第34話 黒妖犬


 最初は着られているような感じだった制服も、ようやくそれっぽく着こなせるようになってきたような今日この頃。背が伸びたとはいえ、ロディネよりはまだまだ低い。それでも配属されて1年で、少し大きめに直してもらっていた制服はもうサイズアウトし、今はクローゼットに大切に仕舞ってある。

 襟元の1番上まで釦をとめ、手首にぱちりと時計を着ける。くろがね一色の文字盤の時計は時刻を表す部分は白と赤。物凄く高くはないそうだけど水にも衝撃にも強くて、覚えればメンテナンスも自分で出来るらしい元々セミオーダーの特注品。成人したての人間が身につけるには分不相応ともいえるそれは、ネロの宝物のひとつだ。

 

「分不相応だなんてそんな事ないだろう。時計なんて親から就職祝いに送るものの定番だぞ」

「先生は俺の親じゃないし」

「はいはい。親でもないのにそんなものをくれるなんて脈があるある」

「そんな棒読みをさせてごめんなさい」

「分かればいい。いちいち言葉尻を取って噛みつくんじゃない」

 

 鏡もなしに迷いなくタイを締め、一分の隙もない制服姿のエルンスト。

 エルンストの犬は、じと目でネロの犬を見ている。見られて耳がぺたりと寝てしまったネロの犬の情けない様子を見たエルンストがくつくつ笑うと、犬も、じと目を止めて控えめに尻尾を振った。

 


「お節介しなくても大丈夫だとは思うけどな。公安はチームワークもいるけど実力主義なところがあるし、何だかんだみんな、新しく入った実力のある新人は構い倒すと思う。ただ、何かあったら言ってくれ」

 

 色々あったからもしかしたら居心地悪いかもしれないと思っていた公安は、ロディネやビアンカ夫婦が話をしてくれたらしく、お陰で特に何事もなく普通に新人として……いや、むしろ構い倒し気味かな……とにかく穏便に迎え入れてもらえた。

 

「ネロは今回何の任務だ?」

「番人と部分覚醒者パーシャルの行方不明が多い小塔の捕り物の応援。エルンストは?」

「似たようなものだな。アニマリート全土で直近1年で定期検査未受検者についての調査応援だ」

 

 塔にいる訓練生及び職員は数ヶ月おきに能力等の定期検査を受ける義務があるが、塔に就職しなかった番人や部分覚醒者、導き手にそれが不要かというとそうではなく、年に一度はやはり検査を受ける義務があるのだが、ここ最近それを受検していない人間が増えているのだという。

 更衣室を出るとジーナとイレーネが廊下の壁にもたれて待っていた。

  

「女子より遅いとか!」

「ごめんジーナ」

「イレーネ悪かった」

「言うほど待ってないわ。ジーナがせっかちさんなだけだから大丈夫」

 

 2人とも遅いよと怒るジーナの肩のシマリスはくくくと鳴きながらぺちぺち足踏みをしている。

 公安に入ってからも、訓練生の時と同じく、ネロはジーナと、エルンストはイレーネとバディになった。基本的に下っ端は地方の小塔タレットの応援要請に応じるのが主たる任務だ。しかし今は国全体に関わる大きな案件の応援に駆り出され国中を回らされている。ネロ達が塔外でグリーディオ国の特殊部隊に拐われそうになった頃アニマリートで頻発していた誘拐事件――あの山中での捕り物があってからは鳴りを潜めていたのが、ここ最近はまた活発な動きを見せていて、公安はその尻尾を掴もうとしている。

 待たせてしまったしもうすぐ列車の時間だ。のんびり話してる場合じゃなかったとネロ達は駅まで急いで向かい、それぞれの任務の場所へ向かって行く。

 

 1時間ほど列車に揺られ、小塔で詳細の説明を受け、連絡用の無線機を受け取り、早速ジーナと巡回に向かった。以前ロディネと行ったヴァレステとカルタノの中間位の規模のリピシアという町は、一見すると長閑に見える。しかしその裏ではこの半年で子どもが5人、若い部分覚醒者と番人の合計7名が行方不明となっている。あまりに証拠がないことから組織の犯行かつ能力者が関わっていると推定されていて、塔が管理している能力者には1人を除いて全て接触済みだ。


 そしてその接触出来てない1人は素行不良と評判で、定期の検診も受検しておらず、導きをしてくれるような導き手の知り合いも周りにいない……はず。

 導き手は導きをしていないなら検査を受けなくても支障ないが、番人や部分覚醒者は何だかんだ能力を全く使わないように生きることは難しい塔に入らなかったパートナーのいない番人や部分覚醒者は大体各地方の小塔にいる導き手に導きして貰いにくるついでに検査を受けるようになっている。不調の兆候サインを早期発見するためにも能力の検査というのは重要なものだしタダだし、塔やどこの小塔でいつでも受けられる。検査で何か問題が発見された場合のケアを受けるための費用は全部国が持ってくれるからデメリットはない。


 今のところ未受検者の導きをしていたという導き手もいないとのことで、未受検者は死亡含めもうこの国にいないか、塔の管理下にない他国の導き手から導きを受けているかという可能性が高い。そしてそのまま他国の戦力となっている可能性があるわけで……だから未受検者兼、誘拐の容疑者を捕まえて話を聞くのがネロ達の今回の任務だ。

 ただ、リピシアに来て5日目、今のところ進展はない。大体最長1週間くらいの任務はやった事あるが、今回はいつまでかかるか不透明だ。上手くすればすぐ帰れるし、上手くいかなければいつになるやら。

 

(……聴こえるか? こちらリピシア小塔公安。子どもを無理矢理連れて行こうとしていた男達3名、裏通り方面へ逃走。至急子どもは無事保護している……)

 

 そんな長期間もロディネの顔を見られないのは嫌だからもっと頑張ろうと思った矢先、雑音ノイズ交じりの連絡が入る。

 無線が途絶えてすぐネロとジーナは隠れようとしたが、隠れる場所がなかったので家主に一言入れて屋根に登った。耳を澄まして近くの音を拾い始めると、誘拐未遂現場での動きが派手だったので町の人間は出歩いてないのか、生活音はそれほどない。悪態をつきながら逃げる男達の動きはすぐ分かり、ネロはジーナの手を握った。

 

 (10時の方角からそれらしき男が3人、足運びから考えて鍛えてはいるけどそれ程強くはないみたい。ただ……どいつが部分覚醒パーシャルあるいは番人センチネルかは分からない。ジーナはここで待機して、何かあったら無線で別動部隊に連絡をお願い)

(了解)

 

 いずれにしてもネロだけで倒せそうな相手ではあるので、正面からぶつかろうと決めた。屋根から犬とともに飛び降り、3人の行く手を遮ってネロは相手を軽く睨み、犬は牙を出して小さく牽制する。

 

「はい止まって」

餓鬼ガキ!?」

「よく見ろ制服着てる! 番人だ!」

「番人だか番犬だか知らねえが、1人ならどうにかなるだろ」

 

 真ん中の男の反応は、他の2人とは違う。まずネロの犬を見たし、その上で基本的に目じゃなくて耳に頼ってる。番人か部分覚醒者かは分からないが、取り敢えずは当たりだ。犬がぐるると唸る。普段は愛嬌が勝つその顔も、今はまるで狼のように牙を剥いて唸り、男達に向かって力強く吠えた。

 

「あんた、検査未受検の番人もしくは部分覚醒者だろ。導きは何処の誰にやって貰ってる?」

「五月蠅い! この塔の犬がっ!」

「仰る通りだよ」

 

 殴り掛かってくる男の叫びには同意しつつ、腕をとって背負い投げる。投げた感じ、受け身は出来なさそう。

 気絶されても面倒臭いからと、咄嗟に後頭部に足をいれて頭を打たないようにした。ジーナに暫定番人であるこの男の拘束と無線連絡を頼み、逃げた奴らを追う。投げ飛ばした男以外の2人は全然鍛えていない。匂いと足音を頼りに追いかけると姿はすぐに見えた。距離はすぐに詰まり、ネロは走る勢いのまま跳ねて飛び蹴りし、地面に手を突いた勢いそのまま回し蹴りもう一人を昏倒させた。拘束中に駆け付けた小塔の公安にあと終いは任せ、ネロはジーナの元に戻る。

 

「お名前と生年月日を述べてくださーい」

「……」

「名乗らなくてもついてきていただくことには変わりないですよ~?」

「……」

 

 だんまりを決め込んだ男に、しゃがみ込んだジーナがにこにこと、はっきり大きくわざと間延びした声で話しかけている。だけど男からの返答はない。ジーナは男の頬を両手で挟んだ。

 

「ジーナ。精神感応テレパスするにしても、まず一旦は小塔へ引っ張って行ってからにしよう。あとの2人も小塔の公安に任せたし」

「了解。じゃあ連れて行って報告、取り調べに帰塔準備……かな。あはは! ネロ喜びすぎだよ」

 

 犬は笑ったような顔をして、尻尾をぶんぶん振っている。さっきまで一応きりっとしていたはずなのに、塔に帰る話題が出た途端これだ。


「……とりあえず小塔にこいつを連れて行かないと」

「うん。行こ行こ」


 ネロとジーナは男を挟んで立たせ、無理矢理歩かせて小塔に向かう。バディなった頃より身長差ができているので、ジーナが小走りになってしまわないようゆっくりめに歩けば、ジーナは「大丈夫だから急ごう」と笑った。

 

「今日帰れたとしても最終便だからジーナはゆっくりでも良いけど……俺がさっさと帰りたいだけだから」

「いやあ、変に残っちゃうと多分色々巻き込まれそうだから私も早く帰りたい。ネロが帰るならなおさらね。にしてもネロは本当、ロディネ先生の事ばっかりで見てて面白い。飽きないよ」

「好きな人の為に戦う事それが国を守るのに結び付いているんだから言うなれば利害の一致だからいいだろ」

「まあ、実際貢献出来てると思うよ。黒妖犬ヘルハウンドだし」

 

 時折暴れる男を捻じり上げて歩かせつつジーナの揶揄いを流そうとしたが失敗した。

 

「……その渾名で呼ばないで。死ぬ程恥ずかしいから……」

「逸話そのまんまでピッタリなのに。見てしまったら逃げる事は出来ない黒妖犬。もうだいぶ定着しちゃってると思うけど」

「やめて。本当にやめて」

 

 物凄く恥ずかしがっていたロディネの気持ちが今のネロには痛いほど分かる。何ならロディネの飛燕なんて目じゃないくらい恥ずかしい渾名でほとほと困っている。ネロの犬はだいぶ大人にはなったけど、やっぱり唸ったところでは迫力はいまいちだ。完全に渾名負けしている。

 

「おっ! 流石黒妖犬」

「やめてください……」

 

 ジーナに言われたとおり、小塔に帰るとひとしきりこの渾名で揶揄われてげんなりした。

 ただあとの取り調べはやってもらえるということで、思った以上に早く塔への帰路につくことが出来たのはありがたかった。急いで最終列車に駆け込み、「早く先生の顔が見たいな」と思いながら、星もない黒一色の景色を見るともなしにぼんやりと眺めていた。

 

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