第53話 ゆるさない

 

「ロディネ……! 目覚めていたのか」

「いや、今起きた、ばっかです」

 

 喉がかさかさで、声はがさがさしている。聞こえ方が変だ。部長が水を入れてくれたのでありがたく受け取り、口を湿らせる。一気に飲みたい衝動に駆られるけれど、多分よくないので、ゆっくり3口程飲んだ。

 

「しかし……気付かないとは、我々もすっかり衰えたな」

「致し方ないでしょう」

 

 一般人よりは遅いとはいえ、番人の能力もまた、老化と共に衰える。ある程度は仕方ないと、ロディネも思う。

 

「感覚はどうだ。お前はいわば領域崩壊ゾーンアウトの状態だったから、五感がおかしくなっている可能性がある」

「調節機能がおかしい気がします。自分の声が妙に大きく聞こえて……あとすごく眩しい。味覚と嗅覚、触覚はすぐ分かる異常はないように思います。……ところで何で管制長と部長が?」

「お前の番犬代打をしつつ、金獅子と黒妖犬が戦い始めた時に止めるための要員だ」

「えっネロとレオナルド? 何、どういう事??」

「ネロがレオナルドを呼び出してな。今は話してるところだ。私はあいつ最低だなと思いながら見ている」

 

 だからネロとレオナルドがそもそも何で戦うんだ?

 

「ある程度してセイルの遺した生徒が巣立ったら、何だかんだ言ってお前達はパートナーになって結婚して、お前が引退する事は想定していたんだがな……あいつ……あんな理由でクレアと結婚したとは」

「話が見えないし、あんな理由が何かよく分かりませんが、あいつに関しては俺も悪いんです。グリーディオの鳶の番人が言ってた事から想像しているので、真実ではないかもですが」

 

 レオナルドは確かに何も言わなかった。けど、それに怒っていたとはいえ、ロディネも何も言わなかった。それをいつまでも続けたところで、何かが変わるはずもなかった。

 レオナルドはロディネに、勘違いだと言った。

 依存だ、刷り込みだ、外を知らないって。レオナルドは訓練生の事を言ってたんだろうけど、それはロディネの事だった。

 名前をくれたから、助けてくれたから、いい相棒だったからと一緒にいた。ロディネはあのろくでもない孤児院と塔しか知らなかった。

性格が特別合うというわけではなかった。でも何だかんだ仲は良かった。ずっと一緒だったから……相棒だったから……名前を、くれたから。本当にそういう意味で好きだったのかは分からない。でもいい相棒だった。その大事な思い出に、少なくともロディネはしがみついていただけ。

それを当たり前だとレオナルドも思っていて、いざロディネの方が飛び立つとなったら、置いていかれると怯えていた……いや、それに怯えたからこそ、中途半端に握り囲おうと、逃げられないようにと、レオナルドは一番悪手を打った。ロディネにも、恐らくクレアにも甘えていた。

 ロディネはセイルが亡くなる前に、つばめが獅子に止まらなくなったときに、本当はとっくに気付いていた。

 

「いや、そうだとしてもどう考えたってあいつが悪いだろう」

「まあそうかもしれませんけど」

「導き手に限らず、片方が何でも汲み取らないといけないという環境は結局結婚したって離婚率が高いぞ」

 

 部長、何か急に親戚の子を心配するおっさんの雰囲気になる。それにその言葉は自分自身にそっくり当てはまるんじゃないのかと思う。子とか孫とか。

 

「それより管制長、セイル先生は本当にもういないんですね」

「何だ突然。寝ぼけて……「そうだな」

 

 領域崩壊の後は、精神が不安定になりやすい。ロディネは多分、その状態なんだろう。変な事を言ってるかもしれないが許して欲しい。

 

「俺、正直……眠りこけてる間に全部終わってて最後先生に会えなかったからか、墓参りしてるくせに、今までいつか何処かで先生に会えるような感覚があったんです。でも今回自分があれを経験して、あぁ、絶対無理だなって体感した。もう戻ってこない……」

 

 セイルは当然戻ってこないし、レオナルドの言うとおり、ロディネのところには、誰も戻ってこない。

 期待しても仕方がないって、飛び立った先で幸せならそれでいいって。そう思うのも間違いなく本心だ。でも淋しい寂しいさびしい。

 そんな事を吐き出したロディネを見て、管制長は優しく微笑む。いつもきりりとした表情の管制長と違うそれは、何だかセイルのようで懐かしく感じた。

 

「そうだろうか? お前を慕うあの子は戻ってくるだろう。ずっとお前しか見ていないし、お前以外に心を預ける気は、さらさらないぞ」


引き出しに色眼鏡が入っているから、それを掛けてこっちに来いと、管制長が手招きする。ぱらぱら落ちる伸びた髪を結びたいが、ゴムも紐もない。仕方ないので言われた通り色眼鏡だけを掛けてベッドを降りる。足が弱っている感じがするが、歩けないほどではなかった。

 ロディネはぺたぺたと裸足のまま、光差す窓へと向かい、こっそり外を覗くと、レオナルドとネロが何かを叫び合っていた。

 

「これ、2人とも管制長達に気付いてないんですか?」

「能力を使ってないのもあるだろうが、お互いに夢中になり過ぎて全く気付いていない」

「……取り合えず、俺も聞いてみます」

 

 +++

 

「先生は気が短いし、はっきりものを言うから分かりにくいけど、優しい人ばかりの導き手の中でも特に優しくて細やかだ。何かあったら引き受けては飲み込んでしまう。番人は導き手に依存することが多いし、重いしややこしいけど、あんたは一等重い。同じ番人から見たって重いし、とてもややこしい。あんたは愛情に餓えていて、そして分かりにくい……というか何でそうなる? って理解できない行動や言動のせいで分かりにくいけど、愛情は多分深いと思う。方向はおかしいけど。きっと重くて相手を潰してしまいかねないくらい深いんだと思う。そんな自分を否定せず丸ごと受け入れて欲しい。そしてそれと同じように返して自分だけを見て欲しいと、出来れば籠に入れてしまいたいと思っているんだろう。でも……はっきり言って、先生にそれは合わない」

 

 ネロ……こんなに喋れるんだ。いや、普通に喋るけど、こんなに喋ってるのは見た事がない。

 

「しかし、ネロはレオナルドの事を何故あんなに?」

「俺が領域崩壊した時、ネロは何か物事を見透かしているような雰囲気がありました。それでか意外にもレオナルドをちょっと庇ってたんですよ」

「五感以外の能力か」

 

 導き、精神感応テレパス、小さな白狼。

 段々記憶がはっきりしてきた。

 

「受け入れる事だけなら先生は出来るとは思う。望まれたらきっと望むように返してくれる。でも先生は先生があんたを選ぶことで切り捨てるものや、それの下敷きになる人……一番はあんたの奥さんだ。罪悪感で傷だらけになって、結局いつかは飛べなくなる。そしてそうなればまた、あんたも壊れてしまう。そんな想像をするなんて烏滸がましいとも思うけれど、そういう風になってしまうと、俺は思う」

「――よくお前を見てるな」


 管制長が感心している。本当によく理解わかってる。そうだ。ロディネがネロをずっと見てきたように、ネロもロディネをずっと見てきた。いつも自分は番人を見る方で、精神共感エンパスで人を理解する側だから、こういう風に人に解されているというのは何だか不思議な感じがした。

 

「でも、それはそれ。これはこれ。俺が言いたいのはそれじゃなくて」

 

 ネロはすっと息を吸い込み、わんこは隣で通せんぼのように立ち、尻尾をぴんと立てて思いっきり吠えた。

 

「我慢出来るからって甘えるなよ! どいつもこいつも!! 傷が深くてしんどくても我慢してるだけで、先生はずっとずっと傷ついてる。もう元には戻らないかもしれない。でも、あんたが持ってるその欠片は先生のだ。先生に返せよ!」

「子どもか」

「言ってることは正しいですよ」

「俺に返す……?」

 

 確かに、ロディネのつばめはずっと飛べない。でも欠片ってなんの事だろうか。

 ロディネは自分の盾を探った。壊れていた盾はほぼ直っているが……少し、欠けてる箇所があって、そこに自分のものではない欠片が、その欠けを埋めるようにくっついて、余った奴は落ちている。ていうかこれ。

 

「ネロの!? 何で!? ――っあいった……」

「馬鹿か! 調整機能がおかしいなら変に声を出すんじゃない!」

(……あー……そうだ。俺、ネロの暴走を止めるために導きの途中で攻撃を受けてしまったんだ。これ、そのせいか)


 小声で器用に怒鳴る部長の叱りを流しながら、ロディネはネロの欠片を撫でた。こちらでも傍にいてくれたんだ。


「嫌がらせや嫉妬で言ってるんじゃない。あんたは、駄目だ。俺はただ、先生には笑ってて欲しいんだ。出来るだけもう、辛い思いはして欲しくないんだ。だからあんたは絶対駄目だ。あんたは先生の過去の塊でもある」

「ならお前はどうするというんだ。過去がなければお前はここにいないと言うのに」

「それはそう。先生が傷ついた事も、先生の先生が亡くなった事も……いい事も悪い事もなかったことにはならない。でも、それでも……もし時間を戻してあんたと先生がくっついて、先生が幸せになれるんだとしたら、俺は」

 

 わんこが吠えるのを止めてしゃがむ。ネロも怒って捲し立てていたのを止めて、目を閉じた。すぅっとひとつ、深呼吸してロディネが贈った認識票ドッグタグを握って目を開いた。

 その目は凪いでいて全てを受け入れ慈しむような。

 あの、告白をしてくれた時と同じ目をしていた。

 

「俺は……ここに立ってなくたって、よかったと思うよ」

 

 "俺を覚えていて! ”

 

「いなくてよかったなんて訳あるかっーー!!」

 

 気付けば俺は自分の状態も忘れて叫んでいた。


「――ッ、う……」

 

「先生!?」「ロディ!?」

「この馬鹿もの! まだ感覚が正常ではないのに大声で叫ぶなとだっきも言ったろう!」

「だって……」

 

 だって、だって、許せない。

 あの真っ直ぐな思いを否定するような事を言うなんて。言った本人だからって、許せない。


 俺は絶対にずっと覚えてる。15のネロが言ったあの言葉を。

 俺のために、それを否定するなんて、俺は絶対に許さない。

 

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