眠れるわけない

「湊いる?」


二十時を過ぎて、居ても立ってもいられず203号室のドアを開けた。


「いるー」と答える湊。その手には数枚のトランプが握られている。

テーブルを挟んで向かい合う潮がどうした蒼い顔をして、とこちらに身体を向けて聞いてくれた。


「紅騎がまだ戻ってなくて。っ門限、もうすぐだから」


「それはやべーな」


顔を上げる湊。寮の門限は事前に申請してない限り二十時半で、破ると部活も謹慎になってしまう。それまで残り十分を切った。今週に入ってから、紅騎の帰りは日に日に遅くなっている。


「今日フツーに十八時半に終わって、居残るとは言ってたけど体育館も押さえ十九時までだし……時間忘れて外周でもしてんのか?」


「でも外 大雨だよ」


湊たちの部屋の窓からも後ろの廊下の窓からも耳を澄ませば微かな雨音が聞こえるくらい雨足が強くなった雨。

湊は間を置いた後、「紅騎は」と口を開いた。



「あ」


「え?」


自分を通り過ぎる二人の視線の先、後ろを振り返ると、頭にタオルを掛けた紅騎がこちらに気付いたところだった。


「あれ、純」


「紅騎!」


ほっと胸を撫で下ろす。「お騒がせ野郎が」と呟いた湊が近付いてきて、ボクが押さえていたドアを上から押さえた。



「おまえさぁ、今日無理すんなって言われたばっかじゃん」



頭上の湊を見上げると珍しく真剣な表情だった。



「別に無理はしてない」


「はい屁理屈ー」


かと思いきややれやれと変な顔を披露している。その湊と目が合って、顔を近付けられる。紅騎が「おい」と声を掛けたら「な? 純」と同意を求めてきた。


「この大雨の中自主練するとか風邪かオバトレ症候群になりにいってるよーなもんだよなぁ?」



「おばとれ?」



「この程度じゃなんねーよ、風邪に関しては風呂直行してるし」


こっち、と腕を引かれて湊たちの部屋から一歩出る。



「純さぁ、紅騎のこと見張っててくんね? 目離した隙に脱走してまた無理しかねないから。

どうせ誰かさんの所為で勉強も捗らねぇだろうし」



「だから——って え? 純、まじで?」


俺の所為で勉強捗ってねぇの、と腕を掴まれたまま覗き込まれ、ボクは湊を見ながらうん、捗ってない。と力強く頷いた。


いつもお調子者でふざけていることが多い湊のこの表情。

紅騎の事を心配しているのが伝わってくる。


だから湊に向けたわかった、任せて。という意味を込めても頷いた。


やっと、ボクも紅騎の役に立てるかもしれない。





紅騎が食堂に行っている間、さっき湊が口にしていたおばとれについて調べた。



「オーバートレーニング症候群……」


確かにこの前の試合以降、紅騎は素人目から見ても頑張り過ぎている気がする。

朝も日が昇る前には起きて朝練に出掛けて、ただでさえスポーツ科は体育の授業数も多いのにその後も時間の限り部活して、日が沈んで部活が終わったら門限ギリギリまで自主練して、スマホでもバスケの動画ばかり観ているし、部屋でも隙あらば筋トレするし……それを紅騎は当たり前のことだと言うけど信じていいのか判らなかった。


でも、さっきの湊の態度を見て違うのだと気付いた。


追い詰められたら、楽しくなくなってしまう。


身体だけじゃない。心も。知らず知らずの内に追い詰めていないだろうか。





戻ってきて程無くして、紅騎はいつものようにおやすみ、とロフトへの階段を上って行った。


いつも明かりは、紅騎が布団に入ってから枕元のリモコンで消している。



今日はその挨拶を合図に自分の枕を持ち出して紅騎の後ろをついて行った。



「え、何」


早くも布団に入り、スマホを手にしている。普段はロフトに上がってこないボクを警戒した紅騎が身体を起こそうとするもそれを制するように素早く隣に寝転んだ。


「えっ? マジで何、どーした?」


何度か紅騎を起こしに覗いた事くらいはあるロフトは、下から見上げて想像するよりずっと広く、それでも布団が敷かれると一気に寝室になる。ボクも今、身体の左半分が布団からはみ出た状態だ。左側を見たら落ちそうな気がして見れない。


「いいから紅騎、さっさと寝よう」


「いやいやいや。純、ここで?」


高所への恐怖心も相俟ってやや早口で指示するも、頭を抱えてないのに頭を抱えた時みたいな声を発した紅騎。仕方がないのでへっぴり腰で頭上からリモコンを探し、強制的に消灯。


「ちょ……ほんと何」


紅騎からの布団のおこぼれを握り、外からの柔い電灯の明かりを感じながら暗闇の中手を伸ばせば届きそうな程近くなった天井を見上げる。


微かに紅騎の柔軟剤の爽やかな良い香りが香ってきて、そんなつもりはないのにこちらの方が安心してしまいそうになる。

こっちが安心してどうする。



「紅騎が、今日はもう後は寝るだけを考えるように、見張ってるんだ。またバスケの動画観始めて早朝にクマ作った顔を見送るのは嫌だからな。さ、スマホ置いて。叩き落とすぞ」


「ばか……」


「馬鹿? ふふ、馬鹿でもいいよ。それで紅騎のクマがなくなるなら安すぎるくらい安い」


良い香りと、触れなくても伝ってくる人の体温の心地良さに、自分の方が先に眠ってしまいそうに瞼が重くなったのを焦って紅騎の方へ横向きに寝返りした。


少し距離を取られた——それなのに掛け布団はボクの方に多く分け与えられている?——気がする紅騎は、「こっち向くな!」と声を荒げた。



だけど、もう、知っている。



もしこれが初対面のその日だったりしたら、冷たく当たられたと勘違いしたかもしれないけれど。


もう、解る。見えなくても。



「……紅騎。ぼく、こうきに言いたいことがあって」



「何だよ、自分の寝床には入んなって?」



「あー……その節は、ごめん……。今はもう別に、紅騎なら……」



「おい、純?」



気持ちの良い空間で、最後に紅騎の聞き取りやすいボクを呼ぶ声がした。






「……眠れるわけねーだろ」


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