第二十三話 妥協案
「なあ、ジル・ド・レエ。物は相談なんだが……」
と対峙したミケーレが、血塗れの黒騎士に話し掛けた。
「もう、止めにしないか?」
「今さら、何を言う」
「ミケーレ!?」
マリアが驚いたように聞き返した。
ジル・ド・レエは怒気を含ませながらも、それがどんな意図からの言葉なのか――と問う響きがその声にはあった。
この局面での、この提案。
黒騎士ジル・ド・レエにして、興味がそそられたのだ。
「〝怪物〟が望んでた通りの力かは知らんが、奴は力を得たんだろ。望みが叶ったんだ。それで姿を消した。さっきのは、奴の〝影〟だったぜ。奴はお前さんの望みを叶える気なんてないのさ。〝怪物〟は一人の娘に眼をつけた。奴ぁ、その娘にご執心だ。お前さんのことなんて、もう、知ったこっちゃないんだ」
「何だと……?」
「分からんか? 力は手に入れた。気に入った娘も見つけた。後は好きにするだけさ。お前さんだって、分かってるんだろ?」
「……」
沈黙が、ジル・ド・レエの心中を物語っていた。
「お前さんがジャンヌを復活させたいのは知ってる。だから――お前さんが何処かで、ひっそりと、こっそりと、勝手に望みを叶えようとする分にゃ、見逃してもいいぜ?」
「馬鹿な! この俺を教会が放っておくなどと……」
「もちろん、以後は、人と係わらんことが条件だ。こっちとしても、さっき、お前さんが殺した隊員については目を瞑る。ま、彼らもいきなり介入してきたんだ。お互い様……ってとこだ。それでどうだ? マリア」
ミケーレはあくまで、ジル・ド・レエからは視線を離さず、そうマリアに確認を取った。
「まったく、勝手にそんな約束して……。でも、まあ……。それなら考えなくもないわね」
肩を竦めるように、大きく息を吐いて、マリアは頷いた。これ以上、争うのも不毛だ。ここで手を打つのもありだろう。
ところが、
「何を勝手なことを言っている。見逃すなど出来るか!」
と、パオロが文句を言いながら、大股で近づいてきた。
「そんな約束など、認めんぞ!」
鼻息を荒くし、語気も強く、そう言い放つパオロを、面倒臭そうな眼でミケーレは見やった。マリアも、また始まった――と言わんばかりに、夜空を仰ぎ見た。彼を説得するのが、煩わしい。
が、珍しくその役目を、ミケーレが引き受ける気らしく、
「おいおい。ここらで手を打っといたほうがいいぜ。あいつを葬るにゃ、これ以上の被害が出るぞ?」
と、パオロに話を振った。
「そんなことは覚悟の上だ。そいつはここで滅ぼす」
「お前さんが自分でやる――ってんなら、文句はないんだがな。実際、戦うのは彼らなんだろう?」
「むっ? それがどうした!」
「戦わずに済むかも知れんってのに、彼らにそれを強要するのか? 彼らだって、無駄に死にたくなかろうさ。まったく、酷い上司もあったもんだ」
「なっ……!?」
パオロは周りの隊員たちを見た。彼らは互いに顔を見合わせている。ジル・ド・レエによって、瞬く間に四人が殺された。武勇の誉れ高い黒騎士を倒すまでに、あと何人が死傷するだろうか。ミケーレの言う通りに戦わずに済むというのなら、彼らとしても、是非ともそうしたい。
そんな隊員たちを見て、パオロも戸惑いを隠せなかった。このままでは、自分一人が非道な悪者扱いだ。今後の出世に関わるそんな風評など、彼にしても御免である。
「むう……」
「お前さんの裁量次第だな。ここを上手く収めたら、男が上がるぜ?」
「何っ?」
マリアを眺めながらそう告げるミケーレの言葉に、パオロがマリアを見た。マリアはことの成り行きを黙って見ていた。それがパオロには、マリアが期待して見ている――ように思えたらしい。
「ぐむぅ……。……分かった。認めよう」
ミケーレの話術にすっかり嵌ったパオロは不承不承、頷いた。頷くしかないように、ミケーレが話の方向を持っていったのだが、パオロでは気付かなかったようだ。
「さすがに話が分かる」
指を鳴らし、満面の笑みでそう湛えられたら、悪い気はしない。それが、たとえ嫌っている相手だとしても――だ。パオロは良家の御曹司なせいか、そんな世辞に弱かった。要は、お坊ちゃんなのである。
「ご賢明な判断です。パオロ卿」
マリアも立場上、賞賛の言葉を贈った。意中の女性に褒められたパオロは上機嫌だった。浮かれた口調で、
「ふふ、そんなことは当然だよ。皆を危険な目から、極力守るのも、上司の務めだ」
と、返した。そんなやり取りを苦笑しながら聞いていたミケーレは、これも黙って事態の推移を窺っていたジル・ド・レエに向かって、こう言った。
「――だ、そうだ。許可が出た。これで、お前さんは放免だ。隠棲している限りは、教会も関知しない」
「……。いいのだな?」
「ああ。好きにしていい」
その言葉を聞いて、黒騎士ジル・ド・レエの身体から、ようやく力みが消えた。
実のところ、見た目以上に負傷が重く、先ほどは怒りに任せて暴れたものの、今はジル・ド・レエも立っているだけで精一杯であったのだ。銃傷からの出血も堪えていた。
「礼を言う」
そして、ミケーレとマリアに向かって、静かに頭を下げた。だが、次の瞬間に、
「ぐっ……!」
と、くぐもった声を発し、ジル・ド・レエがよろめいた。
ジル・ド・レエを含め、皆がその胸を見た。場所は心の臓の辺り。そこから、五本の突起が生えていた。血に塗れた鋼の光沢。
そんなものを持っているのは――。
「〝人形使い〟!! 貴様……」
振り向き様に大剣を振るい、背から貫くその腕を斬り飛ばしたジル・ド・レエだが、膝を屈し、地に片膝をついた。
先ほどまでのジル・ド・レエと同様に、〝人形使い〟も倒れた死者たちの中に隠れていたに違いない。そして、ジル・ド・レエや〝怪物〟の隙を辛抱強く、じっと待っていたのだ。
腕を斬られた〝人形使い〟が跳び退って、距離を取る。斬られたはずの腕が宙を舞い、元に戻った。白い仮面の〝人形使い〟は無感情に対峙した。ジル・ド・レエに深手を負わせたことにも無反応だ。
「〝人形使い〟!」
マリアが〝人形使い〟の相手を引き受けた。両手の爪による攻撃を、二刀で巧みに捌く。その隙に、ミケーレはジル・ド・レエに駆け寄った。
然しものジル・ド・レエといえども、吸血鬼である以上は心臓を貫かれれば、堪ったものではない。身体のあちらこちらから、塵のようなものが散っていく。身体を維持することすら出来なくなって、崩壊が始まっているのだ。
「おい」
倒れ込むジル・ド・レエの身体を、ミケーレは支えた。持っていられなくなったのか、ドン、と大剣が重い響きを立てて、手から落ちた。戦斧ごと、左腕がもげ落ちた。冑の陰から、塵が零れ出している。崩壊が加速していた。
「……せっかくの提案だったが……無駄にしてしまったな……」
「そうだな」
ジル・ド・レエが言った。驚くほどに敵意のない、穏やかな声であった。本来の彼は、このような気性なのだろう。
ミケーレは静かに、滅びつつあるジル・ド・レエを見つめていた。息子でも見るような面持ちであった。
「……もっと早く……出会えていれば……な」
「また、違ってたかもな」
途切れ途切れの声が、さらに小さくなっていった。
「ふ……。先に……逝……く……」
「ああ」
ミケーレの返事と同じくして、ジル・ド・レエの甲冑が崩れ落ちた。バラバラに散らばった甲冑の中身はすべて、塵と化していた。甲冑も一気に年を経たように、錆びついて、ボロボロだった。
それが――、五百年を生きた吸血鬼〝黒騎士ジル・ド・レエ〟の最後であった。
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