第36話 誰のせい
ロディネはクレアに中に入るよう促し、お茶の用意をしようと給湯スペースを覗いたが、即席の珈琲や紅茶しかなかった。
「あれ?」
こんな安物と私物ばかりだったか?
「いや……そんなことないぞ? 視察とか来たとき用にいい茶葉があったはず」
「ロディネいいのよ、お構いなく」
クレアは困った顔で笑っているが、そうは言ってもな。
紅茶でもいれないと、
「――で突然どうしたんだ? そんな思い詰めた顔して」
「……ロディネに、お願いがあるの」
「お願い?」
クレアは少し戸惑いながら、ソーサーを持ち、綺麗な所作で紅茶に口をつける。切り出す言葉に迷っているのは明らかで、ほらやっぱいれてよかったよなと思った。ロディネも自分の分に口をつけながら様子を窺い、クレアが話を切り出すのを待つ。
(そういえば……俺がまだ特務にいて、セイル先生も生きていて、俺とレオナルドがまだバディを組んでいて。その時もこんな風に話したっけ……)
+++
「ロディネに……話が、あるの」
「――レオナルドと結婚するって噂を聞いたけど、それ絡みかな?」
質問に頷くクレアは、政治家の娘で、時代が時代ならお姫様なお嬢様だ。塔内で出来る話でもないが、個室は不味い。話をするために、なるだけ声を拾えないようなカフェを選んだ。耳のいい番人がいれば全くの無意味だが、機密を喋るわけでなし。クレアは紅茶を、ロディネは珈琲を頼み、向かい合って席に着いた。
「……で、話って?」
「………あの、番人としてのレオナルドのパートナーは、ロディネでいいの。でも、結婚は私とする事を許して欲しいの」
「何だよ、それ。……それ、レオナルドが君に言ったのか?」
ロディネが怒ったのを悟ったのだろう。小さく首を横に振る仕草の後に続く言葉はない。ならそれは、肯定してるのと同じだ。
「んんと、俺が怒ってるのはクレアじゃなくてな?」
「……私が、もっと素晴らしい導き手だったなら、違ったのかも、しれない。でもそうではなかったから、身を引くべきなのかもしれない。でもやっぱり私は、レオンが好きなの。番人と導き手だと分かる前から、小さな頃からずっとずっと。私は……レオンの心が欲しかったけど、それが無理ならせめて」
泣きそうなのを必死でこらえて心が欲しいと言う彼女が、結婚して子どもを産むだけでいいと言うなんて。
レオナルドと離れるようにという忠告。結婚の噂。レオナルドはロディネに何も言わない。何にも言わずにこういう事になったからって結婚式の招待状でも持ってきて、事後報告する気なんだろうかと呆れた。
レオナルドの事を何とも思ってないなんてのは、さすがにない。なし崩しとはいえ、もう何年もずっと一緒にいて心の内側にも触れた。そういう仕様とはいえ、しょっちゅうキスもしていた仲だ。
絆されたというのが近い気もするが、気持ちがなければ、命も心も預かるような真似はできない。正直レオナルドと何となくそうなるのかもしれないと思っていなかったと言ったら嘘になる。だからロディネはレオナルドが何も言わなくても、独りよがりでも、怒りながらそれを許してきた。
だからといって、外堀を埋めさえすれば、同じように許して受け入れると思っているのだろうか。さすがに呆れる。
「……俺は嫌だよ。こっちの意見も何も聞かずそういう事を言う神経が、無理だ。クレアはレオナルドに甘すぎる」
「甘いんじゃない。私だって本当は嫌だ。嫌われたくないからいい子ぶってるだけ。本当はこんなこと、言いに来たくなんてなかった」
レオナルドが立場的に子どもを作ることを求められているのは理解できる。そしてできればクレアと結婚して欲しいと思っている人間が多いのも分かっている。
番人と導き手はその関係性から同性でも結婚は出来るが、子どもの事もあるから、結婚とパートナーを別にと割り切る人間も多い。当事者全員が納得した上で子どもを大事に育てるのなら、それはそれで構わないと思う。でもそういうのは割り切れる人間と割り切れない人間がいて、ロディネは後者だ。しょうがないと受け入れるにも限界がある。何でも許せるわけではない。
「ロディネ、貴方が誰も敵わない、ずば抜けて能力が高い導き手なだけだったら、よかったのに。そうしたら、私はそのせいだけにする事が出来たのに」
ああ、この子は相変わらず泣かないのな。
好きな人に同じように返して欲しい。
その小さな利己の混じる可愛くも恐ろしくもなるその愛と願い。でもそれは悪いことじゃない。
結局、これはレオナルドが、クレアかロディネかどっちかを選んで、選ばなかった方を切るべき話である。そうは言ってもレオナルドが何も言ってこなければ、ロディネが切り出すしかない。そしてロディネは――
「俺は、クレアを切ってまで選んで欲しいなんて思える程の気持ちは――――」
+++
「……最近また、グリーディオの動向が怪しいでしょう。大きな戦闘に発展するかもしれないらしくて……もしそうなったら、その時はあの人を――
ようやく重い口を開いたクレアが申し訳なさそうに深く頭を下げながら言うのにはっとした。
「……クレア、頭上げて」
「私では駄目だ、って言われたの。ジラルドが――子どもがいるからって、だから駄目だ、そう……言いはするけれど」
「クレア」
「私は貴方が背中を押してくれたのに、あの人を支えることが出来ていない。『どの面下げて』って話なのは分かってる。でも……」
「……
背中を押したつもりはないんだがとロディネは苦笑った。
ただ当時のレオナルドの選択が、行動が、何もかもロディネの理解と許容を超えていた。そしてロディネはクレアに対し、同じように、レオナルドに振り回される導き手として、奇妙な友情と連帯、
クレアがどう思っているかは分からないが、ロディネ自身はクレアの事は嫌いではなく、むしろ一途に幼馴染の王子様を思い支えるお姫様を人として好ましく思っていた。あいつはどうなのかと思う所も多々あるが、レオナルドは王子様だ。王子様の横にいるべきなのはこういうお姫様だ。ロディネはレオナルドにそこまでのものをやれない。ただそれだけの話だ。
「クレア、俺とレオナルドがバディまで解消した理由の1つが君達の結婚なのは間違いない。でもそれだけじゃない。考え方も何もかも違うし。君は勘違いしてるけど、俺も本当の意味では、レオナルドの導きは出来ていなかった」
ロディネはかつて、レオナルドが特別だと思ってた。
番人と導き手には相性というものがある。レオナルドとロディネはそういう相性のいい組み合わせなのだと。あの時失敗するまで、レオナルドを導くのはかなり深いところまで出来ているものと思っていた。言葉は少なくてもロディネを信頼して預けてくれているのだと思っていた。
(……でもネロの導きをするようになって思った。全然深くなんて出来てなかった)
レオナルドとロディネはそういうんじゃなかったんだと、はっきりと分かったのだ。
「……だからさ、俺って実は君の言ったとおり、ずば抜けて凄い能力の導き手だったんだよ。だから君と俺の差は単純に導き手としての能力差だ。俺はあいつだけの専属にはならないけど、戦闘に参加することになったら導きはする。クレアのところに帰れって尻を蹴っ飛ばすから」
ロディネ自分ごと誤魔化すように茶化すと、クレアは目を丸くして、泣きそうな顔でくすりと笑った。
「……ロディネ、ありがとう。じゃあ、貴方にその指示が下りるよう、王か政府を通じて塔にお願いしておくわ」
「なんでわざわざ」
今ここで了承したんだから、ロディネが課長以上に許可を貰えばいい話だし、王命なんかにするならロディネのところにそもそも来る必要がない。
「相変わらずね、ロディネは。番人の執着を嘗めてはダメよ」
「……?」
「今、大事に可愛がってる番人の子がいるんでしょう。ずっと戦線を離れていたあなたが、突然復帰するって聞いたら、きっとその子は勘ぐるし、不愉快に思うと思う。だからお願いは止めてあげられないけれど、せめてそれくらいは」
「そうなのかな……?」
「そうよ。本当にありがとう。じゃあ、よろしくお願いします」
頼みごとを引き受けて深々と頭を下げるクレアを見送った後、ロディネは部屋に戻って風呂に入り、久々に制服に袖を通した。特に体型が変わったという事もないから、体を動かしても、特にキツいとかそういった事はなく問題はない。
さあ、着替え直すかと思ったところにドアを叩く音がして、ロディネはどうぞと許可を出した。
「先生、戻りました! ……」
「ネロ、おかえり!」
ロディネは体当たりの勢いで側にやって来たわんこを抱き上げる。しかし千切れんばかりに尻尾を振るわんこは、ネロの方を何故かじぃっと見ていて、視線の先のネロは何か言いたそうな少し不満そうな顔をしている。
「先生、その恰好は」
「ああ。今度俺、公安の応援に出ることになったんだ」
「……それって、レオナルドさんのためですか」
「……そ……うというわけじゃなくて、塔より上から命令がくる予定……」
「何で、何でそんな、何で……引き受けてしまうんですか! レオナルドさんと関わるのも」
「ネロ……?」
怒るネロと対照的に、わんこはロディネを心配そうに覗き込み、ぺしょりぺしょりと手や顔を舐めている。
「……いや、上からの命令だったら、断れないですよね。……すみません。頭を、冷やしてきます」
ぱたぱたと部屋の出口へ向かって、こちらを見ずに、ネロは「おやすみなさい」と言って出て行く。
わんこはやっぱり後ろ髪を引かれるかのようにこちらをちらちら見て、いなくなった。
「クレアが言ってたのは、こういうことか……なるほど」
自分の意思でほいほい受けたなんて言ったら、ヤバかったかな。ロディネは一瞬クレアの気遣いに感謝しかけ――
「いや違うな。そもそも最初から俺のところに話を持って来んなよってところに戻るよな」
(大体、俺はいつまでレオナルドのあれこれに振り回されなきゃいけないんだ? )
一瞬騙されそうになって危ない危ないと、ロディネはドアを見つめる。
(今日はきっと戻ってこないんだろうな)
そうロディネが寂しく思うと同時に、肩のつばめも、寂しそうにじぃっと鳴いた。
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