第2話 恋の逃避行 その1

 俺の通う県立富が丘高校は、付近中学の稚魚たちから根強い人気を誇る自由な校風がアピールポイントの進学校である。そのかわりと言ってはなんだが、それなりに偏差値は高く、頑張って受験勉強しないと入れない程度には狭き門を潜り抜けなければならない。眠たい目をこすり睡眠時間を削ってでも、エナジードリンクをがぶ飲みして元気の前借りに手を染めてでも、受験生たちは日夜勉強に明け暮れるのだ。その目的は、人生のためとか、行きたい大学のためとか、そういう賢しいものではなく(もちろん、そういった高尚な理由を持つ真面目くんたちもいるだろうが)、彼ら彼女らの一般的な総意としては「高校でオシャレ、バカほどしたくね?」の一言に尽きるわけである。


 髪色、髪型なんでもオーケー。

 ブレザー、セーラー、学ラン、三つから選択できる自由自在な制服。

 その改造すらも特に咎められない。

 メイクも好きなだけしていいし、整髪料も、香水だってつけ放題だ。


 そんな校風であるからして、我が富が丘高校ではそこら中でオシャレバトルが勃発し、美的センスによる格付けが学内ヒエラルキーに関与してしまうある意味殺伐とした環境に身を置いているわけだが、俺は入学早々「どうぞ好きにやってください」と落伍者になり、ファッショナブルかつエレガンツなオシャレ大将軍たちの影に隠れるノームコア忍者と化したのである。

 家が近いとかそういう理由でここを選んだ奴らも俺と似たような感じなので、特に目立つこともない。

 そういうわけで、俺の学校での立ち位置は、特筆すべきものもない一模範的優良生徒Aだ。


 ちな、友達はいない。

 人間強度がダイヤモンド級な俺は、群れなくともこの世知辛い世の中を泳いでいける凄みがあるのだ。愛だの恋だのとも縁遠く、むしろそういったものを、唾棄すべき下らない感情と嘲っていた節さえあった。しかしそれも驚天動地の大事件が起きるまで。

 高校二年に進級し、2ーAの教室に入った俺の前に、運命の女神は現れた。

 昼間瞳子だ。


 150センチにも満たない小柄で華奢な体。半月のように瞼が落ちる一重瞼、やる気のなさそうな目。眉を隠すほど伸びた前髪、背の中程まで伸びた黒髪はさらりと艶やかなストレートヘアだ。ライトブルーのインナーカラーは黒の髪色によく生えて非常に目を惹く。耳には黒いピアスとイヤーカフをつけており、ほっそりと伸びる小さな手の先は黒いネイルに飾られていた。黒いセーラー冬服を着て、つまらなそうに席に座る彼女の髪が、窓から吹く春風に巻かれてハラハラと踊った時、俺の心は撃ち抜かれた。


 んんおおおおおぉぉぉぉ、すきだぁぁぁぁぁぁあああ!!

 一目惚れだった。

 甘酸っぱいような、苦いような形容し難い感覚が胸の奥で渦巻くはじめての経験。どう処理すればいいのか分からない切ない感情に悩むこと一週間、風呂場の鏡に相合傘を書いてニヤニヤするくらいぶっ飛びだし、昼間さんとの存在しない甘い記憶で脳内が満たされ始めた頃、とうとう行動を起こした俺は彼女を屋上に呼び出し告白するに至る。


 その結果はご存知の通りだ。


 彼女は、クラス割りの紙が貼られた掲示板に群がる男子生徒たちがその名を口にするほどの美少女だった。中でも我がクラスはどうやら“大当たり”らしく、二年生男子生徒の間でまことしやかに囁かれる『富が丘めちゃかわ四天王』のうち三人が2ーAに名を連ねていた。そう、昼間瞳子レベルの美少女があと二人も同じクラスに存在するのだ。


 子黒猫のように愛くるしい昼間瞳子ひるまとうこ

 御伽話のお姫様のように美しい日暮奈留ひぐれなる

 でか乳ギャル片瀬比奈かたせひな


 三者三様、男たちが彼女たちを求めて海に駆り出され大航海時代が開幕してもおかしくないくらい魅力溢れる美少女たち。見ているだけで眼福。同じクラスにしてくれてありがとう神様。多くの男たちがそんな夢見ごごちな気分に浸っていられたのも束の間。

 現実は非情である。

 誰もが恐れ、誰もが嫌う、最低最悪な存在が我がクラスに在籍していたのだ。

 2ーAにはあの『富が丘の魔王』も在籍していた。

 そう、その人物こそ──。


手塚悠馬てづかゆうまぁ……」


 手塚悠馬。 

 誰が呼んだか、人呼んで魔王手塚。

 入学当初から、その凶悪な様相も相まって、奴は我が校の有名人だった。


 ざっくばらんに切られた直毛の黒髪短髪。前髪は目にかかるくらい長く、襟足は短く切り揃えられている。

 特段、語るところのない普遍的な髪型に対して、その容姿は語るべきところしかないと言えるだろう。

 まず目を引くのが顔の右半分から鎖骨にまで広がる大きな火傷跡。そして、左頬から首筋に伸びる裂傷痕。どこかの国の暗殺組織出身ですみたいな殺人的三白眼、狐狼のように研ぎ澄まされた野生みのある顔立ちと、それに伴う底冷えするような冷たい雰囲気。

 すらりと伸びる天を衝くような巨体は、筋骨のはっきりとした逞しい肉体に覆われていて、ギリシャ像の彫刻を想起させるその体にも、その相貌と同様に、至る所へ裂傷や火傷の痕が禍々しく刻まれていた。

 どこかの軍の特殊部隊あがりか、あるいはヤクザの鉄砲玉か。

 とても堅気とは思えない苛烈な風貌に、彼と目が合うだけで腰を抜かす生徒が続出するほどだった。


 廊下に身を隠し教室をのぞく俺の視線の先で、魔王と昼間さんが談笑している。


「ぐぎぎぎぎ……」


 喉の奥から湧き上がり口の端から漏れ出る怨嗟の声。

 もし俺に呪術の才能があったのなら、あまりの怨みに呪いが暴発し手塚は一週間腹を下していたに違いない。


 うららかな春の日差しが差し込む窓辺。

 教室の一番奥の端、いわゆる主人公席に座る手塚悠馬。

 そんな彼にわざわざ自分から近づいた昼間さんは、前の席の椅子を借りて反対向きに座り、背もたれに両腕をかけてそこに顎を置き上目遣いでクソクソうんこマンを見つめる。ああ、すまん、クソクソうんこマンというのは筋肉ゴリラ顔面凶器こと手塚悠馬のことだ。俺は耳を澄まして、ふたりの会話をどうにか把握しようと努めた。

 美しい湖畔に響く小鳥のさえずりのような声で昼間さんは尋ねた。


「悠馬って好きなバンドとかある?」

「特にない」


 窓から見える中庭を見ながら、片手間とばかりに地響きのような声で手塚は答えた。

 なんだそのやる気のない返事は!

 昼間さん! 俺、好きなバンドあるよ! 俺! 俺に聞いて!


「ふーん。ライブとかフェスとかも行ったことない感じ?」

「ああ」

「えー、もったいない! 今度一緒に行こうよ。好きなバンドのワンマンあるんだ。箱が小さいから熱気すごいよ。全身の産毛がぶわぁっと逆立つくらい感動する」

「やめとく。人混みは嫌いだ」

「なんだよケチ。ぼくも人混みは好きじゃないけどさ、ライブの時だけは別なんだよね。同じ時間、感情を共有して、同じものを全身全霊で楽しんでいる一体感みたいなのがあって、魂が震えるような、現場でしか体験できない高揚感があるんだけど……ここまで聞いて、ほんとに行かない? 興味惹かれたんじゃないの?」

「行かない」

「むぅ」


 両頬に水風船を詰め込んだみたいにムクれる昼間さん。その仕草はひまわりの種を頬袋にありったけ詰め込んだハムスターのような愛らしさに満ちており、俺はその可愛らしさに思わず悶えて心の中の回し車を全力疾走した。すきだぁぁぁぁぁぁ。と云うにも関わらず、対する手塚は目の前の昼間さんに思うところが何もないみたいな澄ました表情を浮かべていた。


 ふつう、好きな子じゃなくても、あんなに可愛い子に遊びに行こうと誘われれば、思春期のむつくけき男子たちは喜びに前歯の歯茎を隠しきれなくなるはずだ。だというのに、あの余裕。いや、余裕というよりそもそも興味がないのか何なのか。

 その後も、昼間さんが話しかけ、手塚が二、三言葉を返すだけの味気のない時間が続くだけだった。

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