第十三話 激闘
だが、いつまでもエリスの身体を吹き飛ばすはずの攻撃はこなかった。恐る恐る目を開けてみると、槍は身体の直前で止まっていた。
自分の前にはマリアがいた。
マリアは自身の左側に突き立てた右手の剣を、添えた左下腕と上腕で支えるようにして、ウィリアムの槍を受け止めていたのだ。
「遅くなりました。エリスさん」
「マリアっ!!」
「よう。おいでなすったな」
ウィリアムは不敵に笑って誤魔化していたが、その実、困惑していた。
自分の豪槍を小柄で華奢なマリアが受け切った。これまで体力勝負では負け知らずだったウィリアムにとって、それは到底、納得出来ることではなかったのだ。自信の拠り所を傷付けられた気分だった。
マリアはエリスを庇いつつ、ウィリアムとトーマス、ランドの双方が視界に入るところまで後退した。マリアは立ち止まったが、エリスにはさらに退がるように手で示した。直接戦闘に向かないエリスが近くにいると、広さを使って存分に戦えないからだ。
十分に距離を取ったところで、エリスから声が掛かった。
「マリア! やっぱり、ランドが犯人よ!」
「承知しています。ところで、ウィリアムさん。それにトーマスさんも」
「ああ? 何だい?」
「何だ?」
「どうしてランドさんの側に付いたのです?
「ま、そんなところだ。魅力的だろ? 〝不老〟に〝不死身〟ってなぁ」
「若返るんだよ。
年配のトーマスの言い方には、壮年のウィリアムよりも切実な響きがあった。そう言うトーマスは、先日よりも明らかに肌に艶があった。薄かった頭髪も前より多い。意外に、見た目や老いを気にしていたのかも知れない。
「あんたを
無造作に近付いてくるウィリアムに相対し、マリアは左手にも静かに剣を抜いた。
「なるほど。つまり、誘惑に負けた――と。不老不死などと言ってますが、所詮は
両の手に持った剣を自然に垂らして、マリアは皮肉を込めて言った。
「何とでも言ってくれ。それだけ、〝永遠の命〟ってなぁ、欲しくなるもんなんだよ」
そう言って、上唇を吊り上げて笑うウィリアムの口元には、
「いつ、誘われたのです?」
「今朝……っつっても、もう昼前だったかな。ランドが部屋に来てな」
「俺もそうだ」
ウィリアムはその時のことを思い出すように、首を微かに傾げながら、トーマスはステッキで帽子を押し上げて、記憶を辿るように言った。そして、ウィリアムは首の凝りを取るように、ごきりと骨を鳴らすと、
「ま、そんなこたぁ、どうでもいいやな。今の俺たちとアンタが敵同士なことにゃ、変わりねえんだからよ」
と、鉄槍を撫して構えた。対峙する距離は二・五メートル。ウィリアムの間合いだった。その少し後ろにトーマス。
マリアはウィリアムらに向かい合いながら、ランドの方を盗み見た。こちらも動向を注意しなければならない相手だ。
ところが、当のランドは壁際に放置されて積み上げられていた木箱から、適当なサイズの物を選んで運び、椅子として座った。
その様子を見たマリアは、今の相手はウィリアムたち二人と断じて、相槌を打った。
「そうですね」
「だろ? さて、始める……か!」
ウィリアムは言うが早いか、マリアの顔を目掛けて、槍を突き入れてきた。僅かに顔をずらし、剣を立ててその胴で受け流してマリアは槍を躱した。ウィリアムは続けて、突きのラッシュを繰り出してきたが、マリアは全て受け流した。
何度目かの突きを剣の胴で受け流したマリアは、そのまま槍に沿って剣を滑らせ、するすると間合いを詰めた。
「むっ!」
ウィリアムが詰め寄るマリアを弾き飛ばそうと槍を横薙ぎに払ったが、すでにマリアは槍の下を掻い潜り、懐まで接近していた。跳び退がるウィリアムに、マリアは左手の剣を逆薙ぎに斬り上げた。ウィリアムの分厚い胸板を朱線が奔った。噴き出す血潮を掌で押さえ、牽制するようにウィリアムは突きを放ち、マリアと距離を取った。
マリアも無理に深追いはしなかった。トーマスがいる。彼もステッキに仕込んでいた剣を抜き放っていた。
踏み込みが浅かった――とマリアは判断した。あれでは、致命傷にはほど遠い。相手は吸血鬼なのだ。
五メートルの距離を挟んで、再び二人とマリアは対峙した。
「血が止まらねえ……。今の俺ぁ、吸血鬼なんだぜ。それなのに治らねえってのか!? 何だ、こいつは……!?」
マリアを睨みつけ、胸の傷を押さえながら、ウィリアムは呟いた。心臓が脈打つ度に血が噴き出す。吸血鬼の治癒能力を以ってしても傷が塞がらないのだ。
その呟きを聞きつけたのか、
「マリアさんは色々な異名で有名ですよ。異端審問会きっての〝吸血鬼殺し〟、〝裏切りの始祖〟に育てられた
と、ランドが声を掛けた。マリアがそちらを、ちらと見た。しかし、何も言わず、ウィリアムに静かに視線を戻した。エリスが驚きの声を上げた。
「マリアが……混血児……!?」
吸血鬼と人との混血児の中には、長じて、この世のものと思えないほどの美しさを備えることがある――と聞いたことがあるのを、エリスは思い出した。
ならば、マリアの美しさも
「なるほど、そういうことか。なら、全力でやらねえとな」
ウィリアムは胸を押さえたまま、槍を片手で構え直した。あの重い鉄槍を片手でだ。吸血鬼となった膂力故か。
「そおらっ! そらそらっ!」
これまで以上に激しい突きの連続。しかし、マリアも能くしたもの。受ける、退がる、
連携するように、トーマスが前に出て来た。ウィリアムの左手側から進出し、左から右へとマリアの胸部辺りを狙い、水平に剣を薙ぎ払ってきた。トーマスも、これでマリアを倒せるとは思っていない。マリアの注意を引くためであった。
マリアも右手の剣を立て、難なく受け止めた。さらに、トーマスが剣を打ち込む。マリアが退がる。今度はウィリアムが前に出る。トーマスも続く。
二人の攻撃を捌き続けるマリアだったが、トーマスの一撃を受けたマリアに向けて、ウィリアムは血を止めようと胸を押さえていた掌を離した。圧迫されていた血が行き場を求めて一気に噴き出す。その血は、トーマスの一撃を捌き、ちょうどウィリアムとの間合いを詰めようとしていたマリアの顔を襲った。
咄嗟に片腕で顔を庇ったものの、ほんの僅かな一瞬、マリアの動きを封じる間が生じたのである。
その機を狙っていたウィリアムが見逃すはずがなく、近付いていたマリアの胴を鉄槍が襲い、小柄なマリアを軽々と吹き飛ばした。山積みにされていた木箱を薙ぎ払い、一つの建物の周囲を囲っていた鉄柵に激突した。
ガシャーンッ、と鉄柵が大きな音を立て、勢いのあまり柵を固定していた何本かのボルトが弾け飛んだか、鉄柵は大きく傾いだ。
もうもうと土煙が巻き起こり、付近を覆い隠す。
「へっ、やったぜ」
ウィリアムが会心の微笑を浮かべ、トーマスにそう宣ったが、その顔には同時に疲労も張り付いていた。まだ、胸の傷からの出血が止まらないせいか。
吸血鬼と言えど、これ以上の失血は避けたいところだった。
「案外とあっさり片付きましたね」
さも意外といった面持ちでランドが言った。こちらは得心が行きかねるようだ。様々な異名を馳せるマリアの実力がこの程度とは、とても思えなかったからである。
「マリア!」
鉄槍で胴を打たれ、鉄柵を薙ぎ倒す勢いで激突したマリアを案じてエリスが叫んだ。あんな槍で殴られれば、内臓破裂を引き起こして、迎えるは死あるのみだ。
だが、その声は返ってウィリアムの注意を惹き、自分に向かわせる結果となった。この先のことを思い浮かべて、トーマスはにやにやと口元を歪ませていた。
「ウィリアム……あんた」
「……悪いな。次はお前だ、エリス。丁度いい。今、
そう言った口元には乱杭歯が覗いていた。
ガンッ――!
ガンッ――!
ガガンッ――!
鉄を断ち切るような音が何度も響き、四人が不思議そうにそちらを向いた。そちらとは、先ほどマリアが鉄柵にぶつかった辺りだった。
まだ土煙が舞っており、辺りの視界を覆い隠している付近から、ごおっ、と風を巻き起こし、上空へと飛ぶものがあった。それも複数で、一つ、また一つと唸りを上げて高い夜空へ向かって飛んでいく。都合、十を超える数であった。
「うん?」
「何だ?」
「何か、飛んで行きましたね」
しかし、夜であることと、付近には河向かいのガス燈の灯りしか光源がないことから、誰もがすぐに見失った。
それでも皆が不思議に見入っていると、ようやく治まってきた土煙の中からマリアが姿を現した。つなぎと上着のコートも埃に塗れていたが、不思議と顔に汚れはなく、その美しさは何ら変わることはなかった。
先ほどまで両手に持っていた剣は今は右手だけで、マリアは左の小脇に何かを抱えていた。それは鉄柵をぶった斬ったもので、竹槍の如く、先が尖るように斜めに斬ってあった。
「マリア!」
「お前……!」
「……しぶといな」
「ほう。やっぱり生きていましたか。ええ、そうでしょうとも。あれぐらいでくたばるような玉じゃありませんものねえ」
エリスの声は安堵と歓喜に溢れ、致命傷になるはずの一撃を与えたウィリアムとトーマスは信じられないという声を、そしてランドは当然だろうというそれぞれの感想を漏らした。
当のマリアは黙したまま、剣を持った右手で起用に簡易の槍をウィリアムに向けて投げつけた。一メートルを超えるそれは唸りを上げてウィリアムを襲った。
しかし、正面から投げられたそれを、ウィリアムは簡単に弾き飛ばした。
「へっ、こんな……!?」
攻撃なんて何でもない――と言う前に、すでに二撃目が迫っており、鉄槍を返す暇もなく、ウィリアムは斜め後方に後退しながら躱すしかなかった。
「くそっ……!」
だが、二歩後退したところで、三撃目が襲い、ウィリアムはすんでのところで身体を反らして何とか躱した。ところが、
「何いっ!?」
ウィリアムは驚愕に眼を見開いた。踏ん張った右足の太腿に、
マリアが手にした次の一本の槍を投げようとしているのを視界の隅に捉えたウィリアムは、何としても避けようと無理矢理に足を引き寄せた。みちり、と肉が裂ける音がしたが、構ってなどいられない。
「くっ!!」
間、一髪でマリアの投擲した槍を躱した。だが、それ以上は退がれなかった。背中に何か、硬い物が当たる感触があった。ウィリアムの背後を封じたのは、いつの間にか落ちてきて地面に突き刺さっていた鉄槍だった。
「何いーっ!!」
驚くウィリアムに上空から別の槍が落ちてきて、今度はその左肩を貫いた。逃げ遅れた左足の甲にも別の槍が突き刺さる。さらに左の太腿にも別の槍が突き刺さった。
攻撃を避けて動く軌道を、マリアは読んでいたのか。
その後も、後退出来ていれば通ったであろうコースに、次々と槍が落ちてきて地面に突き刺さった。
「ぐほっ……」
ぼっ、と鈍い音がした。見れば腹部を槍が貫通していた。マリアが投げた最後の槍だった。ウィリアムは自分の鉄槍を取り落とし、腹部から生えた槍に震える右手を掛けた。抜こうとしたが、もはや力が入らなかった。
「く……そ……」
愚痴をこぼしたウィリアムが視線を上げれば、目の前にマリアが立っていた。両手には剣。
「ま、待て……! 待ってくれ!」
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