第47話 目覚めと眠り

 

 精神感応テレパスが使えるならもしかしてと思ったけど、やはりネロには導いたり盾を直すことはできなかった。せめてと抜け落ちた羽根のように辺りに散らばる盾の欠片を拾い集め、それを盾の側にそっと置いて盾を撫で、意識を戻していく。

 

「すご……あの状態から能力覚醒すんのか……絆、結んだ感じでも、ないけど……何だろ、それに近い?」

 

 意識が覚醒すると、レオナルドがネロとロディネを庇うように構えている。ぴょんぴょん跳ねてネロの方を覗く男は、黒妖犬パピィじゃなくなっちゃった……! とはぁはぁと嬉しそうに興奮していて、正直かなり気持ち悪い。ネロは思わず、ロディネを男から見えないように、そっと隠し直した。

 

「――先生は連れて行かせない」

「飛燕ちゃんだけじゃなくて黒妖犬パピィ、是非是非一緒に……」

「このグリーディオの蝿が……命あっての物種、という言葉を知っているか?」

 

 青筋立ててごきりと手の骨を鳴らすレオナルド。それを見て、冷ややかな笑みを浮かべてまた構える男。この2人をこのままにしておいても埒が明かない。

 

「――レオナルドさん!」

 

 ネロはレオナルドを呼び止めて立ち上がり、ロディネを持ち上げようとした。


(……お、重……! 先生わりと細いのに!! )


 それでも精一杯の力を振り絞って、意識のないロディネを抱き上げてレオナルドに押し付けた。

 

「あんたは先生を連れて小塔に戻って! 先生はすぐどうこうなるとかはないと思うけど、早く看てもらわないと!!」

 

 悔しいが、ネロではロディネを抱えて逃げるのは無理だ。レオナルドに問い詰めたい事はたくさんあるし、できればロディネを預けたくはない。でも今はとにかくロディネに治療を受けさせないと。


(この人は先生を失いかねないようなことはもう、しない。まだ先生の事が好きなんだから)

 

 ロディネを受け取ったレオナルドは、一瞬、大事なものを持つようにそうっと抱き締め走り出す。その動作と、何でもない事のようにあっさり持ち上げるのにネロは少しイラっとしたが、仕方がない。ネロは追わせないために、鳶の男の前に立ち塞がった。

 

「……おっちゃんの話、聞いてた? よく金獅子くんに飛燕ちゃんを預けるね」

「あんたの言う事全部が全部本当じゃないし。思うところはいっぱいあるけど、先生を守るのが一番大事なので」

「ふぅん? 分かった風に言うねぇ……多少回復したとはいえ、戦い続けて消耗しっぱなしの若い番人なんかに、おっちゃんも負けるとは思わないけど」

 

 そう言いはするものの、構えは本気ではないし、鳶は元の鳥の姿に戻り、男の肩に止まってこちらをじいっと見ている。

 

「あんただって導きを受けたとはいえ、あの叫び声も使ってるし、ずっと戦ってる。ビアンカさん達の攻撃も受けて結構怪我してるから、いい勝負じゃないかと。でも倒しきれるとはさすがに思わない。相打ちが精々だ」

「あや、的確に判断するねぇ」

 

 男が笑う。だけど目は笑っていないからどうやら図星のようだ。

 レオナルドはかなりの早さでロディネを連れていってくれたようで、先生の気配は随分遠ざかった。入れ替わりで山は人の気配でざわざわとし始める。

 

「――ネロ!!」

「コルノさん!!」

「潮時かねぇ……君の言う通り、流石におっちゃんもこんだけ戦って黒妖犬パピィを倒したとて、連れてくのは無理だ。パートナーも待ってるし、ここは大人しく退いてあげるよ」

 

 じりり、と逃げの体勢に入る男を、ネロは本当ならば捕まえないといけないんだろう。だが、今の状態では無理だ。

 

(でも1つだけ聞いておきたいことがある。答えないとは思うけど)

「――最後にひとつ。先生の先生を、名前で呼ぶのと、先生を気に掛けるのは、何か関係がある?」

「さあねぇ? 君と飛燕ちゃんに幸運あれ。まったねー!」

 

 ……逃げた。

 

「逃げるぞ、追え!」という声が響くけど、あっという間に山の中に消えたあの男はきっと捕まらない。また忘れた頃に、揶揄うようにひょっこり顔を出すんだろう。

 鳶の男を追う人、死屍累々と倒れている味方を導き回収する人、倒れている敵を回収し拘束する人。本来ならネロも手伝うべきなんだろう。でも今はとにかくロディネの顔が見たい。慌ただしく山中を駆ける人の間を縫って、ネロは倒れている人達を手当ているコルノに声を掛けた。

 

「コルノさん、俺、先に小塔に戻ってもいいですか」

「いいけど、1人で大丈夫かい!?」


 頷くと、コルノは「気をつけて」と了承してくれたので、ネロはそのまま小塔へ帰塔した。その間に白い狼になっていた犬はいつもの黒い姿になっていて、ネロと一緒に一心不乱に足を動かしている。

 小塔に戻ってもみんなばたばたと慌ただしく駆け回っていて、腕まくりしてタオルをいっぱい抱えたジーナとすれ違った。少し通り過ぎたあと、ネロに気づいたジーナはものすごい勢いで廊下を走って戻ってくる。

 

「ネロおかえり! よかった、無事で……」

「ジーナも無事でよかった。あの、レオナルドさんと……先生は」

「2人は……」

 

 レオナルドはビアンカに追い出される形で現場に戻り、応急処置を受けてもなお意識のないロディネは、ビアンカ達と一緒に塔へと、今まさに搬送されるというところだそう。

 噂をすれば、「歩けるから降ろして」とコニィに抱えられてじたばたしているビアンカ。何だか似たような光景を前に見たなと眺めていると、ネロに気づいたコニィが「おーい」と廊下の先から手を振った。

 

「ネロくんも帰ってきたのなら君一緒に帰塔しよう。レオナルドから少し話は聞いてるけど、まず君は検査を受けてどういう状態かの把握が第一だ」

「分かりました」

 

 消耗が少ないジーナには小塔に残って欲しいそうで、ネロだけ重傷者達と帰塔する事になった。ネロはロディネのお陰である程度は回復しているので、ジーナに導いてもらい、ビアンカ達と車に乗り込む。

 カーテンが閉められて薄暗い車内には、既にロディネが乗せられていた。顔色が悪いなどはないが、綺麗な赤い目が見える気配はない。枕元に踞るつばめも目を瞑ったまま、ぴくりとも動かず、犬は小さくきゅーんと鳴いて、つばめの側でぴすぴす鼻を鳴らす。ぴょいと座席に寝転びこちらを見る犬のお腹につばめを乗せると、犬はつばめを温めるかのように丸くなった。

 車が動き始めた。けれど、やはりロディネは何も反応しない。ネロは何も言う事が出来ず、生きているかを確認し続けるかのように、ただただロディネの手を握り、頬や頭を撫でていた。

 

「ネロ」

 

 揺れる車内でコニィの肩にもたれ掛かって休んでいたビアンカが気怠そうに呼ぶ。

 

「ロディはちょっと無理したけど多分大丈夫。ネロの導きをした事が原因じゃなくて、その手前にやったことが原因。ネロが自分を責めるのはロディの本意じゃない」

 

 大丈夫とビアンカは呟く。それはまるで自分に言い聞かせているようだった。

 その手前にやったこと、というと、あの鳶の男が"盾破壊クラッシュ"と言っていた事だろうか。

 

「ビアンカさんは、先生がやったことが何か、分かるんですか?」

「うん。導き手は番人に対する精神共感エンパスなんだって知ってるよね。だから基本的に番人に好意的。本来は困ってたり苦しんでたらほっとけない」

 

 そう、導き手は元々優しい人が多く、相性はあれど番人に対して基本的に優しい。

 

「で、精神感応テレパスを使って対話し導き、盾を直して番人を癒してくれる」

「はい」

「ロディは……今回、その導き手の能力を逆に使って、番人の盾を壊した。それはとても消耗する行為だし、敵とはいえ、番人の精神を壊すような事は、導き手の盾にも精神にも大きな損傷を与える諸刃の剣」

 

 ロディネの性格なら相手が番人であろうがなかろうが傷つくことが容易に想像できるし、実際ロディネの盾はところどころ壊れていた。

 

「やっぱり俺のせいじゃないですか……結局は俺を止めて助けるための行動だ」

「そうなったのは私はじめ他の番人の力不足。一番若いネロがひとり戦うことになったのが異常。むしろ、頑張って無事でいてくれて、よかった……」

「導き手があんなこと出来るのも初めて知りました」

「知らなくて当然。あれはかなり昔に禁止されていることだし、そもそも気を許してない相手に精神感応テレパスを行使できる導き手自体がそんなにいない」


 じゃあ何で先生やビアンカさんは知っている? 

 疑問が顔に出たんだろう。ビアンカが答えをくれた。

 

「私も話でしか知らない。ロディは担当だったセイル先生がそれを使ったのを見たことがあるから。まさか実践するなんて思わなかったけど……セイル先生の死んだ原因でもあるし……」

 

 だとすれば、ロディネを失わずに済んで良かったと考えるべきか。ただ、砕けて落ちてたロディネのかけら……あれは、ちゃんと元通りになるんだろうか。

 

 曇り空のような薄暗い車内に導きの光は見えないまま。

 ネロはただただロディネの手を握っている事しかできなかった。

 

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