第12話 山の中(ネロ視点)

 

 

 山は結構うるさい。

 

 人がいないから静かなところかと思っていたけれど、爽やかな風が吹くと木の葉が揺れて話し声みたいにざわざわするし、鳥や獣っぽい声もする。先生のつばめも結構鳴くし、鳥は結構お喋りだ。

 

 思い切り深呼吸をして、山の匂いってこんな感じなんだなと思った。例えるものが分からないから上手く説明できないけど、木や花、色んなものが生きてる匂いだ。孤児院のへこむ床やぐらつくベッドはカビ臭くて木が腐って、まるで死んだような匂いだったし、塔の建物はほとんど匂いがしない。だからこれが生きた木の匂いで、山の匂い。触ると少ししっとりしていて、犬は感触が気になるのか落ち着きなく、細かく足踏みしながら周囲の匂いを嗅ぎ回っている。

 

 そして、こんなに息をすることを意識するのは久しぶりだ。息をすることを何とも思わなくなるなんて、あの頃は思いもしなかった。息をすると臭くていつも吐きそうだったけど、息をしないと死んでしまう。だから仕方なく、頑張って息をしていた。

 塔に連れて来られた時はとにかく混乱して暴れていたけれど、ロディネ先生に導いてもらって、まるでこの場に吹く風みたいに、淀んでいた自分に風が吹き抜けたかのようだった。空気が美味しくて、ご飯も美味しくて、ものに触っても痛くなくて、何もかもに感動した。

 今も先生をはじめとした塔の人たちのおかげで小さな頃のように普通の生活が……いや、自分は気付いたら孤児院にいたので、こんなに優しくしてもらって、美味しいものをお腹いっぱい食べさせてもらって、学ばせてもらってと……こんな天国みたいな生活は初めてだと思う。勉強は好きじゃないと、最初に言ったけど、今はそこまで嫌いではない。文字や数字を見ると歪んで見えるのに、頭に色んなものが飛び込んでくるのが気持ち悪くて嫌だっただけで……いや、嘘ついた。今も特に好きじゃない。

 ネロと一緒に弱っていってた犬も、今は毛並みもつやつや元気いっぱいで、改めて心の中で感謝した。 

 

「おいネロ何ぼーっとしてる! 早く!」

「エルンストごめんごめん、すぐ行く!」

 

 今日の訓練は塔外の山の中に隠されたものを2つ探し出すというものだ。

 

「探してもらうのは耳と鼻で探せるものになっているから種類が違うものを2つ持って来るように。同じのを複数持ってきてもやり直しだから注意してね」

  

 引率のコルノ先生がそう説明をする。どのようなものかはヒントになってしまうので詳しく言わないが、塔の絵が描かれているそうだ。引率の先生以外には、ロディネ先生とビアンカ先生、あと何人か事務官の人が一緒に来ていて、誰かは必ず拠点にいるらしいので、課題のものを見つけ終わるか、何かあったら戻ってきなさいとの事だ。

 説明も終わって、みんなそれぞれ山中に散った。行こうかと言おうとしたら、ペアのジーナが肩に乗った魂獣のリスと一緒にネロを覗き込んでいた。 

 

「ネロ、ぼーっとしてたけど大丈夫?」

「ごめんごめん、大丈夫。多分こっちの方だと思うから行ってみよう」

「了解、よろしくね」 

 

 くるくるとした肩までの茶髪を揺らしながらジーナが笑う。導き手の能力は番人に対してのみ発揮されるから、導き手はみんな性格が違っても基本的に番人に対し、好意的なんだと習った。けどそれを差し引いても、やっぱり優しい人ばかりな気がする。人を見る目が細やかだ。


(なんか音がする……それに)


 少し耳を澄ませると、不自然に一定のリズムを刻む何かをいくつか感じるし、すんすんと匂いを嗅ぐと、何だろう……今の季節に山の中にはないであろうオレンジや林檎といった果物のような匂いがする。これだろうか?

 とりあえずそれらしきものの方向へ、綺麗にしているのかしていないのか分かりづらい山道を匂いのする方へと2人で歩いて行く。女の子だけど大丈夫かな……と思ったけど、よくよく考えたら同じように訓練してるんだから大丈夫か。ビアンカ先生もアマリア先生も強いし、ジーナだって喋りながら歩いても、全然息切れしていない。互いに気を付けておいて、疲れたように見えたら声掛けするようにしようと約束した。

 

「ねえネロ、番人は五感が発達してるって簡単に纏められてるけど、人によって感じ方とかやり方って全然違うんだよね?」

「らしいね。俺の場合は何て言うか……使いたい時に扉や窓を開けたり閉めたりして調整するイメージなんだけど……」

「ふむふむ」

「例えば聴覚だったら、聴くこと全般に関する大きな扉の側に、人の声を聞くための窓、物音を聞くための窓とかがいっぱいあって、調整は窓や扉を半開きにしたり、カーテンやスクリーンを開けたり閉めたりってする感じかな……あんまり上手く言えないけど……」 

「なるほどさっぱり分からない……でも前に一緒だった子よりは全然言語化されてる」

「これで?」

「前一緒だった子はとにかく擬音ばっかりだった」

「それよりマシでよかった」

 

 そんなことを話しながら匂いを辿って歩いていくと、山の中腹にある木の上に匂いの元を見つけた。ジーナと協力して木に登り、置かれていた緑の箱を手に取ると、小さく塔の絵が描かれている。山にあるものの匂いと混ぜてはいるけどほんのり青臭い林檎の匂いがするから、案外すぐに分かった。

 

「これかな……?」

「塔の絵だからそうだよ! ネロすごい!」

 

 緑の箱を手渡すと、ジーナはそれを見て喜んだ後、少し考えている。

 

「ネロ、聴覚の方を探す前にガイディングしておこうか?」

「ううん、まだ大丈夫。ありがと」

  

 ネロは嗅覚の扉を閉め、聴覚の扉を開く。木々のざわめきや鳥や動物のおしゃべり、あと他の訓練生の話し声なんかも掻き分けつつ耳を澄ませると、不規則な自然の音の中に、一定のリズムを刻むものが混ざっている。

 

「あっちから何となくそれっぽい音がするよ。行ってみよう」

 

 音源を探して2人でまた道なき道を歩いていくと、ある木の根元から微かなカチカチ音がする。再び2人で協力して地面を掘ると、塔の絵が描かれたマッチ箱くらいの茶色い箱が出て来て、ネロとジーナは顔を見合わせて頷きあった。

 

「これだ! すごいねネロ。もう終わりかぁ」

「うん! じゃあ帰ろうか」

「ちょっと待って待って」

 

 歩き出そうとした俺を呼び止め、ジーナが手を差し出す。

 

「大して疲れてもないし、大丈夫だって」

「ネロがよくても私はよくない。これは導き手の訓練でもあるんだよ?」

「……確かに」

 

 ネロは訓練を終わらせることしか考えてなかったが、全くもってジーナの言うとおりだ。ネロが手を握り返すと、ジーナもにっこり笑って手をきゅっと握った。

  

 (あっ、でもほんとう調整いらないくらいだね)

 (うん。これくらいならいらないかな)

 (うーんごめんね? でも私の訓練も兼ねてるから、ちょっとだけ我慢してもらっていい? )

(ううん、ありがとう)

 

 やっぱり先生以外の導き手に導いてもらうのは何か変な感じだ。犬もお座りしてちょっと緊張している。まあけど、犬はこれくらいの態度でいいんじゃないかなとも思う。自分の状態を現しているから仕方がないとはいえ、先生に導いて貰っている最中の犬は、いつも嬉しそうにお腹丸出しで寝転がって、先生のつばめに毛繕いされている。正直恥ずかしいので止めて欲しい。

 

「お待たせ」

「ジーナありがとう。ジーナこそ休憩しなくて大丈夫?」

「これくらいなら大丈夫だよ。それより私、拠点にビアンカ先生かネロの担当のロディネ先生とお話してみたい。実は面と向かってはお話しした事ないんだよね」

「そうなんだ。2人とも明るくて面白いよ。じゃあ拠点に戻ろうか。みんなはどんな感じかな……」

 

 "お前達、誰だ! 離せっ!! "

 "大人しくついてこい! "

 

 ーーーー

 

 みんなはどんな感じかと、もう一度耳を澄ませたところで、誰かの叫ぶ声が聞こえる。

 これはただ事じゃない。

 そう考えたネロは一気に警戒態勢に入って立ち止まった。

 

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