第4話 正しいガス抜きが必要だね。

水曜日の夜9時、塾を出ると、外は吸い込まれそうなほどに底のない夜の闇が空一面を支配していた。


夏の夜の匂い、それはこれから来る夏休みをワクワクとさせる要素の一つであり、目いっぱい息を吸い込むことで学生のみ許された長期休暇前の高揚感を高ぶらせることが本来はできるのだが、僕にはそれは縁遠い話だった。


今から帰ると、おそらく母さんが夕食を用意して待っているに違いない。

そしてこういうのだ。

”今日の塾の勉強は身になったのか”

父が食卓にいると勉強――中三の僕はこれからくる受験のための勉強――についての詰問がより一層きつくなる。

今日は水曜日、NO残業デーとかいう父の会社の方針で毎週水曜日になると父はいつもより早く帰ってくるが、僕は帰って夕飯を食べながら両親から受験勉強の詰問と説教をされるのが嫌で、塾帰りには近くにあるファミレス『リトルボーイ』に寄って両親とも寝るまで時間を潰すのが習慣となっている。


財布の中を確認すると、810円、ドリンクバーと一品くらいなら注文できるくらいの小銭が入っていてほっと胸を撫でおろした。よし、行くか。


――――


「お客さん、1名でよろしいですね、空いてる席、ご自由に」


黒髪でオールバックの、とても接客には向かなそうな人相の悪い、極獄とネームプレートに記されているその店員はいつも通りけだるそうな態度で迎えてくれた。

個人的にはこれくらい適当な方が、縛られていないフリーダムな雰囲気で非常にありがたい。それぞれが自由に勝手に過ごしても許されるような気がするのだ。


家から、学校から、勉強から逃げ出す場所として、僕はここを大変重宝している。

僕はいつもの窓際の席に座り、教科書と問題集、受験校の過去問を広る。

そしていつも通りドリンクバーとポテトを注文した。席でくつろぐにはこれくらいの軽食とドリンクがちょうどよい。

教科書と問題集が入った重苦しいバッグを脇に置いて早速コーヒーを取りに行く。ドリンクサーバーにカップをセットしてコーヒーを注ぎ、砂糖とミルクを入れ元の席に戻ると、他の客の数が少ないせいか、店員がもうポテトを持ってきていた。

こちらも毎週水曜日に見る店員で、ネームプレートには小早川と記されていた。

「ポテトお持ちいたしました。ごゆっくりどうぞ」


極獄という店員と同様、けだるげな態度を隠す気もなく面倒くさそうにポテトが盛られた皿をテーブルに置いた。

毎週水曜日にきて毎回同じものを注文し、それに対し毎回今日と全く同じ面倒くさそうな態度で彼女はメニューを運び、接客をする。

人と距離を置いていて、誰に媚びるわけでもご機嫌を伺うでもない、どことなく冷めたような彼女の目が、仕草が、話し方が気になり――


「あの、このバイトって、楽しいですか?」


脊髄反射的に思いついた言葉を口にした。毎回接客後はさっさとキッチンに去ってしまう彼女の行動を予期して、焦ってしまったのは仕方ないとしても、挨拶もなしにぶしつけな質問過ぎないかなと自分を責めた。

予想外に僕に話しかけられた彼女は一瞬身体をぴくっと動かし、キッチンに向かおうとした足を止め、こちらを振り返る。振り返った彼女の目はきょとんとして大きく見開かれていた。


「……。ここでバイトしたいの?」


訝しんでいるような視線を感じた。

まるで相手の態度を遠回しに批判しているような受取り方をさせてしまったかもしれないと考えてしまう。取り繕うように僕は笑顔を作る。


「はい、まだ中学生なので高校生になったらいいかなーって」

嘘だ。高校生になってもアルバイトを親に禁止されている僕には縁遠い話だった。目標とする受験校は私立で、自宅から3つほど駅をまたいだ所にある。その学校に通うと、校則的な意味では勿論、距離的な面を鑑みてもここでアルバイトをすることは難しい話なのだ。


「中学生か。まあ暇つぶしにもなるしお金は稼げるし、いいんじゃない?」

僕の作り笑顔に合わせることもなく、彼女はいつもの冷めた口調で淡白な感想を言った。

楽しいかどうかという僕の問いに対する答えにはなっていないが、それでも初めてコミュニケーションを取れたことに僕は少しだけ、嬉しくなった。

ん?嬉しいのか僕は。


「ふーん、中学生ね。ん、この学校に行きたいの?」

彼女は僕がテーブルに広げた過去問を触り、僕の目をじっと見る。


「え、あ、これはまぁ。はい、いえ、適当に偏差値の高い高校の過去問を問題集代わりに買っただけで特に目標校ってわけじゃないです、ハハッ」

しまった。不審者のごとく挙動不審な口調の上に、話した内容も支離滅裂すぎる。


彼女は僕が話している間ずっと、何かを読み取るように静かに、目を閉じて問題集に手を触れていた。さっきの嘘が見抜かれたのかと、神経質な性格が僕を急き立て、間を空けずに言葉をつなぐ。


「あのお忙しいときに話しかけてしまってすいませんでした。」


「こんなんで忙しく見える?」

問題集から手を離し、おどけたように両腕を広げて客がほとんどいないこのファミレスの店内を見回した。

僕は言葉も出ず、苦笑した。


「また暇なときはいつでも話しかけてもらって構わないよ。私は小早川。よろしく、受験生くん」

彼女はそう言ってキッチンの奥へと歩いていった。

僕が名乗る前に去ってしまったが、それは構わなかった。来週の水曜日になればまた会える。その時に名乗ればいい。

ただ一つ、僕の問題集から手を離した一瞬、憐れんだような表情をしたのが、少しだけ心に引っかかった。


――――


――お前はそんな成績で目標校に到達できると思っているのか!三流の高校に進学させるために学費を出すつもりはないからな


――お父さんはあなたに期待しているんだから。しっかり応えなさい。そのために塾に行かせてあげてるんだからね。


″うるさいうるさいうるさいうるちいうるさいうるさいさいうるうるちるさいうるちいいうるさいうるうるううるさちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい″


『♪♪~~』


脳にこだまする雑音を埋めるように、僕は聴いている音楽の音量を上げる。

コンビニの店内で流れる有線の音楽、レジの操作音、店員同士の会話、他の音の全てをシャットアウトし、僕は自分だけの世界に入った。


お菓子売場の棚の前で何を買うかを選ぶ素振りを見せる。

ゆっくり左右を見ると店内にいる二人の店員は両方ともレジでお客さんをさばいていた。

僕は適当に小さいお菓子に手を伸ばし、学生鞄の中に入れた。


――――


「お客さん、1名でよろしいですね、空いてる席、ご自由に」

極獄という店員はいつも通りけだるげに接客してくれた。


「前から思ってたんだけど、君は毎週水曜ウチに来るよね。なんで?」

小早川さんは僕が注文したポテトをテーブルに置き、質問した。


「毎週水曜は塾があって、そのまま帰るのもつまらないからいつもここに寄ってるんです。」

嘘はついていないが親のことを話す気にもなれず、適当にぼかして説明した。

「ふーん、そうなんだ。私は中学生の時、塾なんて行ったこともないしそこまで勉強するのも好きじゃなかったな」

「まあ……。僕もそんな勉強は好きじゃないんですけどね。偏差値の高い高校に行くには必要なことみたいなんですよ」

ため息交じりに僕は答えた。親から強制をされていなかったと思われる発言をした小早川さんを少しだけ羨ましく思った。

「両親が勉強しろってうるさい家庭もあるみたいだしね」

小早川さんは少しだけ悪戯っぽい笑顔を僕に向け、僕が注文したポテトを1つつまんで口に運んだ。

「あっ……。それ職務放棄なんじゃ……。客の注文したものをつまむなんて、店員にあるまじき行為ですね」

苦笑しながら僕もポテトをつまむ。小早川さんは僕が言わずとも大体のことは察しがついているんだろうなと分かった。そのことを嫌味なく触れるところがさすが接客業として働いている人だなと感心もする。

先週、ここで働いてみたいと嘘を吐いたが、本当に働いてみてもいいかなと一瞬思った。


「店長がいないからへーきへーき。大人の言うことをいちいち聞いてたらストレスが溜まって身動きが取れなくなるよ。君もそう思わない?」

小早川さんはまた、どこか思わせぶりな顔を僕に向ける。

試されているのだろうか。

″親(大人)の言いなりでいいのか″ と。


言葉を選ぶために少し考える。

言葉を選ぶ?

それがそもそもおかしい。言葉を選んでまた顔色を伺うのか。

親の次は、彼女の顔色を。

いや、それとこれとは話が別なことくらいわかっている。

親が僕の食費を出し学費を出し生活費を負担する。だから親の意向に従い結果を出すことで子供としての仕事を果たす。

親としての仕事。子供としての仕事。

これは父親の考え方で、この考えは僕もその通りだと考えている。

僕は親に生かしてもらっている身分なのだ。


でも、小早川さんには、顔色を伺うような態度はしたくない気持ちも確かにあった。

「ガス抜きが必要ですね」

そう言ってポテトを1つつまみ、小早川さんに渡し、小早川さんは上機嫌でそれを受取る。

「わかってるじゃん。そうだね。″正しいガス抜き″が必要かもね」


――――


「♪♪~~」

″正しいガス抜き″ねぇ。

ファミレスを出た後、僕は音楽を聴きながら家までの夜の道を歩いていた。

僕のガス抜きを遠回しに揶揄しているように感じる言葉だった。

僕の行為を直接見たわけじゃないから、分かるわけないのに、見透かされていると錯覚させる言い方と感じるのは神経質な僕の性格が災いしているだけなのか。


それとも、彼女は本当に人の心を見透かすエスパーなのか。

フッと、不意に笑みがこぼれた。

もしそうだったら。

それはそれで面白いかもしれない。


「♪♪~~」

帰り道の途中にあるコンビニに寄ると、いつも通り店員の数が2人なのが確認できた。

「♪♪~♪♪~~」

聴いている音楽の音量を上げ、自分の世界に入り込む。

1人は奥の飲料棚で補充を、レジ裏で洗い物をしていた。

僕はお菓子の棚の前に立つ。

「♪♪~~♪♪~~」


適当に小さいお菓子を手に取り、鞄の中に入れようとした時だった。

「♪♪~~♪♪~~″だめだよ、そんなことしちゃ″」


「――ッ!?」


急に誰かに話しかけたことに驚き、手に取ったお菓子を棚に戻した。

周囲を見回したが話しかけられるほど近くに人はいない。

そもそも音楽を聴いているので話し声は聴こえないはず。

というよりは、聴いている音楽のメロディーに話し声が混じっていたように思えた。

そしてその声は、聞き慣れた女性の声だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


水曜日AM勤務シフト

××・××

PM勤務シフト

小早川・極獄

深夜勤務シフト

四木・店長

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