「おきた。おきたら純いなくて、朝飯も先食っちゃったかとおもった」


「そうか、ごめん。まだ食べてないよ」


屈めていた背を戻す紅騎。南が「純が謝るところじゃないでしょ〜?」と言ったが、ボクは紅騎が姿勢を正したことにより菫・南・紅騎と囲まれた状況に圧倒されていた。

と、とりあえず、何故か誰も蛇口使ってないけど——中断していた歯磨きを再開する。


「純 良い奴だよな」


すると南を押し退けた紅騎も歯磨きし始めてちょっと安心。


「それなーー」


今度は紅騎の奥から聞き覚えのある声がして、覗いた。


「みなとっ」


「ぁい湊でぇーす第一寮生ダチ一号の湊でぇす」


「おまえまだそれ言ってんの」


「らってこうきがムゥッとするの面白ぇんらもん」


「今のは俺もちょっとムカついたー」


こう見ると最後に参戦した南越しに見る紅騎と湊の寝癖が凄い。二度目ましての湊は寝起きなのか何となく不機嫌そうで、お調子者に毒が混じっている。


「南は早起きしてたの?」


皆がどんなタイムスケジュールで動いているのかまだ把握できていない。振り返ると「うん、朝は予習の習慣付けてて」とまたしても感心する返事が返ってきた。予習……そうだよね、ボクもやらないとついていけなくなる。


「ふふ、純も寝癖ついてる」


静かに己への闘志を燃やしていると、南が後ろから髪を梳かしてくれた。


「俺の場合相部屋の奴も同じ科だからさ。まースポーツ科の朝練代わりと思ってやってるよ。

純も被る教科とかあったら部屋来れば? 207号室だから」


「え! いいの!? 行く!」


新しくできた友だちが勉強に誘ってくれたなんて嬉しくて咄嗟に飛び付いてしまったけどその後で一瞬、男の子の……部屋……という考えが過ぎる。


「ん?」


無意識に紅騎を見上げていたようで、反応を示されはっとした。そうだ、一丁前に大丈夫だろうかなんて警戒してしまったけど今更だ。ボクは今、男の子の部屋に遊びに行くどころかこの男の子と同じ部屋に住んでいる。


「次期生徒会長候補のモサメガネ・・・・・もいるけど」


「モサメガネ?」


「そ。俺の相部屋のあだ名。本人もこのあだ名気に入ってるっぽいから純もそう呼んで大丈夫だと思うよ——あ!」


おかしそうに笑っていた南が突然何かを思い出したように隣でしゃこしゃこ歯磨きしていた紅騎に向き直った。


「あぶな、思い出して良かったぁ。俺この後紅騎に云いに行こうとしてたんだった」


「あに?」


ボクの嗽に続き、紅騎も口を濯ぎながら聞き返す。


「同じクラスの子が今日の昼休み、紅騎に裏庭来て欲しいって」


「……何で?」


「何でっておまえ、ソリャ……

タイマンの申し込みだろうがヨォ。な、なぁ? ミミ?」


「何で湊涙目なの」


歯磨き粉が口端から零れている湊を憐れむ南。問うた紅騎は既に顔を洗っているけどボクと、きっと後ろの菫はやはりこの紅騎の小さな沈黙に覚えがあった。


「こうき」


思わずその横顔に名前を呟く。



「純、紅騎は」

「菫。いい」


菫が何かを言いかけたけど、顔を洗うままの紅騎がこちらを見ずに制した。



「春だよな 今日の朝飯 何だろな」


「湊ー? 変な短歌詠むのやめてー授業中思い出しちゃうからー」


「何故紅騎 特進科女子に モテるのか」


「おーい。無視ー?」





・ ・ ・





あの後無事(?)に朝ご飯も揃って頂いて、初登校を迎えた。皆が色々話してくれたから、思っていたより緊張に苛まれなかった。


ボクは“西園寺 純男子生徒”として何のツッコミもなく迎えられた。かなり複雑なキモチだ。そのもやもやを抱えたまま午前の授業が始まり、お昼休みに入った頃には何だかんだこの状況を受け容れる自分がいた。座学が続いた今の所、男だと思われて不思議に感じるのは休み時間とか事ある毎に話しかけられるのが男の子が多いということくらい。自分は女子校育ちだったため、始めはちょっと緊張するけど男の子ってこんな感じなんだなと新鮮で楽しい。

そうして午前中最後の授業が終わり隣の席のたちばなくんと話していると廊下から呼び出しがあった。


「西園寺くーん」


「はいっ」


反射的に席を立つと廊下の方から女の子が向かってきた。彼女はさくらさん。このクラスの学級委員長らしい。


「何。純、今俺と話してんだけど」


「知らん。失せなサルゴリラ」


「あ?」


「西園寺くん、三年の斑鳩先輩が呼んでるよ」


橘くんと桜さん。とても親切な二人だがあまり仲が宜しくないのかバチバチする度ドキドキする。


桜さんが口にして振り返った教室の後方入口には寮長さんの姿が在った。誰かと話しているのか横顔だ。


「ありがとう桜さん」


橘くんには一応 気にせずお昼食べてと伝えて廊下へ小走り。丁度誰かとの会話を終えた寮長さんに声を掛けた。


「純〜」


何だかニヤニヤしている。目立つ人だ。寮長さんの背景では幾人もの生徒がこちらを見ていて若干気まずい。


「おま…フツーに馴染んでんの面白いな」


女なのになぁと背を屈めて耳元で囁かれ、身震いした。同時に廊下の何処かで黄色い声が上がった気がする。面白がられていることは間違いない。


「で、着替えの件な。医務室で着替えて良いってことになったから。医務室の場所わかる?」


「何となくわかります、一階ですよね。寮長さん、ありがとうございます。

ご挨拶兼ねて今から下見に行ってきます」


深々感謝を込めて頭を下げると、寮長さんが「昼飯は?」と問うて手にしていたビニール袋を持ち上げて見せた。


「これ純に土産。まだ購買も慣れねーと思って、ついでに買っただけだから」


「え……!」


先回りして理由を教えられ、遠慮の隙もなく受け取ったビニール袋。中には美味しそうなパンが三つ、入っていて勢いよく顔を上げた。


「あ、ありがとうございます……! お昼どうしようかと。いくらでしたか」


「忘れた。それより三年の教室も一階だから医務室行くなら一緒に降りよーぜ」


ほらと促され、しどろもどろのまま肩を並べた。仕舞うに仕舞えない小銭入れを握りしめていたら俺が後輩をカツアゲしてるみたいだからやめろと言われた。


「登校初日いー天気でよかったな。友だちできた?」


「はい、できました」


「それは何より。今日みたいな日は中庭とか裏庭とか、外で食べるのもあり。屋上も行ける。風強いけどな」


俺は何か知らん鳥に飯持ってかれたことあるぞーと話す寮長さんには緊張も解けて笑った。



そういえば。裏庭といえば、今頃紅騎はそこにいるのだろうか。



「じゃー俺こっちだから。医務室は外の渡り廊下渡った先な、牧先生」


階段を降り切ると目を細めてひらひらと手を振る寮長さんに再度感謝を述べて、渡り廊下に向かった。


寮長さん、わざわざ伝えに来てくれたのもそうだけど、新人だから様子見に来てくれたのかもしれないな。もう一度くらい感謝を伝えたい気持ちになりながら外へ出ると、一気に人通りがなくなった。その中に、華奢な女子生徒と並ぶ見覚えのある背中を見る。


紅騎、だ。


ということはここが裏庭なのかな、なんて考えながら足取りを緩めると、腕を引かれた。


「わ」


短く驚いた視線の先には、可能な限り身体を縮めてしゃがみこむ菫の姿が在った。ボクの腕を掴んでいない方の手には何やら葉っぱ付きの小枝が握られている。一体何をしているのだろう。


「こらしゃがめ」

「はいっ」

互いに小声で伝達。真っ直ぐ紅騎の方を向いている菫を窺うと、「ミミと同じクラスっつーか、同じクラスのやつが頼まれたんだか買って出たんだかで相手は一年っぽい」と返ってきた。何の話だ?


「はい」


新しく葉っぱ付きの小枝を渡された。二本。


「…菫はここで何をしてるの?」


「紅騎が逆上された時の為にスタンバってる」


「逆上?」


「そういう事がこの前もあった。イベント毎—てか紅騎も“先輩”になって彼氏欲しいとか浮き足立つようなやつらがよく知りもしないのに勝手に告って振られて適当な難癖つけて八つ当たり。酷い振り方だった、とかな」


菫の横顔は怒っているようだった。


あれは、一年生の女の子からの告白。それで、紅騎の為に“スタンバって”いるのか。


「菫は友だち想いだな」


「は?」


改めて、まだ今朝菫を知ったばかりなのに、きっと寮長さんも菫をそういう風に思ってボクに薦めたのだと察することができた。


「……、純の、今朝のあれ」


こちらを向いた菫。何かを言い淀んでから切り出した。

周囲は建物を避けて差し込む陽だまりに包まれていて、心地良い風が吹いている。


「『女だ』ってやつ。冗談でも言わない方がいい。

紅騎 女嫌がるから」



「え」


流石に、固まった。菫はずっとこれを伝えようとしていたのか。菫の沈黙もその前の最初の紅騎の沈黙もそれが理由だったのか。固まって、頭の中では先ず紅騎に対するごめんなさいと、それじゃこの先紅騎に打ち明けることはできないのか? という混乱とが咄嗟に混ざり合った。


更に、見つめ合うボクたちをいつの間にか覆った影に、二人して顔を上げる。



「「…………こうき」」



「……菫。『いい』って言ったじゃん。

何で言うの」



音を立てないように手にしていた寮長さんからの頂き物。中には折角美味しそうなパンが三つあったというのに、分ける空気じゃなくなってしまった。

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