第32話 どうか、覚えていて

「ロディ、ネロをフッたって?」

「――! っ……」

 

 朝の執務室で訓練の準備を終え、のんびり珈琲を飲んでいたロディネだったが、すすすと白猫と共に寄ってきたビアンカの言葉に危うく珈琲を吹き出しそうになる。

 無理矢理飲み込んでゲホゲホ咳き込みながら聞けば、何となくネロから聞き出したのだという。全くもって番人の能力の無駄遣いである。

 

「ショックだろうに、いつも通りでネロは大人だねえ」

「フッた訳じゃない……10以上離れた未成年に告白されて今『はい』なんて言えるわけないだろ」

「ふぅん? 未成年じゃなきゃいいんだ?」

 

 大きな猫目をきゅっと細めてビアンカが笑う。何だよ感じ悪いな。

 

「……何年か経って気持ちが変わらなければ、いいかもって思うけど……如何せん年が離れすぎだな。きっと狭い世界から出れば、似合いの年頃のいい子が見つかるよ。今までの子もそうだったけど特にネロは本当に孤児院と塔しか知らないし、特にいい子だし可愛いもん」

「そう? ネロは一途な気がするけど」

「そもそもの選択肢がなかったなら、話は別だろ」

「……そう? 大体もう可愛いって感じでもないでしょ。背もかなり高くなって声変わりもして凛々しくなったじゃない。わんこもすっかり大人だし」

「いやーそうなんだけどなー……でもいくつになっても多分可愛い気がするー……」

「お父さんか」

 

 お父さんの年ではないからやめろと言いつつ、ネロの姿を頭に浮かべる。ビアンカの言うとおり、この1年でかなり背が伸びて可愛さを残しつつ、いい感じにキリッと男前よりになったんだよな。普通にモテそうだ。

 自分のカフェオレを入れて隣に座ったビアンカは、白猫と一緒にロディネの机に散乱したカタログを手慰みにパラパラ捲っている。

 

「そういや来月15歳の誕生日か。どうするの?」

「俺がほとんど着ずにサイズアウトした制服をちょっと直したやつと、何か公安でも使えそうな実用的かつ記念的なものをと思うんだけど……何かいいアイデアない?」

「ちょっといい筆記具もしくは時計に名入れ」

「やっぱそうなるよなぁぁぁ」

 

 予想通りの答えが返ってきてロディネは机に突っ伏した。

「そうなんだよ、そうなると公安に行くならやっぱ時計をあげたいんだよなぁ」


 捕り物や報告書、日時を言ったり書いたりすることが多いから絶対持ってないといけないし。


「じゃあもう決まってるんじゃない」

「でも時計となると訓練生用の誕生日予算じゃ全然足りないんだよ……」

「足りない? 安いの選べばいけるでしょ」

「そんなの記念になんないし、すぐ壊れちゃうだろ。しょうがない。ペンにするか……」

「記念になんないとかないでしょ。どんなのあげようとしてるの。でもどうしてもロディがあげたいなら、聞かなかった事にしたげる。訓練生じゃなくなった瞬間にあげれば?」

「いやその時期だともう就職の支度金で買っちゃってるだろ。用意する身の回りの品に書いてあるんだからさ」

「ああ言えばこう言う」

 

 白猫がしっぽで机をばしんばしん叩く。そんな苛つかなくたっていいだろ心狭いな。そもそも話を振ったのはビアンカさんですよね。ロディネがじとりと睨むと、少しは悪いと思ったのか、ビアンカがいいことを思いついた! とわざとらしくぽんと手を叩いた。

 

「なら、ロディが公安いた時つけてた時計――使ってないんだったらあれあげれば?」

「……あー……なるほど……」

 

 思ったよりは建設的な意見だった。確かに、時々メンテナンスはしているが公安の時につけていた時計は教務に来てから全く使っていない。曲がりなりにもロディネと一緒に死線を潜り抜けた時計だし、それをリフォームってのもいいかもしれない。ただあの時計は流行り廃りのないデザインで、当時のロディネにしては、かなり背伸びした値段だった。

 

「ありか……? あげるには高すぎないか? いいのか?」 

「いいか悪いかなんて今更。コルノにしたってアマリアにしたって他の管制官にしたって自分が受け持ってる子には大なり小なり入れ込んでる。最後くらい節目として暗黙の了解としたものでしょ」

 

 まあそう言われたら本当に今更だ。

 よし。あの時計には名前も入れていないし、少しだけデザインを変えてもらって贈ることにしよう。

 

「……ていうかさ、重くないかな?」

「今更が過ぎる。ネロは喜ぶと思うし、ロディがあげたいんならあげとくべき」

「ビアンカ様が言うならそうしよ」

「そうしなさいそうしなさい」

 

 気づけば白猫は机のど真ん中を陣取ってふてぶてしく寝転んでいる。話に飽きたらしいビアンカをしっしっと追い払いながらも、そう言ってくれた直感を信じてロディネは制服と時計をリフォームに出したのだった。

 

 +++

 

「ネロ、15歳の誕生日おめでとう!」

「わ、ありがとうございます!」

「制服は出入りの服屋さんに頼んで今のネロのサイズよりちょっとだけ大きめに調整して貰ってる。もし嫌じゃなかったら着てみて」

 

 やった! と満面の笑みを浮かべるのはまだまだ年相応だ。しかし随分と、目線が近くなった。

 

「……あとこれ」

「え……時計!? こんな高そうな」

「時計は公安にいる時俺が使ってたものをちょっとリフォームしたものなんだよ。制服はギリギリ許容範囲としても、こっちは規則的にアウトだから……正式に渡すのは公安に行く時になるけど」

「今つけてみるのはいいですか!?」

「おーいいよ」

 

 藍色が基調の公安の制服を着たネロは、まだ少しだけ着られてる感じがあるが、孫にも衣裳というか、とてもよく似合っていた。

 同じ人なのに衣裳が変わると途端に大人びて見える。時計を腕に通してぱちりと金具を止める仕草も、何だかとても大人だ。隣のわんこも体型がしゅっとしたし、顔もちょっと大人になった……と思う。興奮してぐるぐる回るくらいはするかなと思ったけれど、お座りして当社比キリッとした顔をしている。

 ああ、巣立ちの季節が迫っている。

 何度この季節を迎えても慣れない。喜ばしい事だ。でも寂しい。寂しいな。

 

「君の前に広がる道が、光溢れるものでありますように」

 

 ロディネが感慨に沈んでいると、ぽそりとネロが覚えのある言葉を呟いた。

(お? 認識票ドッグタグの言葉の意味、やっと調べたのか)

 

「――正解! 結構かかったな?」

「落ち人の言葉って凄くいっぱいあるんですから、助言ヒントなしでは結構難しかったですよ! エルンストが1つ単語を知ってたから、それでやっと調べられました。……それで、先生。お礼って訳じゃないけど、手を出してもらえますか?」 

 

 エルンストは流石だなとロディネが感心していると、ネロが何かを握った手を差し出す。その下に出した手にしゃらりと落とされたのは、初めての誕生日にあげた認識票ドッグタグと同じものだった。色は黒くて、白い文字でネロの名前と塔の住所が書いてあって――何か言葉が刻んである。

 

 "道を示す導きの光が、私の行く先でありますように"

 

「これは……?」

「言葉として変だったらすみません。恥ずかしいから合ってるかどうかとか、誰にも確認してもらったりしてないから……ねえ先生――」

 

 ネロを見ると、ほんの少しだけ泣きの入った笑い顔で優しく、まるでネロの方が先生かのように、ロディネを呼ぶ。

 

「俺が言ったこと、困ってると思う。気にして欲しいけど、気にしないで欲しい――でも、覚えていて」 

 

 びっくりはした。だけど困ったりなんかしていない。

 ロディネはそう言おうとしたが、ネロが言葉を続けている。ならひとまずはそれに耳を傾けなければと口を噤んだ。

 

「今の、15歳の俺が、先生が大好きだったって事は変わることはない。万が一俺が心変わりしたり……先生が……もし……他の誰かと結婚したり、絆を結ぶ事になったら、忘れてくれてもノーカンにしてくれてもいいし、それは捨ててくれてもいいです。でも俺が変わらない限り、先生のことが大好きだった、15歳の俺のことを、覚えていて」


 真っ直ぐ気持ちを向けてくれることは嬉しい。ロディネがビビりで予防線を張ってるだけだ。


(忘れたりするもんか)


 ネロは元々能力が高かった。それが更に高くなって、今ですら特務に行っても大丈夫なくらい高いものになったのは塔外訓練が原因できっかけではあるし、その後みんなで特訓を頑張った努力の成果でもある。

 でも一番は、ネロがロディネを慕って信頼して、心を預けてくれたからだ。

 ロディネは嬉しかった。だから入れ込んでしまってたとは思う。でも嬉しかった。

 

「――……」


 ロディネはこれを伝えようかと思ったが、止めた。

 番人と導き手の関係は結局のところ、協力と依存――特に訓練生の場合は、刷り込みだ。ロディネが今まで受け持ってきた訓練生は、孤児だったり能力のせいで生きづらい経験をした事があるような子が多かったから、その傾向は強かった。特にネロは塔と孤児院しか――そしてあの碌でもない孤児院はノーカウントだろう。実質は塔しか知らない。

 だから以前あいつ・・・に言われたように刷り込みを恋だと錯覚している部分が多々あるかもしれない。今までもその通りだったんだから。

 だからこれは今言うべきではない。だけどこれだけは言っておきたい。ロディネはもらった認識票ドッグタグを首から下げた。

 

「覚えてるに決まってる。忘れたりするもんか。大事にする……絶対に、忘れないよ」

「――ふふ……言いましたね。絶対忘れないでくださいよ。公安に行ったってしょっちゅう会いに来ますし何度も言いますから、覚悟しておいてください」

 

 そう凪いだように微笑むネロの瞳は、もう大人のものだった。全てを受け入れ慈しむような、そんな瞳だった。幼さが残っているのに、もうすっかり大人の顔をしていた。

 

「おー……待ってる。だから元気な顔を見せてくれ」

「もちろんです」

 

 今度はいつもの明るい笑顔を見せたネロを見て、見せてくれと言ったくせに、ロディネは眩しい光を見た直後のように少しだけ目を逸らして俯いた。

 肩のつばめがちゅぴちゅぴ五月蠅いなあと思った。

 ネロのわんこは心配そうに下からロディネを見上げている。

 自分は一体どんな顔をしてるんだろう。

 自分では見えないけれど、わんこの黒くて丸い瞳から見て、ちゃんと大人の顔が出来ていますように。ロディネはそんな風に願っていた。

 

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