4.雨の日

卵焼きと若鶏のデーモン焼き

「純、はよ」


六月下旬、土曜日の朝。

食堂から覗く空は曇天で、今にも雨が降り出しそうで。湿気で半袖から伸びる腕もテーブルに張り付いてしまう。


「おはよう 潮」


窓の外を見上げていたら声がして、右隣の椅子を引く潮が映った。

朝ご飯の乗ったお盆を手に、ボクの左隣に座る紅騎を気にしながら席に着く。


共通点のあるボクたちは互いに視線だけで意思疎通して、僅かに頷き合った。


周囲にはいつもと変わらないざわつきが拡がっているけど、後ろではいつもとは違う神妙な面持ちをした紅騎が箸を置いて「ご馳走様」と手を合わせた。


「紅騎、全然先行っていいからね」


振り返って先に云うと、紅騎がじっとこちらを見る。


「ほら潮も丁度来たし」


追加すると、そこで潮の存在に気付いた様子の紅騎はわかった、と納得して席を立った。



「そっちもか」


紅騎の背中を見送っていると、既に頬袋をいっぱいにした潮が静かに頷いた。



ボクと潮の共通点。それは“バスケ部の相部屋をもっている”ということだ。



「いつもは割と平然として俺関係ねぇし感出してるあいつでも今朝ピリついてたからな。紅騎なら尚の事だろうな」


「昨日も紅騎、早くから朝練して、授業と部活終えても夜遅くまで自主練してたみたいで殆ど話せてなくて。紅騎が話さないから邪念を入れるのも……と思ったんだけど、もっと何かできることがあったらいいのに、思い付かなくて」


今日、紅騎たちバスケ部は大事な試合があるらしい。



「いや、ベストだろ」


潮はそう言って小皿に卵焼きを乗せてくれた。


「え、いいよ、潮のなんだから潮が食べなよ」


「あ? どーせ純のは純が食べないで紅騎にやったんだろ」


よくわかったな。驚きに目を見開き、以前あげたヘアピンをすっかり気に入って身に付けてくれている潮を見る。前髪以外も後ろでギリギリハーフアップにできるくらい伸びている。


「それくらいしかできなかったんだよ。

潮だってこの後部活あるでしょ」


「おまえだって勉強すんだろーが」


「でも潮の方が体動かすからお腹空くよ」


「頭動かすのだって腹減る」


食い下がる潮に最終的には「えぇ……?」と声が出た。


「ありがとう……。じゃ、じゃあ今晩のおかず分けさせて。さっきヒマリさんが今日は若鶏のデーモン焼きだって言ってたから」


「まじかよ。流石ヒマリさん。最高だ」


「純は今食わねーと次の瞬間には折れるくらい細ぇしな。しょうがねぇ、俺のもやるよ」


「うわっ菫」

声と共に紅騎が席を立った左隣から卵焼きが伸びてきて振り向くと、いつの間にか菫がご飯を食べていた。


「そんなに細くないよ」


「俺にもデーモン焼き寄越せよ」


迫る顔。それが目的か。目の前に置かれた同じ卵焼きでも纏う善意の量が大違いだ。菫からの卵焼きは何かドス黒いものを纏っているように見えてきた。


「天野菫。それだと純は折れるぞ」


「そんなに細くないって」


何故か菫をフルネーム呼びする潮がプンプンと怒って見せたがフフンと嘲笑う菫が「折れたら道子くらいは呼んでやるよ」と何故か寮母の道子さんを呼び捨て披露した。


「で、まぁーたおまえはお節介焼いてんのかよ。大事な試合なんてこれまでもこれからも腐るほどあるぞ。純がどうこうしたからって勝敗に影響するわけでもねーし」


同じような立場にある菫の言葉には説得力があって、ボクは身体ごと菫に向いた。


「試合も、応援に行けたらと思ったんだけど誘われてもないのに行くのは邪魔になるかとか考えてしまって」


「紅騎は、純がいつも通り部屋に居るだけで案外力になってるんじゃねーの」


「え」


「ってタケシが言ってた」


「え? 出たなタケシ」


「だから俺の相部屋だって」


菫にしては気の利いたことを言うなと怪しい時、大体最後に登場するのがタケシだ。菫もこう言う通り相部屋らしいのだが、不思議なことに一か月以上が経った今も挨拶したことがない。

すれ違ったりはしているのだろうがお互い認識していないのか、タケシがどの人かを知れないままでいた。


「タケシほど目立つ人間と面識がないのは不思議だが、とりあえず純は今晩、勝利を収めた紅騎にヒマリさんのデーモン焼きで返してもらえるといいな」



「……うん」


やっぱり頬袋に次々詰め込みながらそう言った潮を振り返ったら頭の中には笑顔でデーモン焼きを分けてくれる紅騎が思い浮かんで、うん、ともう一度。

噛み締めるように頷いた。


「そうだね。それが一番嬉しい」





部屋に戻ると丁度紅騎が部活のバッグに荷物を詰め終えた所で、いつもより気合いの込められた、勢いの良いチャックの閉まる音を耳にした。


「卵焼き。ありがとな」


顔を上げた紅騎は笑顔で、でも、ボクの耳にはその前の小さく吐き出した息から聞こえていて。

一瞬言葉に詰まって、喉を鳴らした。


「ううん、全然。


他に、何かできることあるかな」


迷った挙句、訊いてしまった。やっぱり間違いだっただろうか、紅騎が想像していなかった驚いたような表情を見せたから、慌てて言葉を繋ぐ。


「あ、紅騎、もう行く時間だった? ごめん引き留めて——」

「純」


「っ、はい」


部屋履きも脱がず玄関に突っ立ったままのボクを見上げた表情が緩む。


「前にさ、今は純粋にバスケ好きって言ったの憶えてる?」


「うん。

憶えてるよ」


紅騎がバスケを始めた頃は、家の事があって、距離が取れるから、距離を取りたくてやっていたのかもしれないと話してくれた。それでも今は好きだという言葉に安心したのを憶えている。


「あれ嘘」



「……ぇ」


驚きの隙間から零れる声。その先には、小さく笑む紅騎がこちらを窺うように見上げている。


「格好付けたわ。純が褒めてくれるから。本当は、いっつもバスケは、“家に居なくて良い、寮に居るためだけの言い訳” じゃんって自分で思ってる。好きでやってない。


なんだけど」

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