第5話 異界のわんこ

 

「へー……上手いな!」

「先生の絵と比べたら……正直誰でも上手いと思う」

「失礼な……俺は確かに絵が下手だけど、一般的に見たらおそらくそこまで言われる程下手じゃないぞ?」

「えー……嘘だ」

「失礼な」


 番人は感覚が鋭いからか芸術方面にとても強く、著名な芸術家や音楽家にも番人は多い。そもそもの基礎能力が違うのだ。

 

 ネロが塔に来て1ヶ月。

 回復食から普通の食事になり、毎日昼に一度寝ていたのだが、ようやく昼寝をせずに1日過ごせるようになった。まだまだ痩せぎすではあるが、ここの食事が美味しいのもあってか段々食べられる量が増えてきている。盾の構築も修復も導きにもだいぶ慣れてきたので、もう少し体力が回復したら職員との接触から増やして、訓練を受けている他の番人や導き手と接触して訓練して……という風に進めていけたらなと思っている。

 それより何より想定以上だったのがネロが思っていたよりかなり勉強が出来ることだった。

 

「おお……全問正解だ。賢いなぁ」

「馬鹿にしすぎだよ……」

 

 ネロにやってもらった学力試験の採点が終わったロディネは、素直に感心した。その隣でネロは、こちらに目線も向けずに絵を描いている。いやいや「出来るけど好きじゃない」なんて言葉は出来ない奴の常套句としたもんだろうよ。

 

 何故ネロが絵を描いているかというと、ネロが塔に来た次の日から犬について図鑑で調べていたのだが、何冊見てもそれらしき犬がいなかった。ぱっと見た感じの印象と、わんわん吠えていたから犬だと思い込んでいたけど、もしかして犬じゃないのかと。その可能性も加味して普通の動物図鑑をネロと2人で見てみたけど、やっぱり分からない。

 けれどやっぱりどう考えても犬が一番近いよなという意見は一致した。なので絵に描いて研究課の人達に聞いてみようということでロディネが暫定わんこの絵を描いていたのだが。


「えぇ……? めちゃくちゃ下手……」


 それを見たネロにドン引きされ、絵を見たわんこに吠えられるという始末。ネロは盛大に溜息をついたあと、「先生が採点してる間に俺が描く」とわんこの絵を描いてくれているのだ。正直とても上手い。これなら犬種を知っている人が見たら何かはすぐ分かるだろう。

 

「よし、こっちも描けたよ先生」

「おーありがとな! じゃあ俺は報告して研究課に寄ってくるからゆっくりしててくれ。おやつは持って来てくれる予定だけど、受け取れるか?」

「大丈夫だってば」

 

 まあよく来てくれている医官と調理師と事務官には確かに少しは慣れたもんな。じゃあよろしく、行ってきますとロディネはネロの頭を撫でて部屋を出た。

 

「お疲れ様でーす」

「ロディネさんお疲れ様です!」

 

 挨拶しながら教務課の執務室に入ると、訓練や授業をしている時間帯だからか職員の在席はまばらだ。今在席している管制官から次々とお疲れ様ですと声が掛かるのに対して「お疲れ」と返事をしながら、奥にいる課長の元へまっすぐ向かう。

 

「失礼します。今お時間よろしいですか?」

「ああ、ロディネお疲れ。ネロくんの学力診断テスト終わったんだね。どうだい?」

 

 書類をチェックする手を止め、書類を横に置いた課長に先ほど採点したばかりの答案用紙を差し出した。課長はさっと目を通して首を傾げる。

 

「……全問正解。あれ? 勉強は苦手そうだと言ってなかったかね」

「出来るけど、好きではないんだそうです」

「……その台詞通りで本当に出来る子ってまた、珍しいね」

「ですよね。私も勉強が苦手なのかと思ってました。でも本当に好きではないようですよ」

 

 もったいないなあと課長は深くもたれ掛かり、椅子の背がぎぃと軋んだ。

 

「まあでもネロくんは番人としての能力が相当高そうだから、公安の方にいけるようになってくれたらいいし、苦手なら無理はしなくてもいいと思うけどね。いずれにせよ孤児院に入所していたのなら、番人とか関係なく、優秀で意欲がない限りこれ以上の学習はしないわけだし」

 

 それはそうなんだけれど。塔なら学ぼうと思えばもっと学べるわけだし。本人があまりに嫌がったりストレスになるのでなければ勉強もさせてやりたいとロディネは思う。番人も導き手も、自分の身や神経を磨り減らす能力だ。いつまでも能力を活かせるとは限らない。何かあったときのために、身につけられることは出来るだけ身につけておいた方がいい。

 

「まあいずれにせよ、能力の確認が済んでからの話だし、その上で、本人次第だよ。国の意向はともかく、我々が今ここで決めることでもないかな。建前上」

「……そうですね。取り敢えず学力はあるので、しばらく私と一対一で勉強したり能力の使い方を学んでもらって、来月くらいから徐々に他の番人や導き手とも一緒に行動してもらって……順調にいって再来月くらいに寮に移れたらいいなと考えていますが」

「体調や状態に急変がなければそれで構わない。基本的にはロディネに任すよ」

「ありがとうございます。では今日はちょっと研究課に用があるのでこれで」

 

 軽く手を上げて書類にまた意識を戻す課長に礼をし、ロディネは執務室を後にする。

 塔は各部毎が塔の形になっていて、管理運営部の塔を間に挟んで東に管理制御部、西に研究開発部があり、何階か毎に渡り廊下で繋がっている。何故この配置かというと、徹夜のあとに朝日を浴びると体調を崩す番人の研究官が多いかららしい。吸血鬼か。

 寝ろよと言いたいところだが、そんな彼らの研究と努力、たゆまぬ情熱と狂気によって産み出されたものが、多くの番人を救っているので、好きでやってるのなら体を壊さない程度に頑張って欲しいとも思う。

 長い渡り廊下を歩いて研究塔に向かうと、管理制御部や事務方の管理運営部の整然とした感じとは異なり、相変わらずごちゃごちゃしている。本に、道具なのかゴミなのか何だかよく分からないものが廊下を侵食していて、踏んだり崩したりしないようにしながら進んで、ようやく研究課に辿り着いた。

 

「お疲れ様でーす。ちょっと動物に詳しい方、落ち人の方に見て欲しいのがあるんですけど」

 

 研究課はノックをしても集中し過ぎて誰も気づかないか、誰が応対するかの押し付けあいになって、なかなか返事もないし、応対も出てこない。ロディネは経験則からそのまま挨拶をしながら扉を開けて声を掛けた。

 

柴犬シバイヌという犬っすね。黒柴っす」

 

 わらわらと寄ってきた研究官達にネロの描いた絵を見せると、金髪の落ち人の研究官がそう即答した。ネロの犬は、金髪の落ち人研究官の世界にある島国の犬で、この研究官の出身は別の国だが、それなりに愛好家がいるそうだ。

 

「俺の世界では現存している犬種の中で1番狼に近い犬だって聞いたことがありますよ」

「嘘でしょう。この犬……であってるよね? この犬が?」

 

 ロディネの心を代弁したかのように、別の世界出身の研究官が訝しむ。分かる。こんな眉毛のある愛嬌重視みたいな見た目で狼て。

 

「元々猟犬や番犬として飼われる犬だし、飼い主に忠実で……あと頑固だって聞いたことあります。ていうかその国原産の犬って基本飼い主に忠実で人見知りが多いらしいし、人自体もそんな国民性だからじゃないすかねー」

「じゃあやっぱりネロは落ち人に関係はしてるんだな。同じ世界の君の国は違うのか?」

「俺の国はデカいですし、その島国とは違って人類の坩堝って言われるような国だからオープンマインド個性重視。ぶっ飛んだ天才もぶっ飛んだ馬鹿も網羅して選り取りみどりすねー」

「貴方見てたらそうなんだろうなって納得するわ」

 

 少し話が脱線し始めた。ロディネは正直、研究官はみんな似たり寄ったりだよと思いながら、会話に巻き込まれないうちに「教えてくれてありがとう」と礼を言った。

 

「どういたしましてー」

「ネロ君も慣れたらここにも連れて来てくださいね!」

 

 ぶんぶんと首を振って拒否していた姿を思い浮かべ、「慣れたらね」と曖昧に答えて手を振り、研究課を後にする。

 なお、判明した事実をロディネが帰ってネロに伝えたところ――

 

「狼!? 嘘だあ!」

 

 ネロはそう叫び、その隣でわんこはショックを受けたようにぷるぷるしながら小さく不満げに唸っていた。

 

 

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