第54話 最後の導き
ネロが叫び声のしたコテージの方へ向くと、2階の窓、小さな声で怒る管制長の隣で、長い藍色の髪は下ろしていて、色のついた眼鏡を掛け、辛そうに頭を抑えるロディネの姿が見えた。そのままずるりと崩れて外からは見えなくなる。肩のつばめも、肩から、窓枠を越えて――
実体があるわけではないから、落ちても別に大丈夫であることは分かっている。でもネロは走らずにはいられなかった。つばめが植え込みに落ちる直前に何とか受け止めると、つばめはネロの手の中でぱちりと目を覚ました。ネロをじいっと見つめて、犬に対して怒る時と同じように、つんつんと手を啄む。
ネロはそれをそのままそうっと包み込んだ。
「先生が目を覚ましたんだ! もう一旦話は終わりにしましょう。俺は行きます!」
視界の端に何か言いたそうなレオナルドが映ったが、言いたいことは全部言った。それよりロディネだと、ネロは振り向くことなく走った。
「ネロ、入りなさい。鍵は開いている」
やっぱりノックをしなくても管制長が気付いて、許可の声が聞こえる。つばめを持っていて手が使えず肘でドアを開けると、部長が開いた窓とカーテン閉めて部屋の侵入する光を遮り、横になっているロディネの傍には管制長がいた。
「ロディネは目覚めたばかりで急に大声を出したからベッドに戻したが、起きてはいる」
「……ネロ、久しぶり。寝坊してごめんな」
「……っ、ほんとうですよ……全然っ……! 早くないけど、おはようございます」
ネロは泣きそうなのをぐっと堪え、ロディネの枕元につばめを置いた。つばめも起きているが、巣から落ちた雛鳥のように丸く踞ったまま動かない。きゅーんと悲しそうに泣いた犬が駆け寄り、催促して寝転ぶ。つばめをお腹に置くと、卵を温める親鳥のようにつばめを包み込んで丸まった。
「先生……大丈夫ですか」
「大丈夫。自分の状態忘れて叫んだ自業自得だからな……それより」
ちょいちょいと動く手招きに顔を寄せると、ぶにっと頬をつねられる。
「へ……いひゃい」
加減はされてるけど普通に痛い。何で? 何か怒られるような事した? そういえばさっき、手の中のつばめも何故か怒っていた。
「いなくてもよかったなんて、二度と言うな」
先生の声は震えていた。
「俺は、お前がいないのは、無理だよ」
「先生……」
つねる力が弱くなった手が落ちる前に、ネロがそうっと抱き締めると、ロディネは抱き締め返して来た。この1年、眠るロディネを世話するのに何度も抱きかかえてきたけど、返事が返ってきたのは初めてだ。
「本当にいなくなるつもりなんて毛頭ありません。先生に導いてもらって、俺は、先生の所に帰って来ます」
「――……っ」
ロディネはネロの胸で身体を震わせて泣いている。泣かないで欲しいという気持ちと、ちょっと見てみたいなと気持ちがぶつかった。でもきっと見られたくはないだろう。ネロはそのまま黙って背と頭を撫でた。
ひとしきり泣いたロディネはすんすんと鼻をすすりだした。そろそろ大丈夫かなと思い始めところで部長が大きく咳払いをする。
「あー……お前達。再会に浸っているところ悪いが、もう1人外にいる奴は入れてやるのかやらんのか」
「……入ってもらいます。ネロ、ここにいて」
そう言ってちょっと泣き顔が残るロディネはきゅっとネロの服の裾を握る。もちろんですと言ってネロが手を握ると、ロディネはきゅっと握り返した。
「では我々は外すか。我慢出来ずに余計な茶々を入れてしまいそうだ。レオナルド、入れ」
「ではロディネ、ネロ、また。……レオナルド。お前はクレアと一緒に、後日私の所へ来るように」
ぞろぞろと出て行く管制長達と入れ替わりでレオナルドが獅子と一緒に部屋に入ってくる。大きな獅子はさっきまで話していた時より、何だか叱られた猫のように小さくしょんぼり見えるのは気のせいではない気がする。
「……おはよう、ロディ」
「おはよう、レオナルド。何の用だ?」
「見舞いと……ずっと俺が持っていたお前の欠片を返しに来た」
「ん。じゃあ、来い」
ロディネはネロの手を握ったまま、レオナルドに向かって手を差し出す。
「起きたばかりで2人の導きなんて」
「導きじゃなくて
「……分かった」
レオナルドはおずおずとその手を握り返した。
(……お前なぁ)
心の深層で、ロディネはキラキラ光る盾の欠片をレオナルドから受け取った。その欠片は完全に羽根の形をしている。手入れされていたかのように艶々綺麗で、大事に抱えていたんだろうなという事が窺えた。
「何だか自分のものじゃないみたいに感じるな」
変なのと言いながら、ロディネは不思議そうに羽根を眺めている。それはそうだろう。これはロディネの欠片ではあるが、長い間本人から離れていた。レオナルドの思いの塊でもある。
(お前……ちゃんと俺が好きだったんだな。でもさ、俺にはそれが恋愛感情なのか何なのかはやっぱり分からないけど。長いこと一緒だったのに、ネロの方がお前を理解してんのが、何か変な感じだよ)
ロディネは困った顔をして、しょうがないなと笑っていた。導きを止めれば、意識は揃ってコテージの中に戻ってくる。
「でもレオナルドは、クレアにも何か気持ちはあったんだろう。酷いこと言って利用してるけど 、決してただ都合がいいってだけではなかった。意外とクレアと結婚する事は頑なだったもんな」
「……お前以外で結婚、ならばクレア以外の考えはなかった」
「……落ち人の言葉で『二兎を追う者は一兎をも得ず』って言葉があるんだけどさ。まさに今のお前の事だよな。そういえばさ、グリーディオとの戦いの前、俺のところにクレアが来たんだけど、お前、それ知ってる?」
「いや……知らん」
「もうすぐグリーディオとの大規模な戦闘になるから、お前を支えて助けてやって欲しいって頭を下げに来てたんだ。どの面下げて来たんだって言われる覚悟もしてさ」
ネロがじっとロディネを見ると、ロディネは少しヤバいと焦った顔をした。やはりレオナルドのために応援を引き受けたのか。さすがに今さら責めるつもりはないが、言ってあげるつもりもない。
「ま、まあとにかく! お前がどうしたいのかは知らんが、俺はもう、とっくの昔にお前に対してそういう感情は抱いていない。ネロもいるし」
「……お前、こいつがそんなに大事か」
「お前にそれは関係ないけど……」
ロディネはにっこり笑って言った。
「別にはっきり言って引導渡してやってもいいんだが、本人にもそれをちゃんと言ってない状態で、俺は
わざとだ。それは引導を引き渡しているのと同じだし。
「あとさー……お前、セイル先生のところ行ってなかったのって、先生に言われた事を無視してバツが悪かったからだろ? ……子どもか」
図星なのか、レオナルドさんは気まずそうにしている。
「先生は多分めちゃくちゃ怒る。でも優しいから、ちゃんと謝って俺に欠片返したって報告すれば、しょうがないなって笑って許してくれると思うぞ? なあレオナルド。自分のためにも、きちんとけじめをつけてこいよ」
ロディネは完全に吹っ切れたのか、ネロがよく知る明るい顔で笑った。レオナルドはそれを眩しそうに見つめ、顔をくしゃりと歪めた。それは泣き出す直前の子どものような顔だった。
「……先に、言っておく。決して代わりではない。俺が、お前を好きなのは間違いない」
「ん?」
「でも、最初お前が気になったのは……多分、セイルに似ていたからだ。幼い頃、俺の周りで俺をまともに見てくれていたのは、セイルとクレアだけだった」
……ああ。
(この人は、先生の事で遺言を無視してしまった事もあるけど、お墓に行くことでセイルさんがいないという事実を改めて突きつけられるのが怖かったんだ)
ネロはセイルの事を、人を通じてしか知らない。しかしロディネと似ていると思う事は多々ある。
「だがセイルにはシルヴィオがいた。クレアはいい奴だったが、あいつも子どもで周りはクソだった」
そして逃げた先で、ロディネに出会った。セイルにどこか似ているロディネに、セイルとクレアの両方の役割を求めたのだ。
「……クレアに頭下げてやり直すのかはきちんと、クレアと話し合って決めろ。もう、俺は関係ないと言いたいところだが……でも腐れ縁だ。俺とお前のパートナーになる人が嫌がらなければ、
「……ありがとう。シルヴィオにも来いと言われているし、クレアとも帰って話す」
「おう。さっさと帰れ」
しっしっと手を振ってはいるが、ロディネは笑っていて、レオナルドも少し困ったように笑っていた。
「言葉だけで言うのもあれだがお前……ネロも、すまなかった」
「何の事でしょう?」
もう済んだ事だし、この人の心持ちも随分変わった。ロディネの最後の
レオナルドを見送ろうと、2人で一緒に廊下へ出ると、綺麗な女性が慌てたようにこちらへやってきて、レオナルドの少し手前で止まる。何かを言おうとして一度止め、少しだけ逡巡したあと、意を決したように顔を上げた。
「クレア」
「顛末は、聞いたわ……。私も知ってて黙っていたので同罪です。ロディネ、ネロさん本当に申し訳ありません」
「先生はともかく俺にそれを謝られても。まずはお二人で話し合ってください」
この美人がレオナルドさんの奥さんかぁと思う間もなく、ぱぁん という綺麗な音が廊下に響く。見事な平手打ちだった。
ネロも驚いていたが、ロディネはもっと驚いているし、叩かれたレオナルドはもっともっと驚いている。
「私がいらない、パートナーになれないというのは、いい。もういい」
クレアは人を攻撃することに慣れてないんだろう。思い切りレオナルドを張った手をもう片方でそっと抑えた。その手は少し、震えている。
「でも貴方もフラれたのねレオン。今度は完全に。とっくに気づいていたでしょう。私も貴方も向き合う時が来たのよ。ずっと見て見ぬふりをし続けた失恋に」
ざまあみろだわ、とクレアは笑いながら泣いた。泣きながら「ジラルドも待ってるから、帰って話しましょう」とレオナルドの手を握って、レオナルドもそれをおずおずと握り返す。
その様子を見て、「クレアが泣いてるの、初めて見た」とロディネは呟いていた。初めてらしいそれを見て、「やっぱり
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