立ち振る舞いも特別魅力的には感じない。しばらく観察を続けていたけれど、気の利いた小話を披露して女子を楽しませることもなく、ただ話しかけられた言葉におざなりに返事をするアイツがモテるなら誰だってモテるだろう。

 外見は恐ろしく、人当たりは冷ややか。

 基本的に無口だし、愛想笑いのひとつも浮かべないほど可愛げがない。


 やっぱり、多くの男子が噂する通り、彼女たちの弱みを握って支配しているのか、あるいは暴力による束縛か。

 放課後、彼女たちを呼び出して良からぬことをしているという最低な目撃情報まであった。もしそれが本当だったなら、昼間さんも奴の毒牙の餌食になっている可能性が高い。学校では気丈に振る舞っているけれど、それが手塚に命令された演技であったならと思うと胸が張り裂けそうだ。はやく、はやく何とかしないといけない。焦燥感に駆られた心が俺を行動的にする。


 惚れた女を救うため、新たなる覚悟を俺は決めた。

 学校での生活を観察するだけじゃダメだ。

 人の目が多いため、奴は尻尾を出さないだろう。

 監視時間がものを言う。

 こうなれば、放課後も奴を尾行して何としてでも証拠をおさえるのだ。

 必ずその悪行をお天道様のもとにつまびらかにさせてやる。

 リスクは承知、バレてしまえばどうなるか分かったもんじゃない。

 それでも、たとえ無惨な屍に成り果てようとも、なにか一つ必ず成果を掴み取ってやる。


「ゆうまっ、一緒に帰ろっ!」

「すまん、片瀬。今日も一人で帰りたい」

「そっか、残念だけど全然おっけー! あたしと一緒に帰りたくなったらすぐ言えよ〜?」

「ああ。ありがとう」


 手塚を帰路に誘ったでか乳ギャルが、すげなく断った手塚の脇腹を人さし指でツンツンしてから教室を去った。

 通学カバンを肩にひっかけて、悪鬼が、地獄の一丁目へ向かって歩き出す。

 俺は生唾を飲み込んで、じわりと滲む手汗をスラックスの太ももに擦り付けて立ち上がった。


(ぜったいに昼間さんを助ける……)


 手塚悠馬は徒歩通学らしく、駐輪場に立ち寄ることはなかった。

 方角は俺の住むアパートと真逆。

 しかし、最寄駅の方向じゃないことから徒歩圏内にアジトがあることを推測できた。


 富が丘商店街を歩いている途中、ふと奴が足を止める。その目は八百屋に向けられていて、青白く光る三白眼が玉ねぎを鋭く捉えている。まさしく、小動物を狩る猛禽類のような形相。あるいは、生贄に捧げられた無垢な幼児を品定めする悪霊の眼差し。俺がもし玉ねぎだったら、あまりの恐怖に皮が何枚も剥げてしまい情けない白玉に成り果てていたことだろう。


「玉ねぎ買ってくかい?」


 八百屋のおっちゃんが手塚へ気安く声をかける。

 馬鹿野郎! 殺されるぞ! やめとけ、おっちゃん!

 凄惨な事件映像が瞬間的に脳内に浮かぶ。飛び交う新鮮野菜。弾けるトマト。爆発するスイカ。きゅうりが地面に突き刺さり、キャベツが花吹雪のように舞い乱れる。そんな店内で、立派な大根を凶器に、頭をかち割られる八百屋のおっちゃんの見るも無惨な姿。般若のような笑みを浮かべ暴力の快感に愉悦する手塚。

 あまりにむごい。

 思わず目を瞑りかけた。

 しかし、もし、その現場を押さえることができたなら警察が介入してくれるかもしれない。

 目を逸らしちゃだめだ。これは絶好のチャンスなのかもしれない

 スマホを構え、その時に備えた。

 しかし。

 繰り広げられたのは、血飛沫舞う傷害事件ではなく、たわいもない商店街の一コマだった。


「井上さん、こんにちは。ふたつ貰います。あと、人参も一本お願いします。包んでくれますか?」

「はいよ。ゆうちゃん、カレーでも作るのかい?」

「はい、簡単なんで。何日か持ちますし」

「じゃあ、ジャガイモおまけで入れといたげるよ」

「いや、申し訳ないです」

「いいからいいから。……はい、お待たせ」

「いつもすみません。ありがとうございます、いただきます」

「こちらこそ、いつもウチで買ってくれてありがとね」


 丁寧に腰を曲げてお礼を言い、手塚悠馬は去っていく。

 なんだ今のは。

 幻か?

 白昼夢か?

 信じられない光景に思わず立ち尽くしてしまう。気がつけば、そこに手塚悠馬の姿はなく、奴の姿を見失ってしまっていた。

 ともかく情報だ。

 俺は八百屋のおっちゃんに声をかけることにした。先ほどの様子から察するに、おっちゃんは手塚と知り合いのようだし、もしかすると奴の秘密をなにか知っているかもしれない。


「あの、すんません」

「はいよ、いらっしゃい」

「さっきの、えっと手塚ですけど、よくこの店に来るんですか?」

「ん? ゆうちゃんの知り合いかい?」

「あっ、はい。ちょっと手塚のこと調べてて」

「調べてる?」


 怪訝な表情を浮かべて腕を組むおっちゃん。

 まずい、素直に答えすぎた。

 俺は意味もなく両手をあたふたさせながら、矢継ぎ早に言葉を継いだ。


「あ、いや、その、手塚と友達になりたいんですけど、何というか取っ掛かりが掴めなくてですね、それで観察してるんす」

「なんだ、そういうことかい。ちょうど帰り道にウチの店があるみたいでよく寄ってくれるよ。しっかし、今までゆうちゃんが誰かといっしょに帰ってる姿を見たことなかったから友達がいるんだかと心配してたんだけど、……友達になりたくてストーカーまでする奴がいるくらいには人気者だって知れて、おっちゃんも一安心したよ」

「あ、あはは」


 おっちゃんはおもむろにジャガイモを袋に三つほど詰めてこちらに手渡した。


「ほらよ。これやるからゆうちゃんと仲良くしてやってくれ」

「……ありがとうございます」

「あんなつらしてるから誤解されるかも知れないが、あの子はとっても優しい子だよ。商店街で泣きじゃくる迷子の子供をおんぶして、母親が見つかるまでずっと面倒見るような子さ。愛想はあまりないし、口も達者じゃねぇが、まっすぐ芯の通った心根の優しい子だとおっちゃんは思う」


 俺の肩を力強く叩いて、おっちゃんは念を押すように言う。


「だからよ、ゆうちゃんと仲良くしてやってくれるとおっちゃんは嬉しいよ」

「……うす」


 そのまま、ケツを手のひらで叩かれて帰路へと送り出された。

 何度かおっちゃんに頭を下げてから、商店街を去り、ジャガイモ片手に家へと帰る。


 年の功というものは恐ろしい。おっちゃんは俺の腹の黒いところを読んだかのように、手塚のことをフォローしていた。あそこで嘘を言って得があるわけでもなし、先ほどの話は本当なのだろう。だが、その立ち振る舞いと俺の知る奴の姿が全くもってリンクしない。あの手塚が子供の面倒をみる? カレーの具材を自分で買っていたということは、自炊しているということだ。あの手塚が手料理? 似合わない。ぜんぜん似合わない。人肉スープを煮込むなら分かるが、カレーなんて家庭的な料理を作るなんて想像できっこない。そもそも、夕飯なんて親に作ってもらえばいいのに──いや、家庭の事情なんて人それぞれか。


「……たぶん、……擬態、だな。うまく正体を隠して地域に馴染んでいるんだ。仄暗い部分があるからこそ、わざとらしく人助けをして本性を隠しているんだ。だって、もし、おっちゃんが言ってた姿が本当なら──」


 学校で噂される奴の本性は一体何なんだ?

 手塚悠馬の近くにいる五人の少女はどういうことだ。

 説明がつかない。

 それにまだ、八百屋のおっちゃんの適当なフォローを聞いただけだ。判断を下すには情報量が足りないだろう。

 引き続き、奴の尾行を続け、必ずやその悪虐非道ぶりを暴き出してやる。

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