第35話 心と環境


 ネロが公安に行くことが決まり、「寂しくなったなぁ」と感傷に浸る……間もなく、今度ビアンカが復帰したコニィ共々夫婦で公安に異動となった。こちらも寂しいが、あまりにも忙しない。

 

「大丈夫だとは思ってるけどさぁ、お前ら夫婦で公安って……復帰するならそのうち特務に行くだろうし……エレナちゃん大丈夫なのか」

「絶対大丈夫とは言えないけど、まあ大丈夫でしょ。でも、万が一の時は、ロディにエレナの事はお願いしたい」

「縁起でもない事言うな」

「言いたくはないけど仕事的に絶対はないし……よろしくね」

 

 それはその通りである。ロディネはビアンカの真剣な目を見ながら頷いた。

 

「けど未婚で子持ち、しかも余所様の女の子を育てるとか色々ヤバいから、本当に無事で帰って来てくれよな?」

「もちろん」

 

 ロディネはロディネで、ビアンカが抜けて空いた総括ポジションをやることになり、専属の訓練生は持っていない。

 ネロ以降は多少難しい子が来ても、他の教務の導き手に、ロディネやコルノ、アマリアの補助を受けながら担当してもらっていた。諸々とても忙しい。

 

「というかね、何かあっても君に任せておけばいいっていう体勢をいい加減どうにかしないといけないからね。だから君は今後、訓練生ではなく、導き手の管制官の指導担当、後続の育成を本格的にして欲しい」

「はい、分かりました」

「ついては下の子の目もあるから、売られた喧嘩を買うのも控えめに」

「……ハイ。善処します」

「善処では駄目だよ」

「……分かりました」

 

 となると。

 総括の立場で公安と仲違いするのはよくない。ネロ達も公安に行くことだし、他のみんながロディネのせいで居心地が悪くなってもいけない。

 ということで、ロディネは自分の態度事だけは・・・少し謝って公安と仲直り……というか、ストライキを全面解除した。あの塔外訓練での事を許したわけではないが、訓練生を使った無理も無茶もそれ以降なかった事だし、その旨はしっかり伝えた。

 ロディネの意見に面白くなさそうな人間もいないわけではなかったが、公安にいる面々――特に同勤がある人や、年上は長く塔にいるロディネを知る人、訓練生時代に授業や訓練で関わったことのある子がほとんど。良くも悪くもロディネの性格は色んな人にバレている。大体が苦笑いで謝罪に応じてくれて、特にトラブルもなく解決した。

 

 そして――――

 

「何で部長がここに」「何でお前が?」

 管制長の誘いで食事に行ったところ、そこには管制部長がいた。

 何も聞いていなかったロディネと同じで、部長もどうやら騙し討ちだったらしく、じとりと管制長を睨んでいる。管制長は何処吹く風で、「もういい加減休戦して欲しいのでね」としれっとしていた。

 来て会ってしまったものはしょうがない。あれからああいうことは一切なかった。ストも止めたしネロも公安に行く。ここらが折れ時だろう。ロディネ達は微妙な空気の中、運ばれてきた料理を食べ始める。

 

「――で? お前はいつ戻ってくるんだ」

「せんぱ……部長、ロディネはまだ暫く公安には配置できませんよ。教務の導き手の指導担当をさせますから。結局部長の言うやり方を進めたいとしても、優秀な導き手ありきの話。セイルの後にロディネがいたから今はどうにかこうにかですが、その後ろが育っていない」

「それを含めて教務の怠慢だと私は思うがな」

(何だとう……!? )

「ロディネ」

 

 めらりと火が着きかけたロディネだったが、管制長にすぐに止められてしまう。

 

「部長の言はキツいし言い過ぎところはあるが、特務に上げられるような子がなかなかいないのも、お前の後続の導き手がいないのも事実だ。人ありきなので難しいところではあるが、個々の能力に頼っている現状をどうにかしなければならないのは急務でもある。部長のやり方は認められないが」

「――まあ、今回は優秀なのが入ったから構わん。ただ今後入らなければまた

「っ、だから!」

「2人とも、何の為に時間を取ったと思っている……。いい加減止めろ」

 

 管制長の圧に飲まれたロディネと部長は、それでも往生際悪く大層な時間を掛けて休戦を半ば強制的に結ばされ……。

 そしてネロは予定どおり管制部、公安制御課に配属され、今は小塔タレットの応援要請に応じて国内のあちこちを回っている。そしてビアンカも旦那のコニィが現場復帰したことをきっかけに公安へ異動し、ロディネは忙しくも少し寂しい日々を過ごしていく。

 

 ――そんな感じで、みんなを取り巻く環境も、ロディネを取り巻く環境も様変わりして早1年。

 

「先生! ただいま戻りました!」

「おーネロおかえり! 遅い時間だけど早かったな!」

 

 任務の内容的に結構時間がかかるかと思っていたが、ネロは1週間経たずして塔に帰って来た。リピシアでの行方不明の容疑者探し、ネロ達が頑張ったのか小塔組が頑張ったのか、はたまた両方か。どっちにしても大変優秀だとロディネは心の中で花丸を描いた。ただ、何もこんな遅くに帰って来なくてもいいと思うんだが。向こうでお疲れ様会とかだってあるだろうし、朝一の便で帰るとかでいいと思うが、いつもネロはまっすぐに帰ってくる。

 

「これお土産です」

 

 そんなロディネの心配をよそに、ネロは笑顔で紙袋を差し出す。中にはたくさんのリピシア周辺の食べ物や名産品が入っていた。甘辛しょっぱいをバランスよく……というか目についたものを手あたり次第買ってないか? 

 紙袋を覗き込むロディネの足元では、わんこがぐるぐる回っている。ちょっと大人になったネロとわんこだが、任務明けはいつもハイだからか、子供の頃のような反応を見せてくれてとても可愛い。

 

「いつもいつもこんな買って来なくていいんだぞ? でもありがとな。飯食べてる?」

「いえ、まだです」

「じゃあ簡単なものは用意するから、風呂に入ってきな。一緒に食べよう」 

「はい!」

 

 いそいそと一旦部屋に戻るご機嫌のネロとわんこにロディネも思わず笑ってしまう。からすの行水なスピードで戻って来たのに苦笑しつつ、ネロに食事を取らせ、食後に導きを始めた。

 

(おー……頑張ってるな)

 

 すぐに帰って来たとはいえ、かなり能力を使って頑張ってきたことが分かる。捕り物だったから長時間ずっと能力を解放していたのだろう。能力を使ったのが理由の摩耗と、たくさんの情報量が取捨選択できずにかかった負担が結構目に見てとれる。

 

 (お疲れ様。活躍を聞くのは嬉しいんだけど、あんまり無理すんなよ? お前は新人なんだからゆっくり学べばいいんだぞ)

 (先生にご迷惑を掛け過ぎない程度には留めますが、俺が頑張りたいので) 

 (んー……そっか……でも、俺の迷惑とかは気にすんな。領域崩壊しても俺が絶対どうにかする。けどそれはネロの命の危機だから、できるだけならないようにはしてくれな)

 

 ネロはビアンカを始めとした色んな所からの情報によると、新人でありながら目覚ましい活躍をしているそうだ。それはそうだろうと思う。

 そうでなくとも目はつけられていただろうが、これは1年後にはレオナルドと同じ管制長直属の特務にいくだろうな。大層な渾名がついている話も聞いているし、是非本人に聞いてみたいが、自分に置き換えたら非常に嫌なので止めておこうと思う。

 

(ただ、あと俺以外に……ジーナでも誰でもいいけど、もう少し深くまで導いてくれる導き手がいればいいんだけど)

 

 ネロは感覚の操作を、窓や扉と例えるが、言い得て妙だ。ネロは人懐っこいように見えて、深層の守りは強固でまさに鍵のかかった扉だ。ロディネはそれに出入りを許されているわけだが、そこに入れるのがロディネだけというのは、今後都合の悪い面も出て来る。無理強いはできないし、今は問題ないが、絶対はない。万が一の事も考えておくべきだ。

 

「……よしよし」


 まあそれは早めにした方がいいけどおいおい……とロディネは荒く擦り減ったシールドなめすようにするとともにネロの頭を撫でる。するとネロの顔がぽっと赤くなった。

 

「あ、つい。ごめんな」

 

 今までこんな照れるなんて事なかったのに。逆にロディネの方が気恥ずかしくなってしまう。

 そうだ、もう小さな子じゃないんだと手を引っ込めようとすると手首を優しく掴まれた。わんこもつばめを頭に乗せたまま小さく尻尾を振って、ロディネの手をぺろりと舐める。

 

「俺は先生が好きです。その気持ちは変わりません。何と言われても、俺は先生以外に自分の心の鍵を預けたいとは思わない」

「何だ、急に……」

「――ふふ、言いましたよね? 何度でも言いますし会いにきます、覚悟してくださいねって」

 

 言った。確かに言ってた。

 そんな口説き落とすかのような台詞を言うネロだが、凪いだような目で微笑み、それ以上を強いたりしない。ネロの顔は見るたびに幼さがなくなっている。目線も近くなってきて、先に大人になってしまった心に身体ももうすぐ追いつかれそうだ。

 

「先生、ありがとうございます。ごちそうさまでした! ……おやすみなさい」

「……うん、おやすみ」

 

 わんこの頭から俺の肩に戻ったつばめがじぴじぴと小さく鳴く。

 それは何だかとても寂しそうで、置いて行かれるような心地の、ロディネの胸の内を如実に表していた。

 

 

 +++

 

 

(あー……駄目だ。腑抜けてるな……)

 

 ネロが帰って来た翌日。

 今日のネロは、報告やら次の任務の打ち合わせがてら公安のみんなで食事に行くというので、ロディネは教務課の執務室で残業をしていた。総括と指導者の指導という立場でしなくてはいけない事がたくさんある。なのに駄目だ、腑抜けているし集中力がない。指導要綱を作ろうと文章を書き始めても、すぐ書き間違えたり同じこと書いてしまってなかなか進まない。

 人事記録を頭に入れる方を先にやろうか。でも入りそうにないなと思っていると、扉を叩く音に集中を引き剥がされる。


 勤務時間後に他部署が何の用だ。もしかして訓練生だろうかとロディネは人事記録を引出しに片して返事をする。失礼します、と恐々扉を開いて入って来たのは、管理運営部の事務官だった。

 

「こんな時間に一体どうした?」

「あの、ロディネさん、お疲れ様です。お客様が……」

「こんな時間に客?」

「ロディネ……こんな時間にごめんね」

 何だか歯切れの悪い事務官が連れてきたのは随分と元気のない雰囲気の美女で……

 

「クレア……?」

「お久しぶり」

 

 弱々しく笑う美女。

 それは久しぶりに見る導き手の同期。そしてレオナルドの嫁でもあるクレアだった。

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