第7話 手合わせ
ネロが塔に来てから半年が過ぎた。
部屋も無事コテージから寮に移り、少しずつ集団生活に慣れていって貰っている。とはいっても職員もこの寮に住んでいるし、ロディネとは隣部屋。毎日行き来しているから今までとそんなに変わらない気がしないでもない。なお、背の伸びは鈍化してちょっとがっかりしている模様だ。大丈夫大丈夫、まだこれからだって。
今のところ順調なので、他の導き手による導きも受けられるよう練習させるのと……まず同じ教務課の子どもの対応に慣れた導き手に頼んで……あとは戦闘訓練だ。集団での訓練やは担当の導き手に任せるとして、ぼちぼちやっていくかとロディネは考えていた。
「――というわけで。集団訓練は教務課の別の先生が担当してくれて、能力を使わない個別の訓練は俺とやっていくからな」
「えっ――大丈夫なんですか?」
カリキュラムが書かれた紙を見せながら説明しているとネロが心配そうに聞いてくる。おい、それはどういう意味だ。
「だって……先生弱そ……いや、強くなさそう」
なんだとう?
ネロ、それ言い直しても一緒だからな?
「……何か勘違いしてんなぁ……言っとくけど俺は結構強いぞ」
「ええっ……嘘でしょ」
どういう意味だこんにゃろう。
疑いの目を向けるネロに、ロディネは溜め息をついた。
「番人に対して導きを行うには、番人の身体に触れなきゃいけないっていうのは教えただろ? 通常時なら問題ないけど、野生化した時なんかは暴れ狂う番人の攻撃をかいくぐったり、押さえつけたりして触れなきゃいけないんだ。弱かったら話にならない」
「えー……? 確かにそうかもしれないけど……」
そもそも戦闘に対応出来ないと管制部の導き手にはなれないんだが……何故そんなにも疑う。確かにはロディネは特別体格はよくもないが、細くもないし、背はむしろ平均より高い。そんな疑われる程弱そうな見た目はしていないはずなのに。解せぬ。
「じゃあ、論より証拠ということで。ちょっと外で手合わせしてみるか」
「えっ、あっ……はい」
ネロとわんこは面食らい、若干オロオロしながらついてきている。訓練生が住む寮はそこそこ広い中庭があり、軽い運動くらいなら出来る。さっき見た時は誰もいなかったから使えるだろう。
「じゃあ5分間。俺からは攻撃しないし、この円から出ない。それで俺の胴体部分に触れたらネロの勝ちという事で」
寮の中庭に出て
ムッとした表情で手数を増やし始めるが、流石に訓練を受けているロディネと素人かつ子どものネロでは番人の能力を使ったとしてもお話にならない。
ネロもその事に途中で気づいたようだが、後には引けないと、必死に手だけではなく、足も使って攻撃を繰り出し始める。
(ふむふむ)
ネロはかなりすばしっこくて運動能力が高そうだ。身体がよっぽど大きくならない限り、力を伸ばすよりは素早さを生かしたスタイル、ロディネ近い戦闘型として伸ばした方がよさそうである。
意気込みを揶揄うようにいなしながら考えていると、ぴぴぴぴっと
「はい、俺の勝ちー」
「――お、俺みたいな素人の子どもを簡単にあしらえるからって、先生が強いって証明にはなりません!」
「おーおー言うなぁ、吠えるなぁ、食い下がるなぁ。なら、今度は戦闘訓練担当と手合わせして見せてやろうかな」
ロディネはそれなりに負けず嫌いだ。売り言葉に買い言葉ではないが、そこまで言われては指導係としての面目が立たない。
いつも一纏めにしている自分の髪を団子髪にしつつ、そのままネロを連れて訓練所に向かおうかと思ったその時。
「……ロディ。お前何やってんだ」
振り向くまでもなく分かる。振り向くのは面倒くさいけど無視すると余計面倒くさい。
ロディネが仕方なく声のする方を振り向くと、そこには予想通り、緩く波打つ暗い琥珀色の髪と目をした大柄な男が立っていて、隣には立派な鬣の獅子が尻尾を地面に打ち付けていた。
「……お前こそ何やってんだ」
「お前が付きっ切りで新しい子どもを見ていると聞いたから見に来たんだ」
「見せもんじゃないからな? 俺は今から訓練所に行ってコルノと手合わせするんだから邪魔すんな」
「なら俺も行こう」
「何でだよ」
肩のつばめが嫌そうに、つぴーつぴーと大きな声で鳴いているのを無視して近づいてくる男は相変わらずでかい。
突然の乱入者に驚いていたネロも、わんこも庇ってくれるかのようにロディネの前に立ち、野良犬のように小さく唸っている。
「一丁前に番犬気取りか」
「……先生、この人誰」
「こいつは同期の番人で、昔
レオナルドはネロの方をちらりと見て意地悪く目を細め、ロディネの顎を掴んで強制的に上……自分の方へ向かせて顔を寄せる。イラついたロディネは反射的に下から突き上げるように拳を繰り出したものの、それをもう片方の手で受け止められてしまった。
「お前と俺は
粘膜接触での導きは原則相手の同意が必要だ。もし違反したら犯罪である。されたらロディネは絶対に訴える。じとりと睨めばレオナルドはすんなりと手を離した。
「ちょっとした冗談だろうが」
「元相棒にこんな事してたら冗談には見えない。自分の立場を考えろ。それを望んだのはお前だろうが……ネロ、行こ」
掴まれた手を振り払ってネロの手を取って歩き出すと、何故かレオナルドまでついてくる。何でだよ。
「ついてくんな」
「手合わせをするなら俺がしてやろう」
「現役戦闘職で1番強い番人の相手とか勘弁してくれ」
「ふぅん。教え子の前で負けるのが嫌なのか。お前も小さな奴になったな」
「なんだとう?」
腹立つ……! そう言われたら引き下がれないじゃないか。
「……安い挑発しやがって。この脳筋が」
「どっちが脳筋だどっちが」
「せ、先生?」
+++
「――と、言う訳で訓練所使わせて欲しいんだよ。あと審判もしてくれ……」
「いいですけど……ロディネさんって無駄に負けず嫌いなとこありますよね。まあ僕はレオナルドさんの訓練が見れてラッキーですけども」
訓練所で片づけをしていた戦闘訓練を担当しているコルノを捕まえて、不本意ながら、勝負の準備をする。導き手はロディネを含め、素早さや攻撃を躱す方に特化している人間が多いが、コルノは導き手でありながら相手に真っ向からぶつかるパワー型で、魂獣は
「ネロはここで座って見ててくれな。わんこもつばめと居てやって」
指に留まらせたつばめをわんこに差し出すと、わんこは頭に差し出してつばめを乗せ、お座りして小さく唸りながら尻尾を振り始めた。……一体どういう感情なんだこれ。
「先生、大丈夫なんですか……?」
「おい、ロディまだか」
「大丈夫大丈夫。はいはい……今行くよ」
「じゃあ能力の使用はなし。基本的に背中を地面につくか、首を押さえられるか、降参宣言が出たら終わり、あとは適宜僕の判断ということで……お2人ともよろしいですか?」
ロディネは頷き、レオナルドも頷く。
そのまま互いが距離をとって向かい合うのを見て、ゆっくりとコルノがテンカウントを取り始める。
「3、2、1――――はじめっ!」
ロディネはご挨拶とばかりに繰り出してきたジャブを避けて脇腹に蹴りを入れ、防がれたのを急いで引っ込め距離をとって離れた。
お互い拳が届かない位置でじりじりと隙を伺い、レオナルドが地面を蹴る。
ロディネは蹴りで牽制するがレオナルドはロディネの攻撃が軽い事を知ってるからか、明らかに強行突破を決めている。ばしばしと捌いて払い落として自らの拳の間合いに強引に持って行くつもりのようだ。
レオナルドは恵まれた体格という、自分の長所を最大限に生かすように鍛錬しているため、ロディネの攻撃では全く揺らがない。じわじわと確実に間合いを詰めて来るが真っ向勝負しても意味がない、なら。
ロディネは離れようとしていた間合いを逆に詰めて、レオナルドに殴りかかった。この距離では反動をつけられないので、ただでさえ軽い攻撃は更に軽い。それは相手も分かっているようで避けずに捌いているし、足払いは読まれている。
「甘いな」
「それぐらい分かってるわ! 感じ悪っ!」
ロディネとは対照的に、レオナルドの攻撃は勢いをつける距離がなくてもそれなりに威力がある。小さく振り上げて打ち下ろす拳を一重で避け、レオナルドの腕を取ってそのまま思い切り引き倒しにかかるが、それも読まれていた。
「終わりだっ!」
「お前がな!」
首を押さえに来たのをギリギリで躱し、ロディネは体勢が不安定なまま肘鉄を繰り出す。だが攻撃に集中し過ぎたのが駄目だった。脇腹に思い切り蹴りを食らって転がってしまう。
「――――そこまで!」
「……くっそ……思ったより、ギリギリだった……」
「痛ぁ……あぁぁっ! いけたと思ったのに! お前ちょっとは忖度しろよ!訓練生の前だぞ!」
「立場って言ったのはお前だろうが。負けるわけにいくか」
「だから最初っから俺は試合うの断ってたんだけどな!?」
「先生!!」
痛む脇腹を押さえていると、ネロが心配そうに駆け寄ってくる。見苦しいところを見せてしまったのを反省しながら「大丈夫大丈夫」と返事をして、ゆっくりと立ち上がる。流石にヒビは入っていないだろうが、痣にはなりそうだ。
「いてて……」
「先生、俺に掴まってください」
「俺が連れて行く。お前みたいなチビじゃ大した支えにならん。そこの審判役、後は片しといてくれ」
「いいってネロと帰るから……ってこら! 降ろせってば!」
レオナルドはロディネの断りを無視し、肩に担ぎ上げてそのまま歩き出した。あちゃあという顔をしたコルノは「分かりました」と礼をし、ネロが怒りの形相で追い掛けてくる。
「離せよ! 先生嫌がってるだろ!!」
サイレンのようにけたたましく鳴くつばめに、ご機嫌そうに目を細めて尻尾を揺らす獅子、怒鳴りながらついてくるネロに歯を剥き出しで毛を逆立てて吠えるわんこ……お前そんな顔出来るんだな。今なら狼っぽいと言えなくもない。
しかし何なんだこの
ロディネはレオナルドの肩で脇腹の痛みに耐えながら、どうしたもんかとぐったりしていた。
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