どけ、美少女ども!俺がヒロインだ!
二見猟太郎
第1話 プロローグ
緊張して、うんちが漏れそうだ。
屋上に続く扉を開く。
夕日の中に立つ小さな後ろ姿が目を惹いた。
風になびく墨染の髪。ライトブルーのインナーカラーが、闇の中に光る黒猫の瞳のように印象的だった。
「ごめん、待たせたか?」
「……いや、そんなに待ってない。で、話って?」
振り向いたその顔は、いつも通り、あくびが出る校長の話を朝礼で聞いている時のような澄まし顔だ。
彼女は右手に持った呼び出しの手紙──ラブレターをヒラヒラさせて、少し小首を傾げて見せた。
色々と察するところもあるだろうに、ここまで平常運転な様子を見ると、この勝負の勝敗が既に決まっている予感がありありとあった。負けるな、犬神湾太郎。自分を鼓舞する。諦めるにはまだ早い。心を奮い立たせ、彼女の方へ一歩踏み込み、その愛らしい容貌を見つめた。
高校二年生というには少し幼い相貌。
小さな顔に、半月のようにまぶたの落ちたやる気のない瞳。
さくらんぼのような唇を斜めにすぼめて、じっとこちらを見つめてくる。
身長差から見下ろす形になっていた彼女に頭を下げ、空まで届けと言わんばかりに思いの丈を叫んだ。
「
「……だす?」
「──好きです!! 付き合ってくださいっっ!!」
瞬間湯沸かし器のように耳の穴から湯気が出る。
頭を下げていたおかげで、肝心なところを噛んでしまい真っ赤になった顔を見られずに済んだのは幸いだった。
十六年間の人生において、はじめての告白。
一世一代の大勝負。
早打つ鼓動が全身を揺らし、期待と不安で脳みそと心がぐちゃぐちゃにミックスされる。
そして、俺は、青春の苦さを思い知ることになる。
まるで答えなんて初めから決まっていたかのように、彼女はすらすらと言葉を返す。
「わー、そうだったんだ、ありがとー。でも、ごめん。ぼく、他に好きな人がいるから。潔く諦めてね」
小さな手のひらでポンと肩を叩かれた。
スタスタと立ち去る足音がやけに脳内を反響する。
下手くそな大根役者の初舞台の初セリフのように紡がれた彼女の言葉を咀嚼するまでにいったいどれほどの時間を要したのだろうか。気づけば俺は膝から地面に崩れ落ちて、指先でつつかれたダンゴムシのように小さく小さく丸まっていた。
嗚咽が漏れる。涙が溢れた。
他に好きな人がいる──彼女が口にしたその言葉を振り返ると同時に、とある男の姿が脳裏を稲妻のように瞬いた。
「──あの噂はやっぱり本当だったのか」
拳を握り締め、悲しみに暮れる傷ついた心に怒りという名のエネルギーを注ぎ込んで奮い立たせる。
俺がはじめて恋した女の子。
彼女には、いや、彼女を含む複数人の女子たちにはとある噂がついてまわる。
最低のゲス野郎、
あの心のまったく籠もっていない断り文句。あれはきっと憎き手塚悠馬が昼間さんに命令して言わせている言葉に違いない。彼女は何らかの手段をとられて奴の言いなりになるしかない状態なんだ。弱みを握られているのか、暴力で支配されているのか。手塚悠馬の凶悪な容姿を思い浮かべるに、どちらもあり得てしかるべきである。あの悪鬼羅刹を十時間ほど煮込んで濃縮処理したかのような殺人的顔面をしている男を、昼間さんがシンプルに好きだなんてことはどう考えてもあり得ない。
「俺が昼間さんを助けてあげなくちゃ」
単体百鬼夜行とまで呼ばれた手塚悠馬に挑むことへの恐怖はもちろんある。足だって生まれたての子鹿のようにブルブル震えるさ。顎だって止まることなくガチガチ鳴ってる。ストレスでお腹が痛い。しかし、それでも、惚れた女が酷い目にあっているかもしれないのに、知らぬ存ぜぬで逃げるなんてこと俺にはできない。
邪智暴虐のくそウンコ、顔面凶器キン肉ゴリラこと手塚悠馬を尾行し、奴が昼間さん、もしくは彼女に準ずる他の被害者たちを傷つけている瞬間をスマホで激写。学校あるいは警察に提出して、法と秩序の名の下に正義の鉄槌を奴に下し、彼女を縛りつける悪の鎖を破壊せしめてみせる。
「やるぞ、やってやるんだ。がんばれ湾太郎、お前がナンバーワンだ」
ガリガリと爪を立てて地面を握った。
痛みに耐えるこの心こそ、俺の決意のあらわれだ。
大地を踏み締め立ち上がる。
涙と鼻水に汚れた顔をポケットティッシュで整えて、俺はまた屋上の扉を開く。
斜陽に照らされる屋上から校舎内へ続く階段を見ると、その先は影が色濃く不気味に見える。思わずそこへ踏み込むことを躊躇った。何をビビってる、湾太郎。やるんだろ、やってやるんだろ。彼女を救えるのは、俺しかいないんだ。
奥歯を噛む。
拳を握った。
一歩一歩、
待っていてくれ、昼間さん。
必ず俺が君を魔王から取り戻してみせる。
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