第2話 塔

 

 

「どうだ? 臭ったり目がちかちかしたりとかしないか?」

「大丈夫……」

 

 手配されたコテージにやって来たネロは、広くて綺麗な部屋だと驚いてキョロキョロしている。

 コテージは漆喰で塗られた完全防音の建物で、中にある家具なども全て木や石などの自然素材で出来ている。色合いも真っ白ではない白と茶色や緑で構成されていて目に優しい設計となっている。

 番人センチネルの中でも五感が鋭すぎる子はこういう刺激の少ない場所で過ごし、制御が出来るようになったら少しずつ他の子と同じような生活にしていく。

 

 いっぺんにあれこれ言っても訳が分からなくなってしまうだろうから、今日のところは簡単な質問と説明をさせてもらって、おいおい勉強がてら詳しく……と言うと。

 

「べんきょう……」

 

 目に見えてネロと子犬はしおしおとなる。笑いそうになるのを堪えて勉強が嫌いかと尋ねた。

 

「出来るけど好きじゃない……」

「まあ人には得意と不得意があるからな。でもさ、自分の事は知っておきたくないか? さっきも聞いたように何で人に見えないものが見えるのか、こんなに臭いのになんでみんな分かんないんだとか思った事ないか?」

「――! ある! いつもそう思ってた!!」

 

 勢いよく身を乗り出して手を挙げるネロ。さっきまでしょんぼり寝気味だった子犬の耳も、ピンと立って武者震いのようにぷるぷる震えながら尻尾を振っている。

 にしたって……、ね。

 後で事務方に資料を読ませてもらって明日以降ネロから少しずつ聞き取っていくか。でも今日は最低限の話をして飯と風呂だ。

 

「ネロみたいな色んな感覚が鋭い人の事を番人センチネルって言うんだけど、ここは番人が鋭すぎる感覚に振り回されないように訓練するところなんだ」

「お、俺……孤児院でみんなに言われてた通り……やっぱり変なの?」

「ううん、違う。人より感覚が鋭いだけ。孤児院にもさ、運動や勉強が得意な子もいれば苦手な子、おしゃべりな子、静かな子っていう風に色んな子がいて、みんなそれぞれ違ってただろ? それと一緒だよ」

 

 ネロはこくりと頷く。半信半疑の顔だが、話を聞く気はあるようだ。

 

「それと同じでネロは人より感覚……目や耳、鼻や口とか触ることで感じる力が強い。これは1人1人で感じる強さは違うけど、大体この世界の30人に1人くらいはそういう人がいる。孤児院ってどれくらいの人数の子どもがいたんだ?」

「40人……いないくらい?」

「能力に目覚めるのは大体思春期くらいだし人数の割合は30人に1人くらいだから、たまたま孤児院にはネロしかいなかったのかも。100人いたら、あと2人位はいたんじゃないかな」

「そうなんだ。珍しいっていってもちょっとだけなんだ」

「そうそう」

 

 厳密に言うと少し違う。能力が一般人ミュートと変わらないような部分覚醒者パーシャル未覚醒レイタントを含めると実は10人に1人位いる。でも堂々と番人と名乗れるほどの能力がある番人や部分覚醒者の割合となれば、説明したとおり30人に1人くらいだ。そして……ネロのように日常生活に支障を来すほど五感が鋭い子は、滅多にいない。

 

「それで、何でネロにここに来てもらったのかと言うと……その鋭い感覚を自分の意思で使えるようにしてもらう勉強をしてもらうためなんだよ」

「勉強……」

「しおしお萎んでいるところ悪いけどもうちょい聞いててな?」

 

 ここは、一定以上の能力がある番人や導き手ガイドの情報管理・保護・訓練等を行う国営の施設、管理制御塔ーー通称"タワー"と呼ばれるところだ。

 塔は全ての職員が番人もしくは導き手で構成されていて、管制長と呼ばれる役職を頂点としている。ここは塔本部で、各地方にある小規模のものは小塔タレットといい、そこにも職員が配置されている。

 もっと詳しく言うと、能力を使って戦闘や訓練を行う管制官が所属する管理制御部、能力を使って資源などを探したり、番人のための物品を研究開発する研究官が所属する研究開発部、国内の能力者の登録管理、塔及び小塔の予算管理や運営補助、雑務をこなす事務官が所属する管理運営部の3つの部に分かれ、更にそこからさらに様々な課や係に分かれていく。

 ロディネは育成指導や能力が高過ぎる番人の生活補助などを行う教務課所属の管制官なのだが、その辺はまた追々。

 今は番人や導き手の力の使い方を教えてくれる場所だということさえ分かってもらえればいいだろう。

 

「勉強も含めて色んなことをな。ここで力の使い方を学べば、ほぼほぼ普通に生活することもできるし、上手く利用して仕事に生かしたりと自分の武器にすることも出来る」

「……あんたは」

「ん?」

「それで、あんたは何なの」

「俺はな、ネロ達のような感覚の鋭い人の手助けをする導き手ガイドっていう人間で、ここの職員だよ。さっきネロを捕まえた時、耳からじゃなくて直接頭の中というか……体の奥に聞こえるみたいな感じしなかったか?」

「ーーした」

「導き手はああやって番人の精神……心に話しかけたり、能力を調整する力を持ってるんだ」

 

 あとはそうだな……あ、わんこのこと言っとかないと。

 

「あとネロも見えてると思うけど、その隣にいるわんこはネロの魂の形や心身の状態を表す魂獣スピリットアニマルというものだ。そして俺のような導き手にもそれはいる。もうちょっとだけ俺を信用してくれたら多分視えるよ。この辺に」

 

 そう言って俺は左肩の少し下の鎖骨辺りを軽く叩く。ネロは目を細めて示した場所をじいっと見つめ、何かに気づいた。

 

「……黒い、小鳥?」

「おっ、視えた? こいつは俺の魂獣のつばめだよ。よろしくな」


 ロディネは肩からつばめを指に留まらせ、ネロの目の前にすうっと移動させる。つばめはネロの鼻先で、ちゅぴちゅぴと挨拶するように囀った。

 

「……可愛い」

「ふふ、可愛いだろ。魂獣はその人間そのものじゃないけど、その人間を表すものだからな。俺と一緒で可愛い」

「何それ。絶対違うし……そっか、この子も俺にだけ見えるおばけとかじゃないんだ……よかった」

 

 そう言ってネロが安心したような微笑みをわんこに向けると、嬉しそうに尻尾を振っている。それを見たネロがクスクス笑ってわんこの頭を撫でた。

 

 ぐー……

 

 よしよし気持ちが解れたなと一安心したところで、ネロのお腹が盛大に鳴った。ネロの顔は赤くなり、わんこは伏せて前足で顔を隠している。全然隠れていないけど。

 

「飯が出来たらここに持ってきてくれるからさ、もうちょっと待……いやそれまでに風呂に入ろうか。んで飯食って済んだら今日はもう寝た方がいいな」

「お、俺……風呂、臭かったり熱かったりで入れない……」

「あー……なるほど。ちょっと来てくれるか?」

 

 ロディネはちょいちょいとネロを手招きし、風呂場に入り風呂桶に掬ったお湯を目の前に差し出した。

 

「どうだ? 臭うか?」

「――! 臭くない!!」

「よしよし。じゃあ触ってみ?」

 

 そう促すと、ネロはおっかなびっくりしながら桶の中のお湯に触れて驚いて手をお湯から出す。だが何かに気付いて今度は躊躇せずに、もう一度お湯の中に手を入れた。

 

「あ、熱くない……!? 何で!?」

「ふっふーん。匂いの方は単にここの施設が出来るだけ臭わないよう水を処理してるからだけど、さっき言ったように、感覚が鋭すぎる人の能力を調整するのが俺の能力。凄いだろー?」

「すごい!! ……俺……もうずっと何食べても美味しくなくて、うるさかったり臭かったりで眠ることもあんまり出来なくって……」

 

 ネロもわんこも最初は喜んで興奮していたが、段々しょんぼりと俯いてしまった。ロディネは今までよく頑張ったなと、その頭をわざとぐしゃぐしゃと撫でた。

 

「これから君が大きくなってその力に振り回されないようになるまで、俺は先生兼相棒の導き手として多分これから、一緒に生活していくことになると思うんだ。よろしくな」

「うん……っ……」

「よし! じゃあ風呂入ろう。久しぶりだろ? めちゃくちゃさっぱりして気持ちいいぞ。服は1人で脱げるかー?」

「ば、馬鹿にすんな! 1人で脱げるよ!!」

「ふふ、じゃあ脱げ脱げ! 体力がついたら1人で入ってもらうけど、今のネロの体はとても疲れてるから、しばらくは俺が手伝うから入りたいときは言ってくれな? 風呂で気が緩んで、転んだり溺れたりっていうのはよくある話だから」

「……分かった」

 

 頷いてもそもそと服を脱いだネロの体には、肋が浮いていて、最初に見た時と抱き上げた時の印象と全く変わらない痩せこけたものだった。

 貧民街スラムで見つかった子ならともかく、ちゃんと孤児院にいてこんな状態の子は見たことがない。ロディネは思わず怒りで涙が出そうになったが、導き手が不安定になってどうすると、堪えて笑い掛けた。

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