第31話 どこにも行けない

 

 ネロは特訓を始めてすぐ、公安を希望する旨をロディネを通じて正式に提出し、しばらくして管制長から呼び出しを受けた。


(何だろう?)


 呼び出しの理由は分からないが、ネロも言っておきたい事があったからちょうどいい。ロディネが別の訓練でいない時に、教務課長に案内されてこっそりといった感じで管制長の部屋へ向かった。

 管制長は銀髪銀目のとても格好いいおじさんだ。執務机の横には魂獣らしき同じ色合いの大きな銀狼がいて、ネロと犬をじいっと見ている。


(いや、俺の犬があれに1番近い犬とか……絶対嘘だ)


 ネロの犬は管制長の狼をじっと見返しているが、いかんせん迫力がない。頑張っても迫力のない自分の犬を見ているうちに椅子を勧められ、ネロは言われた通りに座った。

 

「ロディネの話から、君はあまり公安に行くのに乗り気じゃないのかと思っていたが、大丈夫なのか?」

「その時は自分の将来がぴんときていなかっただけです。俺は公安にいきます……だから公安に行くことを望んでない先生を、無理に戻そうとするのはやめてください」

 

 ネロが言っておきたかったのはこれだ。無礼かもしれないが、どうしても言っておきたかった。


「……ロディネの代わりにということか? それがロディネのためだと?」

 

 管制長が切れ長の銀目を細める。管制長の隣の銀狼はのそりとネロの犬に鼻先が触れるくらいに近づく。圧が凄い。

 

「確かに先生の代わりって気持ちもゼロじゃない。でもそれだけじゃなくて――俺が死にかけたみたいなことが、勝手に行われないように、もし未然に防げなくて止められなくて、ああいうことが起きても守ってあげられるように」

 

 「それがきっと、ロディネの心を守るための1番の近道だ」とネロは管制長を見つめ返す。すると管制長は「結局ロディネのためじゃないか」と声をあげて笑った。

 

「そんな真正面から不純な動機ですと言われるとは思わなかった。いいだろう……なら、公安を味方だとちゃんと思いなさい。公安は別に敵ではないんだ。思うところがあっても、牙を隠しなさい。ロディネが真正面から牙を剥いてるからな……――ネロ」

「はい」

君は・・間違えるなよ」

 

 誰の方向を向いていたいのか、それを間違えるな。

 管制長はそう言って微笑む。話はそれで終わり、公安への内定が来たのはそのすぐ後だった。

  

 そんなこんなで公安に行くと決まってから1年近くが経ち、ネロはもうすぐ15歳になろうとしていた。次の春からは塔職員として、管理制御課の公安制御部に所属することとなる。


「ネロ、特訓終わった?」


 ロディネ達との特訓が終わり、寮へ帰ろうとする途中、後ろからビアンカに呼び止められた。

 

「ビアンカ先生! 終わりましたけど、どうかしましたか?」

「公安に行くのが本決まりになったって聞いたから、ちょっと話しておきたくて。お姉さんとお茶しよう」

「何ですかその棒読みのお誘いは……もちろんいいですけど」

 

 ビアンカについて教務課へ向かえば、どうやらビアンカはネロの分の外出届を既に用意していたらしく、ネロを指差して、かなり雑に教務課長に提出している。教務課長も「いいよ」と言ってかなり雑に承認した。ネロは一筆も書いていないが、いいのかそれで。

 連れられて来たカフェは、スイーツ主体のお洒落な店で、男だけだと入りづらい雰囲気がある。

「お姉さんが奢ったげるから好きなの頼みなさい」という言葉に甘え、ネロは紅茶と苺がたくさん乗ったタルトを選び、ビアンカはカフェオレとチーズケーキを頼んだ。注文した品はすぐに運ばれてきて、軽く礼をしたところでビアンカは口を開く。

 

「特訓の調子はどう?」

「順調だと思います。エルンストも自分の方向性が掴めてからはめきめきと能力を伸ばしてますし、ジーナもイレーネもそれに合わせて頑張ってくれてるんで。さすがに全力を出すと、俺は先生に導いてもらわないと駄目ですけど」

 

 +++

 

 エルンストは感覚を使うということを難しく考え過ぎると色んな番人に言われてて、それはネロも思っていた。だから考えるより先に感覚を掴んで動く癖をつけようとする方向で訓練していたが、ロディネが「エルンストは勉強もできるし頭もいいから、いっそのこと感覚で掴むより色んなパターンを全部頭に叩き込んでみたらどうだろう?」と言った。

 

「でもそれだとやっぱり咄嗟に動けなくなりませんか?」

「感覚で動く人間だって咄嗟に動くのは難しいぞ? 動けたってその行動が正しいかどうかは分からない」

 

 ロディネ曰く、例えばチェスやボードゲームなどは感覚で戦う天才もいるけれど、プロだってほとんどが過去の定石や他人の対戦、駒の動きそういったものを頭に叩き込んで叩き込んで色んなパターンを想定して研究している。予測の方まで叩き込めばいけるだろう、エルンストはそういうやり方の方が向いてるのではとの事だ。

 

「俺、エルンストは指揮官向きだと思うんだよ。頭もいいし、咄嗟に冷静な判断も出来るし、自分と相手が違う意見でも相手の意見を踏まえた上で、ちゃんと自分の意見が言えるだろう? 番人の能力だけで判断する脳筋の言う事は気にしなくていい。今でも並みの番人以上の能力はあるんだからさ」

 

 もし公安が嫌になったら是非政治家を目指してくれと先生は笑う。べた褒めだ。

「ネロ、ネロ……ロディネ先生は僕に自信をつけようと言ってくれてるだけだから、怒るな。犬が唸ってる」

 

 呆れたエルンストに小声で言われて駄目だ駄目だと気持ちを落ち着かせる。でも、エルンストはそう言うけど、さっきのは絶対本気で言ってた。

 

 う゛ぅ゛ー……

 

「ネロ……」

「ごめん……」

 

 +++

 

「……そんな感じで順調です」

「あっはは! それは重畳……なんだけど、あんまり長い時間付き合わせてもあれだから本題に入るね。ロディの事なんだけど……単刀直入に聞くけど何かあった?」

 

 ネロはぐっ……と紅茶を吹き出しそうになって無理矢理飲み込んだ。


(さすがビアンカ先生……バレてる……)

「……ええと……その。フラれました」

 

 ビアンカはカフェオレを飲みながら、猫目をまんまるくして、苦笑した。

 

「それは……かなり急いたねえ……ロディの性格上、子供に告白されたって、はいとは言わない」

「うぅ……」

「でもそれはネロが無理とかで言ったんじゃないからもう少し大人になったら再チャレンジしてみて」

「それは、そのつもりです」

 

 ビアンカは飲むのを止めて、カップを置いた。

 

「ロディのつばめはね、レオナルドとロディネの先生だった人が亡くなってから、いつの間にか飛べなくなったんだよ」

「セイル先生、ですよね……実はマールさんから聞きました」

「お? いつの間に。ネロもやるね」

 

 ロディが目覚めたときには色んな事全てが終わっていたんだよ、とビアンカは言った。

 

「ロディはセイル先生の後を律儀に待ってる。戻って来ないみんな・・・を」

「先生は、多分塔にずっといるって。そう、言ってました。それもあって飛べないんじゃないかとは思ってます」

「多分ね。でもあくまで想像でしかないし、多分ロディ本人も分かってないから、正解は分からない。導きガイドはさ、その名の通り番人を導いて能力や心を癒してくれる。でも、番人の傷を精神共感エンパスで受けて、傷を引き受けた導き手を癒す能力っていうのは誰も持ってない。ロディは特に元々お人好しで人の事ばっかり考えるから」

 

 だからロディネのつばめは飛べない。大きな傷があって、小さな傷がいっぱいあって、傷ついて傷ついてだから飛べなくなっているのだろう。ネロはビアンカに同意しながらタルトの苺を口に放り込む。

 甘い苺のはずなのに、何だかとても酸っぱい。

 

「それと……公安に行くなら、レオナルドには注意を」

「それもマールさんに……」

「やっぱマールもそうか。ロディは何にも言わないけど、あいつ……レオナルドはロディにも多分何か言ってる。きっと、傷つくようなことを」

 

 ケーキを食べる手を止めて怒るビアンカの言葉に、ネロはロディネに告白した時に言われた言葉を思い出した。

 

 "ネロの気持ちは嬉しい。でも、あのさ……俺はさ、ただでさえ思春期真っ只中の番人の心の硬い所も柔らかい所も剥き出しのものを直接触れさせて貰うんだ。だから"

 "きっと塔から出て広い世界に目を向ければ、色んな人と出会える。絆契約ボンドを結びたいような人も。ネロもきっとそうなるよ。こんな年の離れた男じゃなくてさ。実際、誰も俺の所に戻ってきた子はいないし"

 

 今までロディネの事を好きだった人、みんながみんな別に相手を作ってロディネのところに戻って来なかったっていうのは何度聞いても本当に不思議だ。ネロがロディネを好きでよく見えているのを抜きにしても、マールが言ったとおり、ロディネは負けず嫌いで意外と気は短いが、性格も明るくて優しいし、見た目だって贔屓目なしで結構いい部類に入る。いくら脅されてたとしても、全員が全員諦めるものなのかと。

 しかしロディネ自身にも併せてそんな風に言われたらどうだろう。追い討ちになって脈がないと諦めてしまうかもしれない。

 

 そういう風にロディネが言うのも。弱っていたロディネにあの人が何かを言ったのでは。

 

 そうやってロディネをずっと1人にして、自分もずっと絆を結ばずに。確定ではないが、もしそうだとしたなら。


 いつか自分のものに。

 そうじゃないなら誰のものにもならないように。

 想像でしかないけれど、もしかしたら。


 でもこれはネロがきっと公安に行ったら分かる話だ。もし何か言われてもネロは絶対に負けないし諦めない。

 

「それでね。ネロが配属されるのと一緒に私と夫のコニィさんも公安に復帰するから同僚になる。よろしくね」

「えっ! そうなんですか!?」

「うん。ネロの後にはロディが見なくちゃいけない程の子がいないから、ロディに総括引き継いで教務の管制官の育成をして貰う予定だって。これまだロディには内緒ね」

 

 自惚れるわけではないが、手のかかるネロがいなくなって仲のいいビアンカがいなくなって、ロディネは寂しくなるだろうな。

 しつこい自覚はあるが、配属になる前にロディネにもう一度、きちんと気持ちを伝えておこうと思いながら、ネロは甘い筈の苺をやっぱり酸っぱく思いながら、口いっぱいに頬張るのだった。

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