黒柴犬と飛べないつばめ
metta
第1話 少年と丸眉の犬
「次の子はしばらく間が空くって聞いてたんだけど」
「スミマセンスミマセン……!」
食堂でかなり遅めの昼食を摂っていたロディネは、「
「にしたって急すぎだろ。何も聞いてないぞ」
「――孤児院に収容されていた……っ、子ども、とのことっ、なんですが、ちょ……と普段から難しい子扱いされていて、暴走する……まで気づかなかったらしっ……です」
「あー……本当に緊急だったんだな。その孤児院駄目なやつだ」
「は、はい……国が、監査に入るっ、予定……だ、そうです」
「ならいいけどさ。あー……走ってるときに話しかけてごめんな?」
詳細を尋ねながらばたばたと長い廊下を走るが、事務官は散々ロディネを探して走り回った後だったせいか、もう体力がなく、喋る余裕があまりないようだ。悪いことをした。これ以上事務官に喋らせるのも可哀想だとロディネは口を噤んだ。
(……なるほど)
案内された部屋に入れば、即座に鋭い敵意の眼差しがロディネに向いた。敵意の元は小さな少年だ。どうやら既に一暴れしていたようで、暴走する兆候が見え始めている。
少年の魂を表す
「誰だっ!! く……来るなよっ!!」
(うぅっ……近くで見ると物凄くガリガリだ……)
観れば少年の目の下に薄くはない隈があって、大きめの黒目だけが爛々としている。黒髪もパサパサで、肌にも子どもらしい張り艶がない。
ともかく早く落ち着かせてやろうと、ロディネがじりじり近付くと、同じだけじりじり後退りしていく少年。でも残念ながら、後ろは壁だ。ロディネは追い詰められた少年に、努めて優しく声を掛けた。
「初めまして。俺は君に酷いことをしたりはしないからさ、少しだけ落ち着いて話を聞いてくれないかな?」
「――嫌だ! 久しぶりにゆっくり眠れたと思ったのにっ……! 何処だよここ!!」
(……この状態で眠った……? )
少年がどんな暴走の仕方をしたかは知らないが、まさか野生化したり
「それも含めてきちんと君に説明したいからさ、ちょーっと落ち着いて俺の話を聞いてもらえないかな?」
もう一度声を掛けるが、少年は部屋の角でぐるると唸り始め、瞳から理性の色が消えていく。
(不味い、何とか気を引きそうな事を言わないと)
「――"視えるのに、五月蠅いのに”」
「――……!?」
「"臭いのに、痛いのに、どうしてみんな分かってくれないんだろう”……そんな風に思ったこと、あるんじゃないか?」
「――……!!」
――――今だ!
ロディネは語り掛けに反応した少年に飛び掛かり、捕まえた。そしてそのまま抱き寄せ、隙が出来た瞬間の少年の心に侵入していく。
侵入はすんなり成功し、何もない空間の中に敵意と怯えを孕んだ表情の少年の姿が視え、その少年を先程と同じように捕まえる。
(なっ……! 何するんだ! )
(大丈夫、大丈夫だ。君の鋭すぎる感覚をちょこっと落ち着かせるだけだからな? )
(いやだ……! なになになになに!? 怖い!!)
(ごめんよ。大丈夫だから、ちょっとだけ我慢してくれな? いっ……たたた、暴れんな)
それでも不完全ながら
ふうっと息を吐いて顔を上げると、2人だけだった空間から元の部屋に視界が戻る。腕の中の少年は完全に混乱して動きを止め、その周りをよたよたしながら歩き回る黒い子犬が視えた。少年の心の動揺を表しているのか、落ち着きなく彷徨っては、ふすふすとあちこちの匂いを嗅ぐ仕草をしている。
何の犬種だろうか。こっち向かないかなとじっと見つめていると、何かを感じ取ったらしい子犬が、顔を上げてロディネの方を向く。
「…………何コレ?」
「あぁよかった見えるんですね……流石です! 私達程度の
よかったよかったと喜ぶ事務官や他の導き手達の言葉は申し訳ないが、ロディネの耳を素通りしていた。
うん視える、視えるよ。魂獣はその人の状態を表すものだ。自分を守ろうと無理矢理盾を張っていたから、よく視えなかったんだろう。
「ちっさ……」
「――……!!」
腕の中で何となく気色ばむ感じがするのは置いておいて。今ロディネが小さいと言ったのは、少年の事ではなく犬の方だ。
少年の魂や精神状態を表す魂獣が小さいのは、少年がまだ小さい子どもだから当然だ。子犬は少年の髪色と目と同じ、ちょっと艶がなくなった漆黒の毛並み、本来なら
それはいい。そこまではいいけどさ。全く見たことない犬種だってのもまあいいだろう。可愛いし。けど耳はやたら小さいし、そもそも何で眉毛があるの、このわんこ。しかもまん丸の眉毛。あっ吠えてる。めっちゃ吠えてる。でも凄くぷるぷるしてる。
「……あぁ……小さいこと、気にしてんのか。ごめんな」
「うるさ――!」
あ、噛んだ。
腕の中の少年が顔を真っ赤にして黙り込む。
(ぅきゃん……! )
あ、わんこの方も転んだ。
何だろう、凄く和むな。
「ふっ……ふふ……可愛いなあ。もう大丈夫だ。五月蠅いのとか臭いのとか、多分マシになってると思うんだけど、どうだ?」
鼻をちょん、と抑えると少年は訝しげにしてひと睨みした後、変化に気付いたようで目を見開いて鼻や耳をぺちぺちと触り、その周りを興奮したように、ぐるぐる走り回った子犬が滑ってまた転んだ。どうやら過敏になり過ぎていた感覚は落ち着いたようだ。
「――君、名前は? 俺はロディネ。ロディって呼ばれてる」
「…………………ネロ」
……
「……そっかネロか。教えてくれてありがとな。……よっし落ち着いたんならさっさと行くか!」
ロディネは少年改めネロを抱っこしたまま立ち上がった。ネロは急に視界が高くなったからか驚いて暴れ出し、興奮した子犬もロディネの周りをぐるぐると回り出す。
「うわぁぁぁ! 何するんだ!!」
「はいはい。今から部屋に行ってちゃんと説明するから取り敢えず今は大人しくしろ。危ないぞ落っこちるぞー。寮の部屋じゃなくてコテージ型の部屋の用意は済んでるか?」
「は、はい! もちろんです」
ロディネは暴れて収まりの悪くなったネロを抱き直し、ずっと状況を見守っていた事務官や導き手達に確認と指示を行った。すると慌てた事務官が差し出してきたので鍵を受け取り、部屋の番号を聞き取る。
「じゃあ俺はこのままネロを部屋に連れて行くから、ここにいる面々は手分けして食堂に食事を……センチネル用の回復食でお腹に優しいやつを、と食堂に頼んでくれ。それと荷物を取りに行くのは明日以降にするけど、俺の部屋にあるものは念のため消毒と脱臭作業を頼む。あとは……そうだな。今日はこのまま一緒の部屋で寝てもいいよう新品の寝間着の用意も頼むな」
「分かりました」
「おーろーせーよー!!」
「はいはい、部屋に着いたらなー」
往生際悪く、それでも控えめにじたばたしているネロ。
こんなに小さい番人の担当になれば、年単位のバタバタになるなと、ロディネはこの時、少しだけわくわくしていた。
実際は様々なことが起こったりして、年単位どころではない年月を付き合っていくことになるのだが、出会った当初、そんなことは露程にも思っていなかったのである。
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