第30話 獅子とつばめ(後編・ネロ視点)
「僕達はロディネ先生の事、恋愛対象として見た事はないんだけど、さっき言ったセイル先生の教え子だった僕より年下の訓練生が先生の事を好きになってさ、塔を出る時に告白したんだ」
「え」
「先生には『3年経っても気が変わらなければまたおいで』って軽く躱されたそうだけどね。でも……」
動揺したネロにマールは悪戯っぽく笑いかけた。しかし、すぐに真剣な顔になる。
「公安に配属されたその子に一度……レオナルドさんにロディネ先生に近づくなと注意されたと僕は相談を受けてたんだ。そしてその子は……たった1年で小塔勤務に変わっていった。特に能力不足や家の事情なんていう理由もない」
その後もロディネの教え子だった番人に同僚の導き手の女性に、マール達が知ってるだけでも10人程、ロディネに好意を寄せていた人間が、塔を辞めたり小塔勤務になったりと、理由がはっきりしないのに勤務する部を変わったりしているのだそうだ。
「それら全てに、レオナルドさんが関わっていると……?」
「証拠はないけど恐らくは。そしてこれは僕が知ってる範囲での話だから、本当はもっといるかもしれない」
――あいつに近づくな。お前程度の番人が絆を結んであいつを守ることが出来るのか。
――導き手同士で結婚して、誰か別の番人と絆を結んでそれにお前は耐えられるのか。
……そう言われていると、相談をされたことがあるとマールは言って、ルチルは機嫌悪そうな顔をしている。
でもこう言ってはなんだが、遠く離れたり脅されたという理由で変わる気持ちは、果たして本物なんだろうかとも思ってしまう。獅子ではあるが番犬のように、相手の事を試しているという意図もあるのではないだろうか。
「実際先生が狙われたわけだから、ある意味正論と言えば正論……?」
「……いや。いくらロディネ先生が優秀な導き手とはいえ、レオナルドさんとバディを解消して公安じゃなくなったのなら、狙われる事はそうそうないだろう」
「エルンスト君の言う通りだよ。他国からの勧誘以外は特に問題ない。だからこそ、その行動の意図は? って事なのよ」
エルンストの意見にルチルがそう返す。ならその意図なんてひとつしかない。
正直ネロもレオナルドの事は気になっていた。結婚して子供もいるらしいのに、レオナルドはロディネの事を全然諦めてなんかいない。ロディネ自身の反応も、嫌そうではあるけれど本当に心からの拒否という感じではない。
(先生はずっと塔にいるって言っていた)
鳥籠の鳥のように律儀に塔でずっと待っている。でもさっきの話が本当なら、誰も先生の所に帰っては来ないという状況はレオナルドが作り出している。
つばめが飛べなくなるほど心が傷ついた一番の原因はセイルの事でまず間違いない。でも……それ以外でもレオナルドの事や一つ一つは小さな事だけど、色んな事が積み重なって積み重なってロディネはああなっているのではないだろうか。それこそ前に見た傷だらけの身体と同じで。
それと導き手の人の特徴。
番人は導き手が回復してくれるけれど、導き手は誰が?
ロディネの元々の性格と、番人への
「……なら、塔外訓練の時は、もしかして」
「エルンスト、訓練がどうかした?」
考え込んでいるネロの横で、エルンストが呟く。どうしたのか聞いてみたが、妙に歯切れが悪い。塔外訓練がどうかした? とマールさんも同じように尋ねるけど、変わらず反応が悪いので、ネロが代わりに答えた。
「あの、俺達この間、塔外の訓練でグリーディオ国の特殊部隊を誘き出すための囮にされたんです」
「……それは……先生、怒ったろう」
「はい」
でも、それ以上に、傷ついたのではないかと思う。さっきの話を聞いたらなおのこと。それを分かっていてあの人は。
気づけばもう、帰らないといけない時間に差し掛かっている。話とご飯のお礼を言ってネロとエルンストは席を立った。
「何かあったら………まずはビアンカさんに相談するといい。今の教務課長も多分相談して大丈夫だ。あとは本末転倒ではあるんだけど……ロディネ先生に相談するか。僕やルチルも近くにいればいいんだけど……僕達もまた、飛ばされ組だからね」
ネロもエルンストも驚いて2人を見る。2人は少しだけ苦笑いしてから真剣な顔つきになった。
「レオナルドさんの事を、先生に言おうかと思ってた矢先にね。僕もルチルも先生とは仲良かったし、僕達が気づいていたように、レオナルドさんの方も気づいていたんだろう。お互いに何かがあったらと思えば僕達は身動きが取れない。でも先生は大事な先生だから。逆に怖がらせてしまうかもとも思ったけど、その先生が可愛がってる子に注意喚起くらいはしておきたくてさ」
「絆を結んでいるならパートナー最優先は当然かと」
「……俺はお話聞かせて貰ってよかったです。先生なら気にしない……というか、『パートナーをちゃんと守れよ』って言うと思います」
いや、ロディネなら絶対そう言う。
ネロがそう言えばそれを聞いたマールとルチルはまた顔を見合わせて困ったように笑っていた。
見送りは遠慮した。ネロとエルンストは外出の理由にしたからと、申し訳程度にお土産を買い、真っ直ぐ駅に向かう。
その道すがら、ネロも色々考え込んでいたが、エルンストも結構考え込んでいる。ネロは道の真ん中で、わざとぴたりと立ち止まった。
「……ネロ? ……どうした……ってうわ!」
「エルンスト、俺、公安にいく」
ネロはエルンストの肩に手を回してぐっと寄せる。一緒に訓練を受け始めた時は、少し見上げていた目線は殆ど変わらなくなっていた。急に肩を組まれたことを不快に思ったのか、なくなった身長差に気付いたのか、もしくは両方か。エルンストは少し苛ついたように無言で眉をぴくりと上げた。
「だから一緒に公安行って協力してくれないかな。先生はきちんと説明して説得すれば多少の無理な訓練でも付き合ってくれるから」
「いきなり何なんだ」
「俺、この間自分がされたみたいな事があったらそれを止めたり助けたりすることが出来る位置に居たい」
「それは、ロディネ先生のためか」
ネロはゆっくりと、それでも力強く頷いて、真っ直ぐにエルンストを見つめる。エルンストもまた、目を逸らす事なくネロを見つめて、「分かった」と頷いた。
「でも、ひとつだけ」
「何?」
「番人や導き手の能力をもっと上げるのは長期的に見て必要な事だと、やっぱり僕は思う。みんながみんなネロみたいに能力が高いわけじゃない。今はまだレオナルドさんやビアンカ先生、ロディネ先生を始めとした能力の高い人が充分にいるけど、層があまりにも薄すぎる」
「山での事を肯定するの?」
「物凄く大きく乱暴に括ればそうだ。でもそれは生きるか死ぬかのような、あんな獅子の子を崖から突き落として這い上がった子だけを育てるやり方ではなくて……ネロが助けると言ったのに近いけど、守り切るのを前提に、きちんと安全性を確保した上で実施すべきものだと思う。それで底上げが出来れば、みんなが協力して一部の人が担っている負担を分け合う事が出来るとも思うし……」
「ちょっと内容は難しいけど、結局のところやりたいことは一緒、でいい?」
「厳密に言うとちょっと違うが、訓練生が必要以上に怖い目にあったり怪我したりしないようにするという点では一緒だ」
なら、取り敢えずは同じ方向を向いてるって事だ。
「なら俺はそれでいい。じゃあ、改めてよろしくね――エルンスト」
「ああ。よろしく、ネロ」
列車で塔に帰ってすぐ、特別訓練を頼みに行こうとネロとエルンストは一緒に教務課へ向かった。エルンストはロディネと真逆である自分の意見をしっかり真正面からロディネとコルノに伝え、その上で力を身につけられるよう訓練してくださいと一緒に頭を下げた。正直恰好いいなと思った。
ロディネ達も最初は面食らっていたが、「そこまで言うなら加減はしない」と言って特別訓練をしてくれる事になった。
その訓練にペアのジーナとイレーネも加わり、ネロ達は本格的に公安に入ることを目標にしていく事となる。
それと――このままでいれば、公安に入らなかったとしても、きっとネロにも獅子の爪牙が迫ってくる。
来るべきその時までに、力をつけておかなければならない。飛べないつばめを飛べるように言いたいところだけど、その方法は分からない。でも、飛べないつばめを守るための牙を、ネロは幸いにも持っている。
ならそれを研ぐだけだと心に決めた。
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