第二十一話 真意
マリアの初めての任務は、同時期に訓練を終えた、マリアを含む四人の新人研修を兼ねた比較的簡単な案件が選ばれた。
依頼主は、とある田舎の村の教会であった。村で発生した事件の解明が任務で、一週間の間に、信心深い村人三人が何者かに襲撃されて死亡していた。
その教会の神父としては、敬虔な信者に対して、誠実な態度を取る必要もあったのだろう。事件を上手く解決出来れば、さらなる信仰を集めることも可能である――とこの神父は考えたようだ。
とは言え、その時点までで、遺体の損壊具合や傷痕から、何処かから来たオオカミあるいはそれに準ずる大型の獣であろう――との推定がされており、さらにベテラン二人が同行し、新人二人で一組の班に一人ずつが付き添って、彼らの指導を担当することになっていた。
内容としては、ハンターを生業にする人が付近の山々を探索すれば解決するような事件であり、乱暴に言えば、新人でも何とかなる、どうと言うこともない案件のはずであった。
ところが――。
様々な事件――例え、相手が怪物であろうとも――に慣れているはずのベテランの指導員が状況判断を幾度も誤り、その結果、初の実地研修は惨憺たる有り様となった。
彼らは山狩りを行い、大型の獣が潜み易そうな洞穴を発見した。縦横二メートルもある洞穴であった。深さは判然としないが、かなり深そうである。
二班が集結し、協議した結果、洞穴を探索することとなった。二班六人の中で、探索に反対を表明したのはマリア一人だけだった。
マリアは、狭い洞穴では多人数のメリットが活きず、相手方に有利であることや、さらに大小様々な石が散乱していて足場が悪いことも、暗い洞穴内では不利になる――と説明したが、主張は受け入れられなかった。
背景にはマリアが、〝
二列縦隊を組み、各々が得物を手に用心深く侵入を試みた。まだ十四歳の小柄な少女のマリアは、隊列の後ろに配された。洞穴への侵入に反対したからか、指導担当者に信用されていないと見える。
「気落ちしないでね」
と、アンナという同じ班になった女性が、マリアにこっそりと声を掛けた。
マリアは驚いた顔をした。これまで、ミケーレ以外でそんなことを言ってきた者はいなかったからである。
だからだろうか。マリアはほんの僅かだったが微笑んだ。マリアの微笑は天使のようで、その顔を見たアンナのほうが、頬を赤らめてしまった。
彼女は慌てて前を向いた。照れを隠すためだった。
二十メートルも進んだ頃、奥に蠢く影が見えた。
暗い洞穴の中で、先頭グループが何者か――と目を凝らした瞬間には、
夜目が利くマリアの目には、
「がはっ……」
吐血し、身体を二、三度痙攣させて、二人は倒れ伏した。即死だった。その後列にいた二人もなす術もないまま、一人は頸部を咬み切られ、もう一人の指導員も顔面に鋭い爪を食い込まされて絶息した。
瞬く間に、四人が死んだ。
「逃げて!! 急いで外に!!」
やはり、狭い所での戦闘は不利――と判断したマリアはそう叫んで、隣にいたアンナの手を取り、後ろにぶん回した。アンナのいたところで、カツン、という乾いた音が響いた。大猿が歯を打ち鳴らした音だった。
済んでのところで命拾いをしたアンナは、出口に向かって走り出したが、恐怖で足がもつれ、何度も転びそうになった。結果的にアンナのそんな様は、大猿の関心を引いた。
狩り易い――弱った獲物と映ったのだ。
大猿はマリアの横を擦り抜け、猛然とアンナを追い掛け出した。
「だめっ……!」
ついにアンナは大猿に追い付かれ、背後から肩口に咬み付かれた。
「は……」
微かな声を漏らして、アンナは倒れ込んだ。大猿はアンナをそのまま押さえ込むようにして、今度は首筋に咬み付いた。肉食獣が獲物を窒息させようとするのと同じだった。
追い付いたマリアが剣を突き入れた。しかし、大猿は飛び出したぎょろ目のせいで視界が広いのか、マリアの接近に気付いて、アンナを放り出して飛び退いた。マリアはアンナの安否が気になったが、大猿と対峙しているこの状況では確認出来なかった。
グルルル……と大猿が威嚇して唸り、突進してきた。小柄なマリアを脅威とは見なさなかったようだ。マリアも剣を振るったが、リーチが違いすぎた。難なく剣を交わした大猿がマリアの両肩を掴み、持ち上げた。肩に刺さる爪の痛みにマリアが顔を歪めた。大猿が勝利を確信し、マリアの首筋に牙を突き立てた。
「かふっ……」
マリアの喉から空気が漏れるような音がした。頸骨が折れそうなほどの力が加わる。マリアは痛みに遠のく意識を何とか繋ぎ止め、渾身の力で下手から剣を猿の下顎に突き刺した。剣は大猿の頭頂部まで達し、大猿はどっ、と抱えたマリアごと倒れ込んだ。
死んで伸し掛かる大猿の下から這い出たマリアは、アンナのところまでにじり寄った。アンナの状態を確認したが、彼女はすでに事切れていた。
マリアはじっと彼女の顔を見詰めていたが、やがて見開いていた目をそっと閉じさせ、乱れて顔に張り付いた髪を整えたところで、今まで張り詰めていた気持ちが途切れ、気を失った――。
「ん……」
次に気が付いた時、マリアは誰かの背中に負ぶさって揺られていた。
「お、気が付いたか」
最も聞き覚えのある声。
マリアを背負っているのはミケーレだった。背負われて、改めて知ったが、ミケーレの背中は大きかった。いつの間にか、雪がちらつき始めていた。マリアを背負うミケーレの背中が、余計に温かく感じられた。
「ミケーレ。どうして、ここに?」
「ん? ああ、うん。何となく、気になってな。心配で来てみた」
理由としては、あやふやな答えだ。それでも、ミケーレは来たのだ。それだけで、マリアは嬉しかった。
「ありがとう」
と、マリアは声に出さずに、口の中で呟いた。ミケーレは首を僅かに後ろに向け、
「何か、言ったか?」
と聞いてきた。きっと、分かっていて、言っているのだ。
「ううん。何にも」
マリアは、ミケーレの背に頬を押し付けて、そう言った。
「そうか。寝てていいぞ。マリア」
「うん」
背負われる揺れが心地良かったのか、それとも疲労からか。やがて、マリアは静かな寝息を立て始めた。
結局、新人研修はマリアを除いて、全員の死亡が確認された。マリアも普通であれば死んでいるほどの重傷を負ったが、その回復は目覚ましく、数日も掛からずに復帰した。並々ならぬ回復力に、マリアには異端の血を引く者との認定が下った。
過去の調査もなされたが、マリアの村は全てが灰燼に帰しており、進捗状況は芳しくなかった。ようやく、村が無くなる前に街へ出ていた者を見つけ、聞き取りが行なわれた。
「ああ、その子のことなら覚えていますよ。確か、母親が十六歳くらいの頃だったかな。森に山菜やキノコを採りに行ったんだそうです。珍しいことじゃありません。とかく貧しい村でしたからね。ところが夜になっても、その娘は帰ってこなかった。行方知れずになったんです。しばらく――半月くらい経った頃に、その娘がふらっと戻って来た。特に変わった様子もなく、普通に暮らしていました。ですが、三月もするとお腹に子供がいることが判った。両親は娘を問い詰めたそうです。ところが娘に聞いても、相手が誰だか分からないと言うんです。覚えていない――と。小さな村です。誰が父親か分からない子を宿した――そんな娘に居場所なんてありません。ですが、幼馴染みの男が嫁に迎えた。ええ、昔から好きだったそうです。それで、産まれた子も自分の子として育てた。それが――」
マリアだ――というのだ。その話を聞いた異端審問会の調査委員は、マリアの回復力や身体能力、その他の事柄も考慮した結果、父親は恐らくは〝吸血鬼〟であろうと判断した。
内密にしていたものの、その調査結果の噂が広まり、やがて教会内でマリアを敬遠する者が増えた。異端を嫌う者たちが集う教会である。それも仕方がない――と言えた。
だが、そのせいか、元よりの性格からか、マリアは一人でいることが多くなった。親しくなれそうだったアンナの死も影響していたかも知れない。
ともかく、この事件を切っ掛けに、マリアは異端審問会での活動において単独行動を好むようになった。
普通ならば、そんなことは許されない。常に命の危険に晒される世界にあって、他者との協力があってこそ生き延びることが出来るのだ。
だが、彼女の飛び抜けた身体能力がそれを可能にした。
ただ、ミケーレだけが、その心情を理解していたようで、マリアを案じていた節がある。彼以外では――教会内の誰も――マリアの真意がどこにあるのか、理解した者はいなかった。
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