第48話 導と祈り

 

「仮契約の状態っすね」

「仮契約?」

「ロディネさんがネロ君の盾の欠片をパクったまま寝ちゃってるんですよ。でも自分が人の盾の欠片を持ってるってロディネさんが認識してるわけじゃないから、他の導き手に導いてもらうのはいけますよ。でも全快にはならないす。あと、他の人と絆を結ぶことが出来ないっす」

「はぁ……」

 

 塔に帰ったネロはビアンカ達と一緒に真っ先に医師の診察を受けた。たんこぶや打撲、擦り傷があちこちにはあったが、幸いな事にどれも大したことはなかった。

 診断書を書いてもらったあと、研究課に向かったのだが、自分に起こった変化を説明したとたん、研究課の人達に導きがてら被験みたいな扱いを受けている。はぁはぁ興奮する様子は、少しグリーディオの鳶の男に似ていて気持ち悪い。

 しかし、どんなに詰め寄られても犬はいつもの姿のまま、あの時変化した白い狼の姿にはどうやってもなる事は出来ず、尻尾を足の間に丸め、わんわんと引き気味に吠えていた。

 一方のロディネは集中治療を受けたあと、今はネロが最初塔に来た時に住んでいたコテージで眠っている。導き手は番人における導きのように盾を即時回復する手段がないので、盾の回復は自己の自然治癒力に頼らざるを得ない。命に別状はないそうだが、意識は一度も戻っておらず、今は管制長がロディネの身柄を預かって面会謝絶の状態だ。

 ネロはとりあえず治療と検査を受けさえすれば会わせてもらえるとの事なので、正直早くしてくれないかなぁとそわそわしていた。研究課の人の勢いに引いて吠えていた犬も、ひとしきり吠えて落ち着いた後は、ネロと同じようにそわそわしている。

というより研究課のこの落ち人の研究官は、いまいち何言っているのかよく分からないのだが、どうしたらいいんだろうかと、ネロは困っていた。

 

「ええと……パク……あの、結局、どういう」

「違う部課の人への説明はもっとちゃんとしなさい!」

 

 真面目そうな眼鏡の女性が持っていたバインダーで研究官の頭をすぱぁん! と思い切り叩き、痛そうで小気味いい音が響いた。研究官は蹲り、おそらく導き手であろう女性の研究官は呆れたように眼鏡の位置を直した。

 

「ごめんねネロ君」

「あ、いえ……理解が悪くてすみません」

「そんな事ないのよ! 全部この子の説明が悪いから……私が説明するわ。ええと、ネロ君は絆契約ボンドの仕組みは知ってる?」

「何となく、ですけど分かります。お互いの”魂”を混ぜ合うって」

「そう。今、この子が言ったのは、ロディネさんがネロ君の盾――魂の欠片を持ったまま眠っちゃってるって事を言ってるの。本来なら絆を結ぶ時は、導きで2人一緒に魂を混ぜ合わせていくんだけれど、やり方の1つとして相手のものを取り込んで自分のものと混ぜて返す、というやり方も可能ではあるのよ」

「なるほど」

「でもロディネさんはただ持ってるだけ。絆を結ぶためにネロ君の欠片を持っているわけではない。欠片を持っている事すら知らないから契約に至ってるわけではないの」

「……大体は分かりましたが、それは何か問題あるんですか?」

「結構あるわ。本来のネロ君の盾の完全な状態が10とすれば、今はネロ君の盾の欠片をロディネさんが3くらい持ってる。だから他の導き手がどんなに頑張って導いても7までにしかならない。能力を使う事が多い任務は止めておいた方が無難ね」

「これ、診断書に検査結果書いたやつっす。2部渡すんで、事務方と公安両方に出してください。任務中に起こった問題だから公務災害っす。任務に就かなくても基本給が出るんですぐ提出するっすね」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 何かあったらすぐ来てねと手を振る研究官の人達に頭を下げ、ネロは管理運営部にある人事課で手続きし、まっすぐロディネのいる場所へと向かった。

 

 +++

 

「花……?」


 コテージの入り口には届けられたのであろう、見舞いの花らしきものが飾られている。それを不思議に思いながら部屋の少し手前で立ち止まると、ノックの手を出しもしないうちに、部屋の中から入りなさいという管制長の声がする。コテージは完全防音のはずなのに、どうして分かったのだろうとまた不思議に思った。


「お疲れ様です」


 言いながら入った部屋は、消し硝子の窓のせいもあって薄暗いとまでは言わないが、曇りの日のように淡く、ただただ白い。外の花々の鮮やかさとは対照的に目に見えて静かで、その中できらりと光る銀狼の金目だけがこの白い部屋ではっきりとしていた。

 ベッドにはロディネが眠っており、枕元には踞くまったつばめがいた。ロディネもつばめも最後に見た時とほぼ変わらないが、今はたくさんの管に繋がれていて、すぐ側の机にはたくさんの書類が置かれている。きっと管制長がここで仕事をしていたのだろう。 

 

「……一瞬ぎょっとするだろうが、これは眠る間、食事などが摂れないが故の処置だ。そこまで心配しなくていい」

 

 きゅーんと鳴いて駆け寄る犬を見て、管制長が言い聞かせるように静かに声を掛けている。部屋の隅に小さな丸いすあったので、それを取って管制長の側に座らせてもらった。

 

「ネロ、お前の方はどのような状態だ?」

「身体的な怪我は打撲や擦り傷ばかりで問題ありません。強いて言っても軽傷です。ただ……」

 

 ネロは自分の今の状態を、人事課で貰った診断書の写しを渡して説明をした。管制長は眉間に指をあてて考えている。 

 

「仮……疑似的な契約……」

「はい」

「――丁度いい、というのはあれだが……このような状態なのであれば、ネロはしばらく休んだあと、塔内の仕事や教務の補助などに回って貰おうか。出来るだけロディネの側にいた方がいい。ロディネの中に盾の欠片があるならば、ネロが呼び水になるかもしれん」

「そうなんですか?」

 

 食い気味に尋ねたネロに、管制長は「分からん」とまた眉を寄せる。

 

「分からんが……我々番人は、導き手に何かあった時、あまりにも無力だ。何か可能性があるなら、出来る事は何でもしておきたいと私は思う。ネロはロディネの担当だったセイルが死んだ時の事は知っているか?」

「……はい」

「セイルが死んだ時も、色々あってロディネは半年ほど眠っていた。今回は盾破壊クラッシュの影響もあるから、それ以上、目を覚まさないかもしれない」

 

 その間の世話も必要だし、警備も置きたいのだと管制長は言った。

 

「今さら、しかもこんな場所でどうこうなるとも思わんが、ロディネは過去狙われたこともあるし、念のため警備を置きたい。ならば仮でも絆を結んだネロが側にいてやるのは色々都合がいいように思う」

「是非、そうさせていただきたいです。俺、ここで寝泊まりしてもいいですか」

「勿論だ。そのように手配させよう。食事もここでとれるから、好きなようにしなさい。番犬の役割は交代だ。ただ、お前も根を詰めるなよ。世話をする人間は手配するので、全部自分でやろうとせず、プロに任せるところは任せるように」

「はい」

「ではな。あぁ、あぁ……見送りは不要だ」

 

 立ち上がろうとしたネロを制して、管制長は書類を持って立ち上がり、銀狼と共に部屋を出ていく。ドアが音も立たずに閉まった。 

 ネロとロディネだけになった部屋は、うんと静かだった。ロディネもつばめも結構おしゃべりだから、夜寝る時以外、ロディネといる日中がこんなに静かなのは、今までに経験した事がない。

 

「先生……」

 

 あの時、回復は叶わなかったけど、キスする事でロディネと精神感応テレパスで会話し、最低限の領域崩壊は脱する事が出来た。だから、と試しにキスをしてみたけれど、反射的に弱々しく舌が動くだけで、何も変わりはない。ただただノーカウントにすらならないキスが増えただけだった。

 

「先生……俺は、先生の所に帰ってきました。今度は先生が帰ってくる番ですよ」

 

 そんな風に自分の無力を噛み締めながら、ロディネが自力で帰ってくるのを待つことしかできない。ネロは首から下げた認識票を取り出してぎゅっと握った。

 

「……どうか、先生が持っているという俺の欠片が、先生の支えとなって、しるべとなりますように」

 

 そんな風に祈る事しか出来ないネロは、その日はただただ眠るロディネの顔を撫で、犬と一緒にずっと見ていた。

 点滴がぽとりと雫を落とす音が、ただひたすら、静かな部屋に響いていた。

 

 

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