赤い靴下

梅雨。


連日雨が続くから、でなくてもいつも通り大忙しのランドリー。今日のピークを超えて夜も更ける頃、洗濯物を回収しに来たら湊たちの部屋経由で忘れ物を取りに来たらしい紅騎と鉢合わせた。


「話してて今朝靴下片方なかったの思い出したんだよなー。


ぁ、あったあった」


忘れ物カゴの中を覗いて片っぽ取り出したのは、赤い靴下。


「紅騎足も大きいよね」


良かったねと言おうとしたのにそちらの方が気になってしまって口から出た。


「足も? まー純に比べたらな」


笑って、ボクが立ち止まった洗濯乾燥機の向かいに腰を下ろしたからそれに倣ってみる。

目の前にはぐるぐる回るボクの洗濯物。大丈夫かな、バレないかなと心配になって隣を盗み見るも紅騎は膝の上に乗せた赤を見つめていた。


「真っ赤だね」


「勝負靴下だからな」


「勝負靴下……」


それを聞いて声に出したら、少し前から頻りに湊が試合の事を口にしていたのを思い出した。

また近々試合があるのだろうか。訊いて応援しようとしたけど、まだ時期尚早だろうか、逆にプレッシャーになる? なんて考えている内に紅騎の綺麗な瞳がこちらを覗き込んでいることに気が付いた。


「純、自分で洗濯したことなかった?」


綺麗だけど、意地悪な瞳だ。

この前柔軟剤を得るのに付き合ってくれた時は詳しく触れられなかったからもう終わったことかと油断していた。


「あるよ。今もしてるよ」


目を逸らして洗濯乾燥機を指せば笑いを堪えた声で「寮の洗濯機以外で」と追い詰められ、呆気なく観念する。


「ないよ……。


……っ、コンプレックスなんだ、世間知らずなの」


どんどん顔が熱くなっていくのが分かる。情けなくて恥ずかしくて、紅騎に顔を見られまいと膝の上に重ねた腕に突っ伏した。



「可」



か?


何とか聞き取れた一文字。でもその後は続かなくて、何だろうと顔を上げる。


紅騎は、口元どころか顔全体を大きな掌で覆って固まっていた。


「……紅騎?」


「何」


いやこっちの台詞だよ。そう心の中で大きめの声を発したら、長い指の隙間からこちらを睨んできた。

まさか聞こえたのだろうか。

そんなわけないか。


数秒お互いに無言の時間があって、やがて紅騎の手がゆっくり外される。


何で、紅騎の顔が赤いのだろう。


ボクたちはこうして時折、交互に赤くなる時間があるような気がする。


「純さぁ、あれいつ」


「は?」


膝に掛けた自分の腕先を見つめながら発せられた言葉は何一つ理解できないものだった。


「あれだよあれ」


「テスト? 来月だけど」


「ちっげ〜〜よばか! 察しろよばか!」


「紅騎珍しく横暴だよ」


「……び」


「え?」


「誕生日!!!!!!!!!!」


紅騎の叫び声が運良くボクらの他に誰もいなくなったランドリー中に響き渡った。


「誕生日か。八月二十日だよ」


「……っ、あっそ」


あっそって。


「どうしたの急に」


「そーいう、基本情報? 知らねぇなと思って」


腕で口元を隠す紅騎だが、とっくに耳まで赤いのはバレバレだ。

赤の他人でも情報として持っている誕生日くらい、そんなに恥ずかしがらず訊いたらいいのに。


「純ってあんま自分の事話さないじゃん? 別に話したくねぇなら無理には訊かないけど、どーなのかなって思って」


そんなことを気にしてくれていたのか。入学当初から寮にいる紅騎は紅騎なりに寮生として後輩の自分を気遣ってくれていたらしい。


「誕生日が長期休暇中だとダチに忘れられがちじゃね?」


腕を離して、少し楽しそうな横顔。もしかしたらと思って口を開く。


「紅騎も夏休み中なの?」


「俺は冬休み。クリスマスも激近だからあってないようなもんだな」



紅騎、冬生まれなんだ。


ちょっと意外。


でもそれが何だか妙にリアルで、意外だと思うのにすとんと腑に落ちる、不思議な感覚だった。


「純、夏生まれなんだな」


そうしたら紅騎が、たった今思っていたことと同じような、正反対のようなことを言い出したから一人 驚いた。それも真夏、と呟いている。


「この前テレビでこれからの日本は四季じゃなくて長い夏と短い冬の二季になっていくってやってたからほぼ純の季節になるじゃん」


寮のテレビは食堂と、大浴場を出てすぐの湯上がりラウンジ的な所、あとは寮母さんたちの部屋にある。


「ただ生まれたのが夏ってだけだから特別ボクの季節にはならないよ」


「謙遜すんなって」


「でも確かに何十年か後には十月生まれを夏生まれに加えたりしてもおかしくないのかもしれないね」


「な〜」


ボクたちは呑気に未来の話をして、ちょっと笑って。次に紅騎が「兄弟は? いんの?」と訊いてきた。


この先はまた今度部屋ででも話すことにして、今日はもう遅いから先に戻って寝ていていいのに。今日も遅くまで部活で疲れただろうに。

忘れ物を取りに来ただけの筈だった紅騎は、独りでぼーっと乾燥終了するのを待つ筈だったボクに付き合ってこの場に留まってくれている。


「あ、待った。俺が当てる」


開いた口を既の所で手の平をもって制される。わかったと頷くと名探偵紅騎はわざわざ声に出して考え始める。


「第一印象は結構一人っ子っぽいんだよなー。飯の時湊におかず盗られてもやり返したりしないで受け容れるし? でもそんな簡単じゃねーと思うのよ。

割と周りの人間素直に敬うところあるし、上はいる……? かな? でも自分の分後回しにしてでも俺らバ科の為に熱心に問題用意したり課題見てくれたりするのを見てると、下にもいそう……」


紅騎の一人っ子・上がいる・下がいるの印象は想像以上に的確かもしれないがそれは置いておいて、途中から絶妙に褒められ出した気がするのは自意識過剰だろうか。


「ほ」


「ん?」


「褒められてるみたいだ」



「いや、『みたい』じゃなくて褒めてる。



よし、答えは——真ん中」



物凄いドヤ顔で当てに来た。ボクは紅騎の洞察力にも目を見張ったが、その前にさらりと云われた言葉にも注意が持っていかれて、忙しい感情のまま「せいかい……」と零していた。


「やっぱ!?」


途端にキラキラ輝きだして、「やった〜〜!」とこんなことで嬉しそうな紅騎の横顔を見上げつつ、小さく咳払いする。


「姉と妹がいるけど、どちらも歳が離れてるんだ」


「へぇ、成程な。だから一人っ子っぽさもあるのか」


「凄いな……確かに紅騎のいう通り、幼い頃食べ物やおもちゃを取り合った記憶はない」


自分が自分一人で食べられるようになった頃、食卓の視線の先にはいつも姉と両親——特に母親が学校の事、成績の事、習い事のこと、姉の未来の事について話していた記憶がある。


そうして妹がボクの席に着いた頃、ボクもまた姉のように見えていただろう。


「そっか、姉ちゃんと妹か〜。うちはマジで男所帯だから未知だな」


ボクも、未知だ。お兄さんが二人いる生活も、紅騎みたいな弟がいる家も。


「って乾燥終わってんじゃん。いつ終わった?」


「え、ぁ。ほんとだ」


「ピーピー聞こえた?」


「きこえなかった」


「俺も」


顔を見合わせて、どっこいしょと立ち上がる。本当に、いつの間に終わっていたのだろう。






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